第3話

黒いそりはすっかり日が沈んだ都会の上空を走る。空は厚い雲に覆われ、あたりは薄暗く、見える光はビルやマンションに灯る灯りだけだった。

「さて、そろそろやるかな」

ブラックサンタクロースが手綱から手を離し、袋の方に振り返る。

「待ってください。今、人数分を出しますから……」

そう言って袋を開けようとする私を彼が制す。

「そんなことはしなくていい。まるごと"絶望のプレゼント"にするからさ」

それを聞いて私は目を丸くした。

「え、まるごとって……」

「お前が望んだことだろ?」

そうブラックサンタクロースは笑う。

「すべてのプレゼントを悪いプレゼントにして欲しいなんて言ってません!」

私がそう声を張り上げると

「そうだったっけ?」とブラックサンタクロースがとぼけてみせた。

騙されたんだ。私は顔を青くする。

このままだと他の人のプレゼントまで"絶望のプレゼント"になってしまう。

(プレゼントの種を守らないと!)

そう思い私が袋に手を伸ばす前にブラックサンタクロースが袋を掴む。

「まあ、待ちなよ」

ブラックサンタクロースは私を手で制しながら妖しく笑う。

「お前は憎くないの?自分はこんなに苦しんでいるのに、幸せそうに生きている奴らが。自分と同じ苦しみを味わって欲しいと思ったことはないの?」

ブラックサンタクロースに言われて私は言葉に詰まる。

「それは……」

『なんで私だけこんな目にあうんだろう?』

『どうして私だけこんなに苦しまなければならないんだろう?』

幾度となく考えたそれらの言葉が頭の中を駆け巡る。

ぞわりと黒い煙のようなものが私の周りを取り囲んだ気がした。それを見て愉悦そうにブラックサンタクロースが笑む。

「ちょっと待ってな。すぐにでも残りのプレゼントの種も奪って、全て"絶望のプレゼント"にして、この国にばらまいてあげるから」

そう言って顔を上げた彼が、「お、噂をすれば」と呟いた。

遠くから聞こえる鈴の音に振り返れば、白いそりがこちらに向かって走ってくるのが見えた。サンタクロースがこっちを見ているのが分かる。

「ねえ、ちょっと耳を貸してよ」

私は黙ってブラックサンタクロースの口元に耳を近づける。

「これからお前をこのそりから突き落とす」

彼の言葉に私は目を丸くする。それを見てブラックサンタクロースがにやりとする。

「心配するな、間違いなくあいつはお前を助けに行くよ。それであいつのそりに乗り移ったら、機会を見て残りの袋をこっちに渡すんだ。いいね?」

私は半ば無意識にこくりと頷いた。それを見て、彼が黒く笑う。

「よし。じゃあ行くよ?」

私が頷くのと同時に、彼は私を突き飛ばした。ぐらりと視界が揺れ、体が重力に従って落ちる。

ふわっと嫌な慣性力が働いたのは一瞬のことで、次の瞬間私はサンタクロースに抱きとめられていた。

「大丈夫?」

彼の顔が近くにあってどきりとする。しかし、すぐに自分に課せられた任務を思いだして首を縦に振った。

「……は、はい。ちょっとびっくりしましたけど……」

私は彼に抱きかかえられているのが申し訳なくなって、お礼を言うと体をよじり、慎重にそりに乗り移った。

顔を上げるとブラックサンタクロースがそりをこちらに近づけながら手招きをしている。私はサンタクロースに見つからないように静かに袋に近づいて、持ち上げようとした。

「ちょっと揺れるよ。気をつけて」

不意にサンタクロースの声がして、私はびくりとし、袋に伸ばした手を引っ込めた。

「は、はい」

クリスマスカラーの綱に掴まり、私は落ちないように踏ん張る。

ちらりと振り返れば手綱を握っているサンタクロースの背中が見える。

彼は私のことを気にかけてくれたのだ。こんな私のことを。

(……どうしよう)

私は袋を見ながら考える。

サンタクロースは、一度裏切られたにもかかわらず、私を助けてくれた。それ以外にも、自殺しようとしていたところを止めてくれたり、マグカップを割ったことを許してくれたりした。そんな彼の好意をこれ以上踏みにじっていいのだろうか。

「……」

私は躊躇してその場で立ちすくむ。ブラックサンタクロースが怪訝な顔をしてそりを思い切りこちらに近づけてくるのが見える。

(確かに、あの人達には嫌なことをいっぱいされた。悔しいことも、辛いこともあった。死にたいとも思った)

