第5話
◎第二次マズーリ湖攻勢
エーリッヒ・フォン・ファルケンハインは西部戦線で勝利を得るべきと考えていた。
だが、4個軍団が東部戦線のヒンデンブルクの元へと派兵された。
1915年1月にはドイツ軍の6%が東部戦線に展開されていた。
1月の終わりごろドイツ軍は毒ガスを用いてシレジア方面から攻撃しようとした物の風向きが変わった為に進軍が停止。
一方ロシア軍はとある軍団長が11個師団を率いて攻撃した物の僅か3日ほどで4万人を失う事になる。
マズーリ湖までにの東プロイセンには多数の塹壕が展開されており、ロシア軍の更なる侵攻を防いだ。それらはオットー・フォン・ペロー率いる独第8軍により防衛されていた。
新たに到着した軍団によって第8軍を強化し残りで第10軍を構築した。第10軍はヘルマン・フォン・アイヒホルンによって率いられドイツ軍の左翼を担い、ロシア第10軍の包囲を狙っていた。
ロシア第10軍の指揮官、シバース将軍は南西方面軍司令部にそちらに攻勢がある可能性を警告したものの無視された。
更にはロシア軍は第12軍をポーランド南西100キロの地点に集結させていた。
2月7日豪雪を押してフォン・ペロー率いる独第8軍は露第10軍に攻撃を開始、物資の補給が途絶えており、塹壕は浅く、有刺鉄線が殆ど張られていないなど準備していなかった。
翌8日独第10軍も攻撃を開始、積雪は人の背丈より高く、最初の2日間の攻勢は遅滞しまた、道路以外の地帯は泥沼の化していた為に戦闘は困難であった。
そのような状況で、1週間で120キロを踏破しロシア軍と衝突、多くの損害を出した。
ロシア軍の撤退に際し独第8軍は進軍速度をさらに早め、潰走とかしたロシア軍は多くの捕虜を出した。
ロシア軍は独第10軍の伸びきった側面に反撃をしたものの失敗。
2月18日にロシア第20軍団が降伏、21日に残存兵が降伏した。
ロシア第20軍団の英雄的な抵抗はロシア第10軍の撤退を支援し充分な防衛体制をとる時間を与えた。
22日、ロシア第12軍が反撃しドイツ軍のさらなる攻撃を停止させ、第二次マズーリ湖攻勢は終了した。
この戦いで9万2000人の捕虜と約11万人の戦死者、300門の火砲を喪失し、対してドイツ軍は7500人の捕虜を含む、1万6500人と14門の火砲を喪失したに留まった。
ドイツ軍はロシアへの足掛かりを獲得したものの、ロシア要塞の確保を失敗した。
オーストリア=ハンガリー帝国は攻勢に失敗し要塞を喪失以降ドイツ軍とオーストリア=ハンガリー帝国軍は綿密な連携をとる事となる。
◎ゴルリッツ=タルヌフ攻勢
オーストリア=ハンガリー帝国はロシアにガリツィア全土を制圧され、更にはイタリアとの挟撃を受けかねない危機的状況にあった。
更には一連の攻勢でオーストリア=ハンガリー帝国軍の損害は100万人を超えており、ドイツ軍の救援は必須であった。
ドイツ軍は列車500両を用いて8個師団をおくり、ドイツ第11軍を編成、指揮官をアウグスト・フォン・マッケンゼンとした。参謀長にはハンス・フォン・ゼークトを充てた。
全戦線で進撃し、ロシア軍を撃破しつつ漸進し44の要塞を持つプシェミィスルを奪還し凱旋したオーストリア=ハンガリー帝国の戦意を高揚させることに成功した。
ドイツ軍は次の目標を100キロ東のリヴィウに定めた。恐慌をきたしたロシア軍は潰走。
ロシア軍の指揮官ニコライ・ニコラエヴィチは6月21日にガリツィアの放棄を命令、合計310キロ進み480000トンの石油を確保。
その後ロシア軍はポーランドから撤退しマッケンゼンはドイツ軍とオーストリア=ハンガリー帝国軍を率いてルーマニアやセルビアを征服する事となる。
ドイツ帝国はロシア帝国に講和を呼びかけた物の個別講和を禁じた条項を守り、ニコライ二世は拒絶した。
ニコライ・ニコラエヴィチは解任されニコライ二世が就任した。
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