第12話 炎は眠り、乙女は沈黙し、語り部は語り出す
「何をするつもりですか」
「エリオット」
問いには答えず、デルティムムは真っ直ぐにエリオットを見据えた。
「私は、この火事を眠らせる」
火を消すのではなく、眠らせる。そう言ったのは、単なる言葉の綾なのか。
不意に、エリオットを乗せていた狼が背中を揺らした。エリオットに降りろと言っているようだ。
エリオットは慌てて狼の背中から転がるようにして降りた。
狼はエリオットの方を見向きもせず、従者のようにデルティムムの傍に付き従う。
もう、デルティムムはエリオットの方を見ていなかった。こちらに背を向けて、彼女は業火と対峙している。
「エリオット」
背中越しに、彼女は言った。
「今度こそ、本当にさようならだ。私を止めてくれるなよ」
そう言うや、デルティムムは颯爽と狼の背にまたがった。狼の鬣を手綱とし、さあ進めと声をあげる。その姿はさながら騎士のようだ。
「ルツ、ソル。エリオットを村まで送り返せ」
背後に声を投げかけると、デルティムムは狼と共に燃える森の中へ身を投じる。
それと同時に、大人しく控えていた2匹の狼が、エリオットを挟むようにして隣に並んだ。
「待って」
その2匹の狼の間から抜け出して、エリオットは彼女の後を追う。
しかし、炎の熱波を前にして本能的な恐怖が湧き起こり、とてもではないが彼女の後を追うことができなかった。
その場で膝をついたエリオットの傍に、2匹の狼が近づいてくる。エリオットの服の裾を口で噛んで引っ張る。早く立てと言っているようだ。
その時、デルティムムの去った方角から、一陣の冷たい風が吹いた。
熱波の中を、涼とした風が吹く。
傍の狼たちが、同時に顔を天に向けて、遠吠えをあげた。狼達の遠吠えは天に向かって伸びていく。
その最中、エリオットは奇妙な光景を目の当たりにした。
森を赤に染めていた炎が、パキパキと音をたて、片端から凍り始めていた。
凍る炎など見たことも聞いたこともない。だが、現実として炎は凍っていた。下から上に向かって、氷は炎の熱さを封じ込め、動きを止めてゆく。炎の上に何層もの氷が積み上がり、閉じ込めてゆく。
まるで永久凍土の中に封じられた古代の生物のように、エリオットの視界いっぱいに燃え広がっていた炎は、その全てが氷の中に閉じ込められた。
あれほどの熱気と、草木を焼き焦がす匂いと炎のはぜる音が、一つたりともない。
まるで冬が到来したように、晩夏の森は沈黙した。一瞬で全てが凍りついた。炎も、森も、時間さえも。少なくともエリオットの時間は、そこで凍りついたのだ。炎と共に。
*
「やっと語ってくれましたね。あなたの物語」
長い独白を終えたエリオットは、森の中でステイシーと向かい合っていた。
二人の周囲は、相変わらず虎落狼の群れに取り巻かれている。
氷漬けにされた炎が乱立するこの場所は、時が止まったかのようだった。いや、実際時が止まっているとも言えた。炎たちは、燃え上がったその時の姿のまま氷の中で時を止めている。
「その後、彼女は?」
ステイシーに問われ、エリオットはゆるゆると首を横に降った。
「それっきりです。無事なのか、還ったのか、それすらも分かりません。ただ分かるのは、あの時の火事を止めたのは、彼女だということだけです」
2匹の狼に村へ送り届けられたエリオットが見たのは、焼けこげた村の一角だった。
火災の勢いは凄まじく、村にまで迫っていたらしい。しかし、決死の消化活動が成されたためか、デルティムムが火を凍らせたためか、またはその双方のためか、村が全焼することはなく、死傷者も出なかった。
また、夜通し狼の襲撃を警戒していたおかげで、早朝に発生した火災にいち早く気づけたところの助けもあっただろう。
火災の騒ぎのおかげで、エリオットも昨夜どこにいたのか問い詰められることもなかった。全身打撲や捻挫だらけなのは、さすがに父親代わりの村長に問いただされたが、適当に真実と嘘を織り交ぜたことをでっち上げたら、それで納得してくれた。
マシューだけは、何かあったんだろう?という顔をしていたが、深く問われることはなかった。
しかし、あの火災以来エリオットは塞ぎがちになった。
森を見ると、あの日消えた彼女のことを思い出す。
幾度も森へ行こうと思ったが、真実を知ることが恐ろしくて、行けなかった。彼女がどうなったのか、考えるのは恐ろしい。
それがどういうわけか、語り部を自称するステイシーに振り回された挙句、エリオットは森へ来た。しかも、これまで誰にも語ったことのなかったデルティムムのことを、何から何までステイシーに話してしまった。自分の醜い部分も、幼い部分も全部。
