第4話 烟る森と狼の遠吠え

 村の目抜き通りを抜けると、あとは雪原の上にまっすぐ線を引いたようなくすんだ灰色の道が山脈の麓の森まで伸びている。その道には深い轍が刻まれ、轍の上にはまだ新しい馬蹄の跡が刻まれている。若衆と森の様子を見に行った村長が、馬を使ったのだろう。


「我々も馬を使いましょうか」


 ステイシーの方をちらりと見てから、エリオットは言った。ステイシーもその意見には賛成のようだ。


 厩舎は、変事があった時にすぐ駆けつけられるように、鐘のついた物見台のすぐそばにある。先ほどの鐘の音も、その物見櫓から発せられたものだ。


 村と雪原の境に接する物見櫓には、見張り番の青年がまだいた。名はマシューといって、エリオットにとっては年の近い兄のような存在だ。彼はエリオットの姿をみとめると、「おーい」と手を振った。


「エリオット、何しに来た」


 エリオットは手で庇を作ると、目を眇めて頭上を振り仰いだ。中天に差し掛かった太陽の光が眩しかったのだ。


「彼女を森へ案内する。親爺には言わないでくれ。馬を借りるよ」


「彼女?」


 厩舎へ歩いて行ったエリオットの後ろで、ステイシーがぺこりと会釈する。マシューは会釈を返す代わりに、物見台から梯子を使って下へ降りてきた。


「あれ、前に見た子じゃないね」


 ステイシーを一目見て、マシューはそう言った。厩舎へ足を踏み入れようとしていたエリオットは、それを聞いて慌ててステイシーのそばへ駆け戻ってくる。


「髪も白かと思ったら、あなたのは銀色だな」


「白い髪の女性、がいたのですか」


 ステイシーが尋ねると、マシューは微妙な顔をした。


「いた、というか、見た、というか。最後に見たのは一年以上も前かな。エリオットと一緒にいるのを見かけて、あれは誰だってエリオットに聞いたんだけど、こいつ」


 マシューは白い歯を見せて笑うと、エリオットを小突いた。


「顔を赤くするばかりで答えないんだよ」


「痛いって」


 エリオットは抗議の声をあげて、マシューを小突き返した。その様子を、ステイシーはじっと見ている。


「とにかく、馬を2頭借りるよ」


 エリオットは釘を刺すように人差し指でマシューを指しながら、再び厩舎へ向かう。


「アボットさん、乗馬の経験は」


 自分の後ろをステイシーが付いてきているのを確かめてから、エリオットは尋ねた。ステイシーは「ありますよ」と答える。


「なら良かった。それじゃあ、好きな馬を選んでください」


 エリオットとステイシーは、めいめい馬を選ぶと、「気をつけろよ」というマシューの声に見送られて村を出た。


「引き返してきた親爺と鉢合わせたら面倒だから。雪原を突っ切りましょう」


 エリオットは森へ真っ直ぐに伸びた道を外れて、雪原の中へ馬を進めた。ステイシーも慣れた手つきで手綱を操って、自分の乗る芦毛の馬をエリオットの乗る河原毛の馬の尻へつける。


 雪国の馬は、スラリとした脚の代わりに太くがっしりとした脚を持っている。厳しい冬を耐えてきた馬たちだ。体は太く頑丈で、雪原を走り回る強靭な持久力と筋力を持ち合わせている。人を乗せるだけでなく、極寒期には、馬車の代わりに人や荷駄を乗せた馬橇も引く。


 馬たちは白い息を吐きながら、忠実な従者のように二人の人間を乗せて森へ向かった。


 途中、ステイシーがにわかに馬を進める速度を上げて、エリオットのすぐ横へ並んだ。


「さっきの方がおっしゃっていた白い髪の女性とは、何者なんですか」


 やはり聞いてきた、と、エリオットは馬の歩く速度を少しだけ緩めた。しかし、ステイシーの問いかけには口をつぐんだまま答えなかった。ステイシーは、それに構わずに言葉を続ける。語り部という職業上、一人で喋り続けるのには慣れっこなのかもしれない。


「あなたが昨日話してくれた身の上話には、そのような人物は登場しませんでしたね。あえてその存在を述べるほどに大切な存在ではなかったのか、逆に気軽に話したくないほど特別な存在なのか……」


「別にどっちでもないですよ」


 エリオットは前を向いたままでようやく口を開いた。


「出会ったばかりの人への身の上話なんて、至極簡潔に済ませるのが普通です。あなたは初めて会ったばかりの人に、自分の友達や家族のことを事細かに話しますか?それとも、あなたは語り部だから、そうするのは普通のことなんでしょうか」


