第3話

◎1914年オーストリア軍

オーストリア軍はセルビアへと侵攻、ツェル、コルビアの戦いでセルビア軍と戦闘するも侵攻開始から2週間で大きな被害を受け撤退した。

これは第一次世界大戦の連合国軍の最初の大きな勝利となり、オーストリア軍は大軍をセルビア戦線に割かねばならずロシア戦線が弱体化する事となってしまう。

セルビア軍のオーストリア軍への勝利は二十世紀一の番狂わせと呼ばれている。

しかし、オーストリア軍は市民などに対する攻撃を暗に認め、12月までにセルビア軍はその力を出し尽くしてしまう事になる。

12月7~15日にロシア帝国領のクラクフをオーストリア軍は占領以後カルパティア山脈冬季戦役で同盟軍はロシア帝国軍に善戦した。


◎西部戦線の戦争計画破綻と塹壕戦への移行

リエージュの戦い

1914年8月5日ドイツ第十軍団がベルギーのリエージュ要塞を攻撃を開始する

ドイツ帝国軍はオットー・フォン・エンミッヒやエーリヒ・ルーデンドルフが指揮する約1万名、対するベルギー軍はジェラール・ルマン率いる兵力約3万名。

リエージュはシュリーフェン・プラン上戦略的な要衝で占領は必須であった。故にドイツ軍は騎兵師団3個を基軸にフォン・エンミッヒ大将を指揮官にそして、ルーデンドルフを参謀総長にしたリューズ軍が編成される。

8月5日歩兵部隊はリエージュ全面に到着し攻撃を開始するが、堡塁に阻まれ歩兵随伴の小口径砲に効果はなく、機関銃に薙ぎ払われるだけであった。

リエージュ要塞は戦略的な要衝であるリエージュ市の防衛の為に作られたが、旧式化し砲をクルップ社に制作を依頼した為ドイツ軍に情報は筒抜けであったし利用されていたコンクリートも品質の低いものであったが当初は善戦する。ドイツ軍第14旅団長フォン・ヴッソーが戦死し指揮をルーデンドルフが引き継いだ。

6日に第14旅団が2個の堡塁を確保し更にツェッペリン飛行船による初の空襲が行われた。

騎兵師団がミューズ川を渡河しリエージュを包囲する構えを見せるとベルギー軍はリエージュ駐留の第3師団が撤退を開始、その時ルーデンドルフはルマン暗殺の為に部隊を送るが気づかれ、副官を射殺するに留まった。

ルーデンドルフはドイツ帝国軍がリエージュを占領したと勘違いし副官1人と乗り込む、つまり全軍より一番乗りを果たしリエージュ市長より降伏を受けた。

リエージュ市は降伏したものの行くもの堡塁が残されており、それは42センチ攻城砲ディッケ・ベルタによって破壊された。

十日間に及ぶリエージュ要塞守備隊の奮戦はドイツ軍の侵攻計画を2日おくらせフランス大統領はレジオンドヌール勲章を送った。


対仏戦

8月16日、リエージュ要塞を陥落されたドイツ軍は18日本命の攻勢を開始、連合国軍を包囲する様に起動した。

20日フランスは普仏戦争で失ったアルザス・ロレーヌへの攻撃を開始するもドイツ軍の反攻を受ける、国境の戦いと呼ばれる長大な前線でフランス軍は4万人死亡し戦線は膠着した。

マルヌ会戦てドイツ軍の攻撃は停止する。各軍の連携が取れず分断されドイツ帝国はフランスの席巻を断念せざるを得ずシュリーフェン・プランは完全に破綻する。

フランス軍にも打倒できる戦力は残っておらず次善の策の無い両軍は塹壕戦へと移行していく事になる。


小モルトケは神経衰弱を来たし後任の参謀総長はエーリッヒ・フォン・ファルケンハインは従前の策をとり西方に方を付けようとするも失敗戦線を拡大したに留まり北海からスイス国境まで続く長さ700キロにも及ぶ塹壕線が構築された。

ファルケンハインは帝国宰相ホルヴェークに最早勝ち目は無いと外交的解決を求めるもホルヴェークは拒否。

戦後に続く社会闘争の起因となる

11月、イギリス海軍は北海全域を戦闘区域と定め、ドイツ帝国への海上封鎖を決定。

しかしこれはパリ宣言への違反となる

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