第13話 オルゴールと狼の調べ

「デルティムムは、ここにいる?」


 どういうことですか、とエリオットは尋ねた。


 ステイシーは「推測ですけどね」と答える。


「あなたが語ってくださったお話と、この氷と、狼たち。あとは私が元々持っていた知識を繋ぎ合わせてみた結果です」


「推測って」


 口元から嘲笑がこぼれた。


「推測で、そんな無茶苦茶なこと言わないでください。デルティムムは、行方知れずなんですよ。僕や狼たちの前からいなくなった。それっきりです。あなたが語っていたバラ色の目をした猫だって、最後はいなくなったでしょう。彼女も同じです。それっきりだ。証拠もないのに、推測や妄想だけで変なこと言わないでください」


 心の中に、怒りや苛立ちに似た感情がこみ上げてくる。


「これは、僕と彼女と、狼たちしか知らない物語です。勝手に喋り出したのは僕ですが、好きなように解釈しないでください。語り部は物語を語るのが職分でしょう。作ることじゃない。第一、ここにいるって、じゃあ、どこにいるんですか。どこにも彼女の姿なんてないじゃないですか。まさか、見えないけどいるって言うんじゃないでしょうね」


 威嚇するように声を荒げ、身振りを大きくしてステイシーに迫る。随分酷い態度を彼女にとっているという自覚はあるが、ステイシーの落ち着いた態度は変わらなかった。


「そんな曖昧なことは言いませんよ」


 ステイシーは、両腕を広げて見せた。


「この、炎を封じた氷。これこそが彼女です。いえ、かつて彼女であったもの、と言えばいいのでしょうか」


「は?」


 エリオットは力なく腕を下ろした。


「僕のこと、馬鹿にしてます?」


「いいえ」


 ステイシーは首を振った。


「あなたはこの氷のことを、魔法の氷と言いましたね。その認識は概ね正しい。ですが、完全に魔法で作り出されたものでもない」


「なんであんたに、そんなこと分かるんですか。まさか、魔法使いだとでも?」


 魔法使いは、歴史の中に埋もれつつある時代の遺物。まだわずかな数がこの大陸のどこかに暮らしていると聞くが、ただの噂だ。少なくとも、雪と氷に閉ざされ、魔法とも無縁の歴史を紡いできたこの地方では、魔法使いの実在すら信じられていない。


 ステイシーがその魔法使いだとは思えなかったが、彼女はやけに知った風な口を利く。


「私は魔法使いではありませんが、魔法との親和性の高い隣人たちと関わることが多く、彼らの中に知己もおります。それ故、彼らから魔法について教わることも多く、知識だけはあるんですよ。もちろん、本物の魔法使いにはかないませんが」


 しゃがみ込むと、ステイシーは大きな虎落狼の方へ手を差し出した。狼はその手に軽く自分の鼻を押し当てる。


「彼らもまた、ただの狼でありながら、隣人たちと関わることが多かったものです。その結びつきは私よりもずっと強い。彼らは隣人たちを主人とし、主人の痕跡にも敏感です。彼が私たちをここへ導いたのは、氷となって炎を眠らせる主人のことをどうにかしてもらいたいからでしょう」


 立ち上がり、今度は氷の方へ向き直る。


「この氷は、魔法で出された氷ではなく、魔法と親和性の高い氷という表現がより正確かと思います。そして氷雪の乙女は、まさに魔法との親和性の高い人たちです。そして、氷と雪との親和性も高い。そして、彼女を守る虎落狼たちは、群れでこの氷柱を取り巻いている。まるで守るかのように」

 

「だからって、この氷自身がデルティムムだというのは、突飛すぎるでしょう」


「彼女が人間であれば私の言っていることは突飛ですね。けれど、彼女は氷雪の乙女。人ではありません」


 ステイシーは手のひらを前に突き出すと、氷柱の表面に軽く押し当てた。


「ひんやりしています。けれど、炎を内包しているからでしょうか、少し温かい」


 エリオットとステイシーの周囲は、また狼の群れに取り巻かれていた。


 狼たちは何かを訴えるような様子で二人を見つめている。


「まあ、できるだけやってみましょうか」


 よっこいせと、腰を下ろしたステイシーのてには、いつのまにか木箱が乗っていた。


 彼女の顔の幅くらいの、ちょうど良い大きさの木箱だ。


「それって」

 

