第3話 地中で燻り続ける炎
ステイシーが物語の結びを語ろうとしたその時、街が山に面した方向から、鐘を鳴らす音が突如響き渡った。平和な日常を割り砕くかのようなその異常な音に、ステイシーの言葉はピタリと止まる。人々も事態を把握しようと、皆が揃って鐘の鳴る方角へ目を向ける。
エリオットも周囲と同じようにその鐘の音に反応した。
鐘が鳴らされるのは、山や森に異常が発生した時だけだ。エリオットは、沈黙する雪に覆われた高い峰々から麓に向かって視線を動かしたが、何も見つけられなかった。
だが、人々の間からはひそひそとある言葉が交わされ始めていた。
エリオットもそれにつられて、一人、言葉をこぼした。山に異変といえば、ほとんどそれしかないのだ。
「火事」
「エリオット」
背後から、肩をたたくというよりかはガシッと掴みかかるような感触に、エリオットはギョッとして振り返った。そこには、いつの間にいたのか、父親代わりの村長が険しい目でエリオットを見つめていた。
「親爺?」
「先の山火事の爪痕が、こうもしつこいとは」
エリオットの肩から手を離すと、村長はやれやれというふうに首を左右に振った。
黒々とした頭髪にはもう白髪が混じり始めているが、若い頃から林業で鍛えた頑健な体は衰えを感じさせず、こうしてエリオットと肩を並べて立っていると、成人しているはずのエリオットが幾分小さく見えてしまう。
「昨夜語っていらした、残留火災のことでしょうか」
「うわっ」
村長がいる反対側から人影がぬっと現れ、エリオットは情けない声を上げた。誰かと思えば、雪だるまのように着膨れした語り部の女。ステイシーだった。
「ここからでは分からんが、おそらく」
村長はステイシーの問いに答える。
二人の間に挟まれる格好になったエリオットは、村長とステイシーへ交互に目を向ける。
「わしは今から山の様子を見に行かにゃならん。エリオット。お前はこのお客人と母さんと一緒にいろ。いざとなれば、お連れして川へ逃げるんだ」
「え。俺が?」
そう聞き返した時には、もう村長の逞しい背中は遠ざかっていた。その場にいた村の男衆に何人か指示を出し、山のある方角へ共に向かい始めている。それを、どこか放心状態で眺めているエリオットに構わず、ステイシーが喋り始めた。
「一年以上前に起こった大火災の残り火が、未だ地中に潜み、時折大地から噴きこぼれるようにして火災が発生している……。屍人火災なんて呼んでいる地域もあるそうですね」
異国に伝わるという、動く死体の名前を出しながら、ステイシーは落ち着いた様子で滔々と言葉を並べる。
エリオットはようやく我に返って、「あ、ああ」と要領をえない返答をステイシーへ寄越した。するとステイシーはニコリと微笑んで、今更のように「昨日ぶりですね」とエリオットの方へ顔を向ける。
「昨晩は、村長さんのところでお世話になりました。あなたのことも、夕食の際に話題に上っていましたよ」
「そ、そうですか」
非常事態であるというのに、ステイシーは何事もないかのように落ち着き払っている。
だが、ここからでは火の手は見えないし、木々が焼ける音も匂いも届いてこないのだから、危機感を覚えろというのも無理な話なのかもしれない。
そして、村人たちにも混乱は見られない。
一年と半年前、村と接している森を半焼させ、村の一部をも焦土と化した大火災。その残留火災は全てボヤ騒ぎ程度にとどまっている。ただ、頻度が異常なだけだ。その異常な頻度のせいで、皆はむしろ慣れつつあった。
だが、エリオットだけは如何しても慣れることができそうにもない。
「エリオットさん、大丈夫ですか」
「え、なにが」
エリオットより頭一つ分小さいステイシーは、心配そうな様子でエリオットを見上げている。
「いえ、ただ、顔色が悪いように思われたので」
エリオットは、反射的に自分の頰に手を当てた。防寒用の茶色の手袋のゴワゴワした感触が、肌に伝わる。
「もしかして、怖いのですか」
