十七

 次の日の朝、真君が目を覚ました。そのことを九十九さんから教えてもらい、僕は真君の部屋へと向かった。

「真君、おはよう。入って良い?」

 返事がなったけど、ゆっくりと扉を開いた。真君は、布団に横になり、天井を眺めていた。畳を踏んで、真君へと歩み寄ると、彼は顔をこちらに向けた。

「なんだよ? 入って良いって言ってないよ」

「うん、そうだね。ごめん」

 僕は、布団の傍で腰を下ろした。真君は、帽子を被っていなかった。隠すつもりもないようだ。

「何? お節介で、慰めに来たの?」

「慰めて欲しいのは、僕の方だよ」

 溜息をついて、畳に横になった。昨夜、偽物の妖結晶を持ち帰り、雫さんに会った僕達。しかし、真君は、緊張と疲労で、眠ってしまった。雫さんが夜更けに玄常寺に現れたのは、明日(つまり今日)、急遽引っ越すことが決まり、報告とお別れの挨拶にきた。という、ことにしておいた。そして、『妖結晶』は、やはり本物ではなかったと。その一連の嘘を、九十九さんが伝えたそうだ。真君以外の全員が、口裏を合わせることになっている。正直、嘘を付くのは心苦しいけど、現実はもっと苦しいのだから仕方がない。

 僕と真君は、利用されていたのだから。

 でも、本当に、利用されていただけなのだろうか? 確かに、雫さんの行動を考えると、そうなんだけど、彼女の本心はどうなのだろう? 雫さんも長縄縛寿に、操られていただけなのではないのだろうか? 三人で遊園地に行った時は、あんなにも楽しそうにしていたのに。そしてなにより、雫さんは僕や真君に、術をかけなかった。長縄なのだから、真君の出生の秘密も知っているはずだ。雫さんは、なるべく真君を傷つけないように、配慮していたような気もする。これは、ただの僕の希望でしかない。

「時はさあ、雫とお別れした?」

「・・・それが、できなかったんだよ」

「そうなんだ」

 真君は、理由を聞いてはこなかった。もしかしたら、何か感づいているのかもしれない。すると、隣から鼻を啜る音が聞こえ、顔を向けると、真君は布団を引き上げ頭まで被った。

「『妖結晶』はなかったし、雫はいなくなっちゃうし、何も上手くいかない。折角、初めて出来た友達だったのに。僕の大切な人達は、皆僕から離れていく」

 そんなことないよ。と、安っぽい言葉をかけることは、できなかった。言葉をかける余裕がなかったのかもしれない。僕の胸にも大きな穴が、ぽっかりと開いてしまったのだから。昨夜の雫さんの姿を思い浮かべると、自然と涙が零れてきた。真君の部屋には、二人分の泣き声が響いている。

「煩いな! 泣くならあっち行ってよ!」

「真君だって、泣いてるじゃないか!」

「ぼ、僕は、泣いてなんか・・・」

 布団の中からは、くぐもった泣き声が、聞こえていた。きっと、真君は、布団を噛んでいるのだろう。慰めて上げる気力が湧かない。一しきり声を上げた後、真君の荒い息遣いが聞こえた。

「また、雫に会えるかな?」

「会えるさ。てか、会えなかったら、僕が困る」

「僕の方が困る」

「いいや、絶対、僕だね」

 子供と子供染みた言い合いをしている、男子高校生の僕だ。

「これから、良い事って起こるのかなあ?」

「起こってもらわないと、困る」

「時は、困ってばっかりだね?」

 真君が、クスクス笑い、胸の奥が少しだけ軽くなる。顔を隣に向けると、真君と目が合った。暫く、互いに笑い合っていると、真君がさっと顔を隠した。

「願い事って、叶うのかあ?」

「そりゃ叶うでしょ? 叶ってもらわないと・・・」

「困る?」

「はは! うん、そう! 困る! で? 真君の願い事って何?」

「それは、内緒だよ」

「なんだよ? ケチだな? 僕と真君の仲なのに」

 僕は、腕を頭の下に敷いて、天井を眺めた。僕の願いは、なんだろう? これから、どういった『良い事』が起こったら、楽しく過ごせるだろう?

「僕の願い事は、三つあるんだよ」

 突然、真君が、恥ずかしそうに口を開いた。布団で顔を隠していて見えないけど、そんな気がした。

「うん、何?」

「一つ目は、おでこの目を無くしたい。二つ目は、もう一度家族と一緒に暮らしたい。それで、三つ目は・・・」

「三つ目は?」

「・・・玄常寺の皆と、もっと仲良くなりたい」

「そうか」

 天井を眺めながら、呟いた。

「一つ目と二つ目の願いは、叶うかどうか分からない。でも、何か方法があるのかもしれない。だから、その方法を探そう。僕が協力するから。それから、三つ目の願いは、もう叶ってるんじゃないかな? いや、もっとって言うなら、それは真君次第だよ。玄常寺の人達は、優しい人ばかりだから、真君も心開いて、皆に優しくすれば、すぐにでも叶うよ」

「・・・そうかなあ?」

「きっと、そうだよ。皆に願い事を打ち明けたら、協力してくれると思うよ」

 真君は、心を強く保つ為に、悪態をついていた気がする。素直になって、打ち解ければ、きっと皆は受け入れてくれる。

 真君の三つ目の願いは、彼自身が既に握っている。それをそのまま握り潰すのか、優しく育てるのかは、真君次第だ。別に女の子のように振舞えとか言うつもりは、さらさらない。そういうことではない。それも、真君の価値観であり、アイデンティティだ。価値観を押し付けるつもりも、変えさせるつもりもない。真君の思うがままで、少しだけ人の気持ちに寄り添うだけで良いのだ。

「ああ、お腹空いた!」

 真君が、大声を上げて、上半身を起こした。真っ赤な目を擦りながら、白い歯を見せる。

「今日の朝ごはんは、何かなあ? 皆に、時が泣いてたことを言いふらしてやらないと!」

 真君は、僕をジャンプで飛び越え、部屋を出て行った。

「ちょっと! 真君! そういうとこだよ!」

 真君を早く捕まえないと、僕の沽券に関わる。捕まえて、くすぐり地獄の刑に処さねば。

「真君! こらあ! 待ってよ!」

「へへへ! 待たないよお!」

 真君は、廊下を走りながら、上半身をクルリと捻って、こちらを向いている。舌を出して、『ベー!』と叫んだ。

 右手の人差し指を額の目の下にあて、下に引いている。


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