でもサンタクロースの彼は、他の人と違って私を一切拒絶しなかった。たとえそれが上辺だけのものだったとしても、私は嬉しかった。

あんな風に誰かに優しくされたのは、初めてのことだった。

「……」

私は目を瞑る。

(これ以上、彼のことは裏切れない)

そう決心すると、私はそりを蹴ってブラックサンタクロースのそりに飛び乗った。操縦席に座るブラックサンタクロースがこちらを振り返ったのが見えた。

私は一番軽かった袋をつかむと、それをサンタクロースのそりのほうに思い切り放り投げた。

「! お前、何をしてる!?」

ブラックサンタクロースが目を剥いて操縦席から立ち上がる。そして二つ目の袋に手をかける私に手を伸ばした。その袋も落とし、三つ目の袋をずるずると引きずっていた腕を掴まれ、乱暴に捻り上げられる。

「いっ……」

腕の痛みに顔を歪め、思わず袋から手を離す。

「余計なことを……」

ブラックサンタクロースがぎりぎりと歯ぎしりをし、私を突き飛ばした。私の体は残っていた二つの袋に激突する。

ブラックサンタクロースは手綱を握るとトナカイを操作し、サンタクロースのそりから距離を置いた。そして手綱を離すと座り込む私の前に立った。

私は袋を守るように腕で抱く。

「そこをどいて」

地を這うような声で彼が言った。

私は横に首を振ってさらに強く袋を抱きしめる。

「どくんだ」

肩を掴まれ、強い力でぐいと手前に引かれる。

「どうして、あなたはこんなことを……!」

私がそう問いかけるとブラックサンタクロースはぎろりと私を見た。

「お前には関係ないだろ」

彼は吐き捨てるようにそう言い、私の肩を掴んだままそりの端に追いやった。

「ひっ……」

背中から落とされそうになるのを、私は彼の腕を掴んで必死に耐える。そんな私を底なしに暗い瞳で見ながら彼が口を開いた。

「……どうせ、俺には誰もいやしないんだ」

(……え?)

そうぽつりとブラックサンタクロースが呟いた瞬間、私は肩を押され空中に投げ出されていた。

再び体が宙に浮く。

(――落ちる!)

「こっちだ!」

視線をめぐらせれば、サンタクロースが私に向けて手を伸ばしているのが見えた。私も思い切り手を伸ばし、彼の手を握った。

サンタクロースは私を引き寄せると、私の体を左腕に抱えて右手で手綱を握った。そして少しばかり早口で私に話しかける。

「君に頼みたいことがあるんだ。聞いてくれるかい?」

私は不安に思いながらも頷く。

「俺はこれから残りの袋を取り返しにいく。その間、このそりの操縦を君に頼みたいんだ」

「えっ……」

彼の言葉に私は困惑する。操縦なんて車くらいしかしたことがない。そんな私がこのそりを操縦出来るとはとても思えない。

サンタクロースが不安そうな顔をしている私の手を握る。

「大丈夫。この手綱を握れば、トナカイは君の思ったように動いてくれる。……君にしか頼めないんだ」

サンタクロースの真剣な眼差しを受けて、私は手綱をぎゅっと握った。

彼は私のことを信じてくれている。一度彼を裏切った私のことを。

元はといえば私のせいでこんなことになっているのだ。その償いが少しでも出来るのなら。

(それで、あなたの役に立てるのなら)

「やって、みます……」

そう言った私を見て、彼は柔らかく微笑んだ。

「ありがとう」

彼は元気づけるように私の肩をぽんと叩くと、操縦席から降りた。私が代わりにそこに座る。

「よし。まずはあのそりに近づいて」

私は頷くと、頭の中でブラックサンタクロースのそりに近づくイメージをした。するとぐらりとそりが傾き、トナカイ達がそちらに向かって走り出した。思ったよりすばやく動くトナカイ達に私は少し慌てる。

そりがぶつかりそうになるまで近づいたところでサンタクロースがブラックサンタクロースのそりに飛び乗った。そしてこちらを振り返ると、

「早く離れて」と素早く言った。

私は頷くと、必死に今度はそりから離れるイメージをした。

サンタクロースは私がそりから離れるのを見届けると、ブラックサンタクロースの方に向き直った。彼がサンタクロースのことを意地悪そうな笑みで見る。

二人が何かを話している。私のところからは何も聞こえなかったけれど、次第にブラックサンタクロースの顔が曇ってきたのが分かった。

何かをサンタクロースが言ったとたん、ブラックサンタクロースがサンタクロースに掴みかかった。そのまま二人はそりの上でもみあいになる。そりが大きくゆれ、トナカイが声を上げた。小さなそりのため、少しでも動いたら落ちてしまいそうだ。

