十六
石畳で転げまわる雫さんは、叫び声を上げている。もがき苦しんでいる。無意識の内に、僕は雫さんへと走り出していた。奇声を上げる雫さんは、吐血を繰り返し、のたうち回る。僕が雫さんの傍までやって来た時だ。まるで、噴水のように、真っ赤な鮮血が吹き出した。噴水の中から浮かび上がってきたのは、球体となった長縄縛寿であった。雫さんの血液で、真っ赤に染まった長縄縛寿が、薄ら笑いを浮かべ空へと昇っていく。
「あははは! 可愛い可愛い孫娘よ! 貴様は、しんがりを務めよ」
「・・・お、おじ・・・い、さま? ど、どうし・・・」
雫さんは、力なく横たわっていた。長縄縛寿がいた、その左胸には、大きな穴が空いている。えぐれた穴からは、ドクドクと真っ赤な液体が流れてきていた。
「長縄ああ!! お前は、自分が何やったのか、分かってるのかあ!!??」
夜空へ向かって、叫び声を上げる。全身が震える。
「染宮時。染宮清雲のせがれか。貴様のような半人前すら、手ごまにできぬとは、情けない限りだ」
長縄縛寿は、ドンドン浮上していく。
「覚えておけ! 歪屋! そして、六角堂に神槍! これは、序章に過ぎぬ! 貴様等の息の根を止めぬ限り、ワシは朽ちんぞ! 決してな!」
笑い声と共に、長縄縛寿は、孫娘である雫さんを置き去りに、夜の闇に姿を消した。このやり場のない怒りは、どこへやれば良いんだ! すると、突然、背後から肩を掴まれた。咄嗟に振り返り、睨みつけると、響介さんが無表情で僕を見下ろしていた。思わず、息を飲んで、頭に上った血が下がっていく。
「時、どきなさい。彼女を救うのが、先決だ。琥珀!」
僕が場所を譲ると、響介さんは腰を下ろし、左腕を真横に伸ばした。すると、琥珀がやってきて、響介さんの伸ばした左腕に噛みついた。
「え!? 何をやって!?」
琥珀の鋭利な牙が、響介さんの左腕に突き刺さっている。そして、琥珀が口を開けると、血液がダラダラと垂れた。響介さんは、眉一つ動かさず、そのまま左腕を、横たわる雫さんの上にかざした。左腕から垂れた血液は、雫さんのえぐれた左胸に落ちていく。こんなことをして、大丈夫なのだろうか? 医学的なことは、何も分からないけど、血液を相手の血管に挿入する時は、適合検査が必要なのではなかったか? 輸血にしては、明らかに雑だ。この行動の意図が計れない。
響介さんは、左腕を宙に浮かせたまま微動だにしない。やはり、僕は茫然と眺めていることしかできない。雫さんの体が、自身の血か、響介さんの血か分からない程に、全身真っ赤に染まっている。
「これくらいで良いだろう。九十九君、彼女を早急に病院へ。鍵助、宜しく頼むよ」
「かしこまりました」
「了解! なるほど、こういうことやったんでんな?」
九十九さんは、ゆっくりと雫さんを抱え上げると、琥珀の背に乗った。
「九十九はん、もっと詰めてや。ほな、行ってきまっせ!」
鍵助さんは、九十九さんの後ろに座り、三人は姿を消した。響介さんは、その場で背後に倒れていき、石畳に仰向けになった。僕が、響介さんを覗き込むと、彼は片目を開けた。
「一応ねえ、念の為に鍵助には、病院とリンクしといてもらったんだよ」
なるほど、そういうことだったのか。鍵助さんの能力は、登録した三か所に自在に行ける。一つは、六角堂家、もう一つが、ここ玄常寺だ。もう一つは、空けてあったのだが、こういう不測の事態の時の為に、空けていたのだ。
「銀将君、済まないねえ。君の付喪神を勝手に使っちゃって」
「構わねえよ。こき使ってやってくれ」
銀将君は、僕の隣に腰を下ろした。周囲を見渡すと、沢山の九十九君が、既にせっせと作業に入っていた。荒れた現状の復旧清掃班と、救命班に分かれているようだ。真君と祈子さんが、運ばれている。
「時、君もご苦労だったねえ」
「いいえ、僕は、何もしていません。ところで、さっきは何をしていたんですか? て、言うか、大丈夫ですか?」
