第2話 薔薇色の目をした猫の話

 翌日、エリオットが村の中心部へ魚を買いに出かけると、いつもと違った光景が目に付いた。


 頰や鼻先をほんのり林檎色に染めた子供達が、何やら興奮した様子でエリオットの前を走って行ったのだ。それだけならいつもと変わらないが、今日はやたらと人数が多いし、皆同じ方向へ走っている。何かがあるのだろうかと、エリオットは買い物を後回しにして、楽しげな笑い声とお喋りを響かせて通りを走っていく子供達の後へ続いた。


 やがて、ちょっとした人だかりができているのをエリオットは見つけた。ちょうど、村長の家の前だった。


 子供達だけではなく、大人も何人か、仕事の手を止めて、子供達がおしくらまんじゅうのように固まっている箇所へ目を向けている。やがて、子供達の間からわっと歓声が上がる。


 村長の家の扉を開いて、何者かが現れたのだ。


 その者の姿を見て、エリオットは「あ」と

声を漏らしていた。


 モコモコに膨れた雪だるまみたいなシルエットに、雪景色に映える銀色の髪。昨日、エリオットが出会った、語り部の女性だ。


 村長の家から出てきたということは、彼女はエリオットが昨日勧めたように、村長の元を訪ねて、この村の歴史やら伝承やらを聞きに行っていたのだろうか。そのままの流れで村長の家に宿泊。うん、ありそうな流れだと、エリオットは自分の育ての親でもある、厳つい村長の顔を思い浮かべた。


「まあ、小さなお客様方御機嫌よう」


 女は、自分を出迎えてくれた子供達へ、にこやかな表情で話しかけている。


「私の名前はステイシー・アボット。語り部をしております。今日はみなさんに、素敵な物語を見せてあげましょうね」


 物語を聞かせるのではなく、見せる、と彼女は言った。紙芝居でもするのだろうかと、エリオットは思った。語り部という生業があるのは知っているが、彼らがどのように物語を「語る」のか、実際見た事があるわけではない。大人が、子供達に寝物語に聞かせてくれるものとは、全く違うものなのだろうかと、ついエリオットも気になってしまった。好奇心、というやつだろう。


 ステイシーと名乗ったその女は、胸の前で木箱を大切そうに抱えていた。彼女の顔の幅ほどの、小さすぎず大きすぎずの、ちょうど良いサイズの木箱だ。彼女は、子供達の視線の高さと合うように木箱の位置を下げると、真鍮の留め具を外して、木箱の蓋を開ける。


 いつの間にか子供達の周囲に垣根を作っていた大人達に混じって、エリオットも木箱の中身を見た。そして、自分が童心に帰るのを感じた。


「さあ、皆はどれがいい?好きなのがあったら教えてちょうだい」


 そう言って、子供達の前へステイシーが差し出した木箱には、卵型の美しい工芸品が五つ、収められていた。真鍮でできているように見えるそれらは、表面にそれぞれ違った文様が彫られている。


 一番前の列にいた女の子が、「私、これがいい!」と言って、五つのうち一つの工芸品を指差した。それには、猫の文様が彫られている。


 ステイシーは、木箱の中から女の子の選んだ工芸品を取り出すと、木箱の方は地面から一段上がったところにある、村長の家の玄関ポーチへ置いた。


「選んだのは猫の物語ね」


 ステイシーは、片手で卵型の工芸品を持つと、もう片方の空いた手で、卵の頭頂部に当たる部分に突き出た小さなつまみを回す。すると、頭頂部から底にかけて、真鍮の表面が、花が咲くようにして五つに割れた。割れた真鍮部はいわば卵の殻で、その殻が蕾が綻ぶように咲いたことで、剥かれた卵のようにつるりとした表面の、愛らしい薔薇色をした宝石が顕になる。子供達の間からは、「わあっ」と歓声が上がった。


「こんな綺麗な、薔薇色の瞳をした特別な猫がいたのよ」


 ステイシーが、その美しい工芸品を手に掲げて、子供達へ語りかけた。


「毛並みはどんな色だったと思う?」


「黒!」


「白がいいな」


「私は茶色!」


 子供達の間から、口々と色の名前が飛び出る。


「ええ、どれもとても素敵ね。美しいわ。じゃあ、みんなもっと想像してみましょう。自分が一番綺麗だと思う猫の姿を。次は毛の長さね。長くてフサフサ?それともさっぱりと短い?尾の長さはどうかしら?」


 ステイシーの問いに、子供達は楽しそうに各々が想像してみた猫の姿を口にする。ステイシーは、それをニコニコした笑顔で聞き取り、子供達の騒めきが落ち着いた頃を見計らって、口を開いた。