(サンタクロースさん、大丈夫かな……)

何か手伝えることはないだろうかと私は思考を巡らせる。あと二つの袋をこっちのそりに移せれば、サンタクロースはこのそりに帰ってこられる。

一つの考えが私の頭の中に浮かんだ。成功するかは分からないけれど、それが出来れば残りの袋をこのそりに戻せるかもしれない。

私は手綱を握って、そりをブラックサンタクロースのそりに近づけるようイメージした。トナカイが方向を変え走り出す。

「サンタクロースさん!」

声を聞きつけたサンタクロースがちらりと私を見た。

「袋をこちらに蹴ってください!私が拾いに行きますから!」

サンタクロースの目を見て私は叫ぶ。彼は一瞬何かを考えた素振りをしたあと、頷いた。

彼は素早くブラックサンタクロースから離れると、そのついでに一つの袋を後ろに蹴っ飛ばした。

そりの後方から落ちる袋を私は必死で追いかける。

(間に合って!)

手を思い切り伸ばしたところにすとんと袋が落ちてきた。袋の感触に私はほっとする。

膝からずり落ちないように懸命に抱えながらそりを一旦遠ざける。そしてそりが安定してからゆっくりと袋を下ろした。

一連の動作を見てブラックサンタクロースが唇を噛み、私の方をきっと睨む。

「お前はそれでいいのか?」

彼が私に声をかける。

「この機会を逃したら、二度と奴らには復讐出来ないぞ。奴らはお前にしたことを忘れて、安穏と生きることになるんだぞ!」

ブラックサンタクロースの言葉にざわりと心が揺れた。しかしそれは一瞬のことで、すぐにそのさざ波は凪いだ。

「確かに悔しいし、彼らのことは絶対に許せないですけど……」

私はそう呟いたあと、顔を上げた。

「でも、私のことを信じてくれた人を裏切ってまで復讐をしたくはないんです」

過去のことにとらわれて、自暴自棄になってしまったら。せっかく与えられた友人を作るチャンスを自ら溝に捨ててしまったら。そうしたら、私は決して変われない。決して幸せになんかなれない。

それを聞いてサンタクロースが微笑んだ。反対にブラックサンタクロースが苦々しい顔をする。

「ブラックサンタクロース」

サンタクロースがブラックサンタクロースの方に向き直る。

「彼女を見習って、君もそろそろ変わる勇気を持ったらどうだ?もう君自身も気づいているんだろ?」

そう言うサンタクロースを憎らしそうに見る。

「君だって本当はこんなことをしたくないはずだ。ほら、こっちにおいで。彼女と一緒にプレゼントを配るのを手伝ってよ」

サンタクロースが伸ばした手をブラックサンタクロースが忌々しそうにはらう。

彼は私を睨んだ後、悔しそうに俯いた。

その様子を見てサンタクロースはやれやれといったように首を振ると、ブラックサンタクロースの額に手をかざした。

「! やめろ……!」

何をされるか気づいたブラックサンタクロースが顔を歪め、後ずさろうとする。その前に黄色の光が彼を包みこんだ。

「おやすみ、ブラックサンタクロース。いい夢を」

サンタクロースの言葉にブラックサンタクロースの体が光の中に溶け始める。

「やめろ!くそ、俺は……!」

苦しそうにもがきながらブラックサンタクロースが私を見た。その顔に少し哀しみの色が浮かんでいるような気がして、私は思わずどきりとした。

「ブラックサンタクロースさん……」

私が手を伸ばしたときには彼はほとんど消え失せていた。完全に彼が光に取りこまれると、彼を取り巻いていた光も消えた。そりの周辺は再びコバルト色に戻り、伸ばした私の手が掴んだものはひんやりとした冷たい空気だけだった。

とたんにぐらりとブラックサンタクロースのそりが揺れた。トナカイが声高く鳴き、そりの真中に亀裂が入ったかと思うと、ボロボロに砕けていく。

サンタクロースは素早く残りの一つの袋を持ち上げるとそりを蹴ってこちらのそりに飛び乗った。

そして立ち尽くしている私を見て、にっと笑ってみせた。

「さっきはありがとう。助かったよ」

彼の顔を見て、ふっと緊張の糸が解けたのが分かった。足の力が抜け、その場にへたりこむ。

サンタクロースが八つ目の袋を置くのを見て、私はほっとした。

(良かった、全部戻ってきて……)

そんな私に視線を合わせるようにサンタクロースがしゃがみ込んだ。そして笑みを作る。

「さて、あと一仕事だ。頑張ろう」

私ははっとして「はい」と頷いた。

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