 言い終わってから、少し棘のある言い方だったかもしれないとエリオットは小さく後悔した。だが、ステイシーは気を悪くした様子でもない。


「いいえ、そういうことを話すのは、もっと親しくなってから、ですね。まあ、語り部として人の話に耳を傾ける時は、もっと詳しく話して欲しい、とは思いますけれど。それは強要することではありませんものね。でも、私はどうにも気になってしまって」


「白い髪の女性がですか?」


「それもそうですけど、エリオットさんの様子が気になるんですよ」


「僕の?」


 思わず横を向くと、相変わらず着膨れしたステイシーと目があった。


「あの鐘が鳴った時、エリオットさんだけが酷く動揺していました。他の方たちは、最初は驚いた様子でしたが、「ああ、またか」といった具合に落ち着かれていたのに、エリオットさんはずっと動揺されているようでした。具合でも悪くなったのかと思って、何度かお尋ねしましたよね」


 気分が悪いのか、怖いのか、確かにステイシーは、何度もそういった言葉をエリオットへ投げかけていた。


 ステイシーは「ほお」と白い息を一つ吐くと、頬を打つ冷たい風に向かって「くしゅん」と小さくくしゃみした。それからまた続けた。


「白い髪の女性の話をあの物見台の方がした時も、似たような表情を浮かべておりました。きっと、何かがあるのですね。あなたの心を動揺させる何かが、あの森に。本当に、このまま私と一緒に森へ向かって大丈夫ですか」


 ステイシーは、エリオットを芯から心配しているようだった。エリオットは手綱をぎゅっと握りしめて、「大丈夫です」と頷いた。


「女性を一人、残留火災を起こす森へ行かせるわけにはいきませんから」


「そうですか」


 それっきり、ステイシーはそれ以上この話題に関しては触れてこなかった。エリオットは半ばほっとしながら、他愛もない話をしながら森へ向かった。


 森へ着くと、火の手が上がっている様子はなかった。だが、積もった雪の間から、焦げ臭い匂いと共に煙が昇っている。


「結局今回も、ボヤ騒ぎだったみたいだな」


 エリオットが小さく呟く隣で、ステイシーが馬を降りた。木々の間を注意深く進んで、煙の立ち込む白い森を眺めた。


「火はいつも、一人でに鎮まるそうですね。昨夜、村長さんがおっしゃってました。今回もそういうことでしょうか」


「そう、だと思いますよ」


 エリオットはつっかえながら、ステイシーの言葉に同意する。


「雪のおかげではないかと、親爺は言ってます」


 その時、森の奥から透き通った笛のような音が聞こえてくるのを、二人は耳にした。


虎落狼ジーチェル・ルプスです。この声の感じだと、かなり遠くですね」


 狼の遠吠えに浮き足立ちかけた馬をなだめてやりながら、森を眺めるステイシーの背中へ、エリオットは声をかける。


 冬の風の名を冠するこの地方の狼の遠吠えは、他の種の狼とは聞こえ方が異なる。


 初めて聞く人は、まず狼の遠吠えだとは思わない。笛の音、あるいは、冬の風が柵などの障害物に当たった時に発する音に似通っているため、そのどちらかだと思う。


 狼の遠吠えは、一頭だけではないようだった。二頭目が加わって、荘厳な二重奏を奏で始める。狼に恐ろしい爪と牙がなければ、ずっとここでこうして聞いていたくらいだと、エリオットはいつも思う。


 彼らの笛のように聞こえる独特の遠吠えは、美しいことで有名だった。


「当初の目的と違うとはいえ、冬の眷属である彼らの声を耳にできるとは、森に来た甲斐がありました」


 遠吠えが聞こえなくなってから、ステイシーはやっと言葉を発した。


 その時、雪の積もった地面を踏みしめる音がすぐ近くから聞こえてきた。いち早くそれを察知したのは馬たちだった。突然いきり立ったように前脚を掲げるや、エリオットの制止する声を振り切って雪原の中へ走り去ってしまう。彼らが一体何に怯えたのかを冷静に考える間もなく、それは森の中から現れた。


 一頭の白い狼だ。並みの狼よりも大きい。小型の馬ほどの大きさはあるだろうか。頭部から頸部にかけて生えるたてがみが、実際より体高を大きく見せている部分もあるかもしれない。それを差し引いて考えてみても、かなりの大きさだった。

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