「怖い?はは、別になんともないですよ。残留火災なんてここ一年はしょっちゅうです。全部ボヤで収まってますし。今回も大丈夫でしょう」
エリオットは、無理やり大きな声を出して笑顔を作った。女の子に怖がっているように見なされるのは、男としてのプライドがちょっと許せない。だが、ステイシーはそんなエリオットの小さなプライドはどうでもいいようで、すぐに話題を転じた。
「しょっちゅう、ですか。私は雪国の出身ではありませんが、屍人火災...いわゆる残留火災の原理は知っています。鎮火したと思っていた火が、地中の深い場所で燻り続け、冬を越し、気温が上昇してきた時期に、再び引火して火災を引き起こす。この辺りの土壌は可燃性のガスを多く含む泥炭ですから、気温が上昇して乾燥すると、引火しやすい。けれど、いくら何でも発生ししすぎではないですか。それも、全てがボヤ程度で収まっているというのも、妙です」
聞かれても、エリオットには「さあ」と肩をすくめることしかできない。そんな難しい話など、普段仲間内ではしない。
だが、ステイシーはハナからエリオットの意見など求めていないらしい。火事が起こっているかもしれない森の方を見据えながら、何やら自分の意見を述べ続ける。
「大抵の場合、夏に発生して鎮火したかに見えた火が冬の間も地中で生き延び、夏になると引火して再び火災を引き起こす。けれど、村長の話では、例の大火災は一昨年の夏の終わりに発生して、今回二度目の越冬を終えようとしている。その間、引火しても全てボヤで収まっている。気になりますね。去年の夏に再び大火災と化していてもおかしくなかったのに」
「大火災が発生するより、ずっといいと思いますけどね」
エリオットは赤い鼻の頭をこすった。
「ドカンと一発こられるよりか、小規模な火災を小出しして鎮火してくれた方がありがたい」
「しかし、原理としてはおかしいです」
ステイシーは難しい顔している。着膨れして雪だるまのようになっている格好ではあまり示しがついてはいないが、その表情はまるで哲学者のようだ。もちろんエリオットは哲学者を見たことがないので、あくまで自分が想像する哲学者だが。
「自然の摂理から少しだけ外れた何かが、森で起こっている……」
ステイシーが呟いた。エリオットはぎくりとして、ステイシーの横顔を注視する。
「少し、様子を見てきます」
「え」
ガサガサと大きな衣擦れの音を立てて、ステイシーが歩き出した。エリオットは泡を食ったようにその後を追いかけた。
「様子をって、森に行くんですか!?ダメですよ。どうせまたボヤでしょうけど、危ないです!それに、火が消えても、地中で燻ってる火のせいで、煙とかが出てますし。それに親爺に、村長に怒られますよ!」
「大丈夫です。いざという時は心得ております」
「何を!?」
エリオットは遠ざかるステイシーと村長の家を交互に見やってから、自分もかつて暮らしていた村長の家の扉へ飛びついた。
「おばさん!ちょっと、森へ行ってくる!」
ドアを開けて叫ぶと、暖炉の前でくつろいでいた村長の妻にして、エリオットの母親代わりでもある女性が怪訝な顔で出てきた。
「森って、さっき鐘の音が聞こえたよ。危な」
エリオットは最後まで聞かずに、ドアをバタンと閉めた。
ステイシーは雪国の出身ではないと言っていた。そのためか、慣れない防寒具と雪道のせいで、彼女の歩く速度は非常に遅い。よって、エリオットはいとも容易くステイシーに追いつくことができた。
「あの、あ、アボットさん!行くというなら俺も行きます。一人ではダメです」
「そうですか」
ステイシーは歩くことはやめずに、顔だけをこちらへ向けてきた。
「それはありがたいです。しかし、エリオットさん。本当に怖くないんですか」
「怖くないですよ。なんともないと、さっきも言ったではないですか」
エリオットは腕を広げて、大仰に首を左右に振る。ステイシーは「なら、いいのです」と言って、初めて会った時のようにニコリと微笑んだ。
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