「みんな、思い思いの猫の姿を思い浮かべたわね。でも一つだけ、共通点があるわよね。覚えてる?」


「薔薇色の目!」


 何人かの子供達が元気良く叫んだ。


「そうよ、その猫は薔薇色の目をしていたの。生まれた時からね。とてもとても美しくて、まるで宝石のようだったから、そのことをその猫はとても誇っていたし、自分以上に美しい目をした猫なんていないと思っていた。周囲の猫達もなんて美しいのだろうとその猫を讃え、自分もその美しさにあやかりたいと、その猫の周りはいつも賑やかで、華やいでいた。その猫の行く道の先々では、草木も虫も他の生き物たちも美しさを祝福した。その猫にとっては、それが当たり前なのよ。だって生まれた時から、そうなんだもの」


 ステイシーの手の内にある、主人公の猫の目と同じ色をした宝石。エリオットはそれを、吸い込まれるようにして見つめた。ほんの冷やかしだったはずなのに、彼女の吐く言葉に、いつの間にか魅了されつつある自分がいた。子供達も息を止めて、彼女の紡ぐ物語に聞き入っている様子だった。


「でもある日ね、その猫と同じ薔薇色の目を持つ猫が現れたの。そしてその猫は、他の猫たちに、美しさを分け与えたのよ」


 ステイシーが、ほらと、空を指し示す。


「澄んだ冬の、青空のような色」


 そして、ここからは眺めることのできない、ずっとずっと遠くに広がる海を。


「金の波を散らす、海のような」


 雪が溶け、新芽が萌え出でようとしている木々を。


「木漏れ日の降り注ぐ、陽だまりのような」


 彼女は、自分を見上げてくる子供達を見つめ返す。


「それぞれの猫に、それぞれの色の、宝石のような目を、与えたの」


 彼女の声が、溶け始めている白い雪が敷き詰められた地面へ、新たな雪のようにしんしんと降り積もる。


「そして、もう既に美しい目を持っていた、薔薇色の目をした猫には、何を与えたと思う?」


 誰も、声をあげずに、彼女の次の言葉を待った。彼女の薄い桃色の唇が、震えた。


「嫉妬の心」


 子供達の間から、ハッと息を飲む声が上がる。


「自分が一番美しかったはずなのに、自分と同じ目をした猫が、他の猫にもそれぞれ違った色の、宝石のような瞳を与えてしまった。そうなったらもう、自分は特別じゃなくなる。それどころか、自分の周囲に侍っていた猫たちは、自分たちにも美しさを与えてくれたもう一匹の薔薇色の目をした猫の方へ行ってしまった。その猫は、それをとても憎らしく思った。怒りも覚えたし、羨ましくもあった。ある日その猫は、自分と同じ色の目をした猫へ、こう言ったの。「一番美しいのは私だった。一番華やいでたのも私だった。お前がそれを全て奪った。奪ったのなら元に戻す事もできるでしょう」と。相手はこう答えたわ。「わかった。全てを元に戻そう」って」


 ステイシーは皆の前でそっと目を伏せた。


「そう言ってその猫は、目を閉じたの。それから、その猫が目を開くことは二度となかった。仲間たちの元へ戻ると、みんなの目は元に戻っていたわ。そして自分の目だけが、美しいままだった。でも、それで本当に全部戻ったわけではなかったの。以前のようにちやほやしてくれる者は誰もいなかった。みんな、目が元に戻ってしまったことを嘆いてばかりで、誰も自分を見てくれなかった。「話が違う」と、薔薇色の目をした猫は、目を閉じた猫へそう言った。目を閉じた猫は答えたわ。


「自分を美しいと思うその心を、他の猫へも向けなさい。そして彼らを慈しんで、見つめなさい」


 その後、薔薇色の目をした猫は、目を閉じた猫の言う通りにしたわ。それまで自分にしか向けてこなかった愛情を、初めて他者へ向けたの。すると、輝きを失っていた猫たちの目は再び宝石のような美しさを取り戻した。薔薇色の目をした猫はみんなから感謝された。その時にはもう、薔薇色の目をした猫の心には驕りも嫉妬もなかった」


 これはどこの国の物語なのだろうかと、エリオットは思った。聞いたことのない物語だった。けれど、どこか懐かしくて不思議で、温かい気持ちになる。そうするうちに、再び滑らかなステイシーの声が耳を打つ。


「薔薇色の目をした猫は、目を閉じた猫を探した。他者を慈しむことを教えてくれた。そのことに感謝の気持ちを伝えたかったの。けれど、あの自分と同じ色の目をした猫は、どこを探してもいなかった」

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