ステイシーの反応を伺うと、熱心に氷の中の炎を観察しているようだった。
そんな彼女の背後に、ここまで二人を連れてきた大きな狼が忍び寄った。
エリオットはギョッとして声を上げかけたが、狼はステイシーを害するつもりはないらしく、巨大な黒豆のような鼻をステイシーの服の裾に擦り付ける。
「はいはい、なんでしょう」
ステイシーは、子供と話してるような調子で狼へ話しかけた。狼のことを全く怖がっていない。
狼は、何かを訴えかけるような目つきでステイシーを見つめ、ついで氷漬けにされた炎を見つめる。
ステイシーは「うーん」と唸ると、眉間に皺を寄せる。
「この狼達は、私たちに何かを求めてるようですね。多分、この炎をどうにかしてほしいんでしょうけど、下手に手を出すわけには」
でも、と一旦言葉を切り、ステイシーは仕切り直す。
「おかげで、残留火災の原因が分かりました。ずばり、この氷の中に封じられた炎が原因でしょうね」
エリオットは重い足を上げて、ステイシーの隣に並びたち、氷を眺めた。
「一部で氷の封印が解けて、ボヤ騒ぎになったってことですか?」
「おそらくは。ただ、地面から煙が上がっていたところを見ると、おそらく氷の封印は地中に潜んだ炎にまで及んでいるのでしょう。その地中の封印が、緩んでいるのかもしれません」
ステイシーは、地面の中にある炎を探るように、足でタンタンと軽く地面を叩く。
「エリオットさんは、この氷を何だとお考えですか?」
「氷は...氷でしょう?でも、炎を凍らせる氷なんて聞いたことがないから、強いていうなら、魔法の氷ですかね」
「万年雪の中には、氷体を持つものもあります」
後ろ手を組み、ステイシーはゆっくりと乱立する氷の中を歩いていく。
氷のそばを横切るたびに、それを透かし見る形となるエリオットの目には、彼女の姿が氷と炎の向こう側で陽炎のように揺らめく様が映る。
「この森を見下ろすアエルム山脈には、万年雪がありますね。ここを訪れる前に調べてみたのですが、ここの万年雪には氷体があることが確認されています。流動が確認されていないため、氷河でありませんがね」
何を語ろうとしているのかが分からない。
脈絡もなく始まった豆知識に困惑しながら、エリオットは彼女の後を追って氷の中を歩いた。
ステイシーの姿は、絶えず氷の間から見え隠れしている。声は氷にぶつかって反響しているのか、不思議な音色を伴って聞こえて来る。
「さて、氷雪の乙女は、なぜ氷雪の名を冠して呼ばれるのでしょう」
いつの間にかステイシーの姿を見失ってしまった。周囲を見渡しても、そこはとけ残った白い雪と赤い炎を灯した氷の林ばかりで、今自分がどこを歩いているのかも分からなくなる。狼たちも、いつの間にか姿が消えている。
その間も、ステイシーの声だけは聞こえてきた。それを道しるべとしてエリオットは進む。
「彼女たちは、アエルム山脈の万年雪から生まれます。正確には、万年雪の中にある氷体から生まれているかもしれませんね。まあ、それはどちらでも良いことです。重要なのは彼女たちが何故、氷雪の乙女と呼ばれているのか」
「イメージ、じゃないですか?万年雪の中から生まれる女の人たちの話を聞いたら、いかにも氷雪の乙女って名前が似合いそうじゃないですか」
声の聞こえた方に向かって、エリオットは声を上げる。
「それも、一つの理由でしょうね」
声が、背後から聞こえた。
息を呑み、エリオットは振り返る。
そこには、ステイシーの姿があった。背後にはあの大きな狼を従えている。
防寒具を着込みすぎて、雪だるまのようになっているのは相変わらずだ。だが、今は最初に会った時のように思わず吹き出してしまいそうな剽軽さはない。
それどころか、彼女もまたデルティムムのように、人ではない者のように思えた。
背後に付き従った狼が、珍しい銀色の髪が、二人を取り巻く幻想的で奇妙な氷の世界が、それとも、語り部という特殊な職業が、エリオットにそんな錯覚を抱かせたのか。
彼女の目は物語を見届けるためにあり、彼女の耳は物語の声を聞くためにあり、彼女の口は物語の声を紡ぐためにある。
彼女はこの世界の語り部であり、傍観者でもある。
不思議な妄想が、エリオットの頭に浮かんだ。
その妄想を打ち払うように、彼女の澄んだ声が空気を裂くように聞こえてくる。
「しかし、私はこう思うのです。氷雪は彼女たちの血肉だと。人が血と肉で出来ているように、彼女たちは氷と雪で出来ている」
ステイシーは、傍らの氷柱を見上げた。
「デルティムムはここにいる。そういうことですね、狼さん」
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