胡鳥の夢

Amaryllis

胡鳥の夢

「俺には記憶が無い」


 そう言った涼やかな誰かの横顔を、今も覚えている。



 〇  〇  〇



 本日快晴。そんな青空に、いくつかの黒い影。以前はこの近辺に降り立っていた渡り鳥達も、地球温暖化の影響か、もっと北を目指してここを通過するようになった。


「……お前さ、行かなくていいの」


 毎日同じ場所に、綺麗な青い鳥がやってくる。

 こんな寂しい病室の窓に、毎日きっかり一時間、一ミリも違わずにそこにいる。


 昔、鳥のくせに同情などするなと、窓ガラス一枚を隔てて怒鳴った事があった。言葉なんて解らないソイツは、少しだけ羽を揺らして、去っていった。きっちり一時間だった。


 それからその鳥は、何故か花を持ってくる。花が見つからなければ、ちょっとした木の枝を咥えて、窓辺に置いて去っていく。もちろん俺は窓なんて開けてやらないから、花は少しずつ枯れていく。けれど、それすら承知したように、枯れるより多くの色彩をその鳥は運んできた。


「お前さ、人間だったら絶対モテるぞ」


 白いだけだった病室に、こっそり花が生けられた。看護師は少し、顔を顰めた。


 コイツは窓をつつかない。開かない事が分かっているのだろう。だから、窓を開ける理由を探して、止めたタバコを引っ張り出した。


「意外だった?」


 鳥との間の煙のために、その日の空は凪いでいた。


 ある日、ふと疑問に思って、言葉を知らないソイツに話しかけた。


「お前さ、何で来るの」


 最近、きれいな青を見ていない。窓ガラス一枚分の歪を、静かな風は流さない。


「俺さ、タバコって苦手だったんだよな。あてつけっていうか、意地で吸ってただけだから」


 アイツは答えてくれないから、俺は少し、よく喋るようになった。

 だから、もう一度だけ、問うてみた。


「……お前さ、行かなくていいの」


 お前はいつだって飛べるのに。

 きっちり一時間。煙に紛れて、眩しい青が、空と同化していった。


「バカだなぁ」


 あの鳥が去ってしまえば、窓は再び閉ざされた。あの鳥が来る少し前に、また開くのだろう。


 そろそろ、名前でも付けてやろうか。


「──青いアオイ


 美しく、独りぼっちの、きれいな蒼に、憧れた。


 明日は何の花だろう。今日はバラだった。昨日は葵。

 そういえば、アイツは鮮やかな花しか持ってこないのに、どうして昨日のバラは白かったのだろう。そっと部屋に飾ったけれど、あまり映えなかった。



 〇  〇  〇



 知っていますか、心優しき人。


 いつかの日、仲間外れだった私に、何の興味も示さず、ただそこに在る事を許してくれた人。私の青を、小さく「きれいだ」と笑った人。


 もしも私が人であれば、伝える事は出来たでしょうか。

 もしも私が鳥であれば、伝わる事はあるのでしょうか。


 あの小さな箱の中が羨ましい。大空はあまりにも広すぎて、羽を休める場所も無い。


 知っていますか、心優しき人。


 ──明日私は死ぬでしょう午時葵の花言葉を


 あぁ、私は……に憧れた、だった。話したい事が、沢山ある。


 知っていますか、涼やかな人。知っていますか、静かなる人。

 一番伝えたかったのは、伝わっているという事実──。




 でも、そんな夢現胡鳥の夢

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胡鳥の夢 Amaryllis @785906

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