 見覚えのある箱だ。エリオットは記憶を辿った。たしか、今朝、彼女が「語り」を披露する際に使っていた箱だ。


 箱の蓋が開けられると、そこには記憶通り、卵形の工芸品がいくつか納められている。


 ステイシーは、その中から猫の文様が刻まれたものを選んで手に取った。今朝も、同じものを手に取っていた。そのことは強烈に覚えている。


「さて、オレリア。あなたの知恵と魔法を貸してくださいな」


「誰に向かって話してるんですか」


 尋ねると、ステイシーは大真面目な顔をして「オレリアです」と答えた。


 それから不意に表情を緩めて、「独り言ですよ」と笑う。


「これは、美しい工芸品でもありますが、魔道具でもあります。これを私にくれたのが、オレリアです」


「魔道具?」


 もう、先ほどまでの怒気は失せていた。


 ステイシーの浮世離れした言動に毒気を抜かれたと言っても良い。


「もう、僕の理解できる範囲を超えてますね」


「そんなことありませんよ。正しい知識と助けがあれば、誰にだって魔法は扱えます。私の場合助けとなるのが、この装置です。これには、魔力猫の魔力が蓄えられています。これを少し借りることで、ささやかですが、魔法を披露できるのです」


「それで、その魔法で何をするつもりなんですか」


 ステイシーは問いかけに答えず、木箱を地面に置くと、片手で卵型の工芸品を持った。


 卵でいうところの頭頂部には突起が付いている。それを捻ると、蕾が綻ぶように卵の外殻が割れ、中からつるりとした光沢を放つ薔薇色の宝石が現れる。


 それでおしまいではなかった。よく見ると、工芸品には小さなゼンマイが付いている。それを三回巻くと、美しい旋律が流れ始めた。


「実はですね、これ、オルゴールなのです」


 ステイシーは得意げに言った。


「魔法とはこれです」


「オルゴールは魔法じゃないでしょう」


「ただのオルゴールじゃないですよ。この旋律にこそ、魔法がかけられているのです。このオルゴールが曲を一曲奏でる間だけ、私は彼らの力を借りられます」


「彼ら?」


 二人が話している間も、オルゴールは甘やかな旋律を奏で続ける。この地方ではあまり聞かない音節だ。ゆったりとした主旋律に、軽やかな副旋律が絡まり合い、それが調和し、氷柱の間に流れる冷気をかき混ぜる。


 その旋律に合わせて、虎落狼たちが遠吠えを始める。彼らの声はさながら笛。普段は決して交わることのないオルゴールの音色と狼の声は、対立することなく互いに音を重ね合わせた。これほど美しい音の調べを、エリオットは聞いたことがなかった。


「彼女らは生まれる。アエルム山脈の頂上の、万年雪の苗床で。

 彼女らは目覚める。アエルム山脈の頂上の、万年雪の苗床で。

 彼女らは約束する。アエルム山脈の頂上の、万年雪の苗床で」


 ステイシーが詩を読み上げた。歌うと言うより、詠唱に近い。


 これは、この地方で歌い継がれる童謡の一節だ。

 少し違って聞こえるのは、ステイシーがアレンジを加えたためか。


 その詩を契機として、空気が震えた。


 エリオットは最初、綿雪が降ってきたのかと思ったが、違う。

 

 淡い光の粒子が大地から溢れている。


 絶えず流れ続けるオルゴールと虎落狼の二重奏と光の粒子を前にして、エリオットは考えることをやめた。ただ陶然とその現実を、どこか夢を見ているような心地で受け入れる。


 オルゴールと狼たちの合奏は、いつまでも続く。その調べにステイシーの言葉が乗る。


「彼女らは還る。アエルム山脈の頂上の、万年雪の苗床へ。彼女らの名は氷雪乙女グラネヴィー

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