響介さんは、横になったまま、顔色が悪い。血を出し過ぎて貧血になっているみたいだ。
「ああ、暫く、安静にしていたら、回復するよ。繋がったままなら、回収することができるんだけどねえ。離しちゃうと、ダメなんだよ。出血と同じことだからねえ」
言っている意味が理解できず、首を傾げた。すると、僕を見た響介さんが、軽く左腕を持ち上げた。そこには、琥珀に噛まれた・・・噛ませた歯形がくっきりと残っている。結構深く、突き刺さっていたようだ。
「まったく、琥珀老ももっと優しく噛んでくれたら、良かったのに。こんなにも深く突き刺すことなかったのにさ」
ブツブツ言っている響介さんの左腕は、もう血が止まっていた。すると、歯形の跡から、プツリと血か浮かび上がり、スルスルと流れていく。
上へと流れていく。僕は、瞬きを繰り返した。
「『血操術』と言ってねえ。歪屋の名と共に先代から引き継がれるんだよ。文字通り、先代の血液を血管に挿入するんだ。それで、適合した者が、歪屋を授かるんだよ。『歪屋の血液』に耐えられる可能性が高いから、世襲制なんだよ」
響介さんは、上へと伸びる赤い筋を様々な形や文字に変形させた。そして、宙を浮いていた血液が、響介さんの体内へと戻っていった。
「僕がやったのはねえ。あくまでも応急処置だ。彼女の出血を止めただけだよ。僕の血液で膜を作って、押さえたに過ぎない。後は、彼女の気力体力と医者の腕次第だねえ」
そういうことだったのか。顔を上げると、九十九君の一人が、響介さんを覗き込んでいた。響介さんも屋敷へと連れていこうとしているようだ。
「ああ、僕は大丈夫だよ。暫く、ここで休んでいくよ。何か、飲み物と食べ物を持ってきてくれると、ありがたいねえ。血が足りない」
九十九君は、コクリと頷き、小走りで屋敷へと向かった。
「それにしても、『妖結晶』なんていう代物は、実在したんですね?」
特に何の意識もせずに、独り言のように、声が漏れていた。あまりにも突飛過ぎて、現実味がなく、長編の映画を見た後のような、気怠さが付きまとう。きっと、その映画は、何の面白みもなく、ただただ陰鬱な駄作なのだろうけど。すると、響介さんが、大きく咳払いをして、お腹の辺りをさすった。そして、口元に手を当てて、口内から何かを取り出した。
「これが、『妖結晶』だよ」
響介さんが、光り輝く結晶を、顔の前にかざしている。玄常寺の五階にある保管庫から、真君が取ってきた物と同じ形をしている。血操術というものを応用し、体内に隠し持っていたようだ。
「これは、罪滅ぼしだと思って欲しいねえ。君を危険な目に合わせた。藍羽・・・いや、長縄雫をおびき出す為の餌にしてしまった。本当に、申し訳ない。真君にも、悪いことをしてしまったねえ」
虚ろな目で呟く響介さんを、責める気にはなれなかった。
「それってやっぱり、そんな凄い物なんですか?」
「ああ、そうだねえ。人間に『もののけ』の能力を、与えることができるそうだよ。特殊能力や身体能力は、人間より『もののけ』の方が優れているからねえ。そして何より、寿命が長い。永遠の命とまでは言わないにしろ、人間が追い求めている技術であることは、間違いないだろうねえ。僕には、その感覚は、さっぱり分からないけどねえ。終わりのない戦いなんて、苦痛でしかないからねえ。命の時間だってそうだ。有限だからこそ、大切にできるのにねえ」
正直、命の長さと言われても、ピンとこない。それは、僕がまだ若くて、時間の価値が、理解できていないからなのだろう。時間が欲しいという感覚が分からない。確かに、響介さんの言う通り、終わりのない戦いを想像すると、ぞっとする。ゴールのない持久走なんか、まさに地獄だ。
「長縄縛寿に目の敵にされていたのも、これが原因だよ」
響介さんは、もう一度左腕を持ち上げた。これとは、『妖結晶』のことではないようだ。何のことか分からず、首を傾ける。
「僕の血だよ。いや、『歪屋』の血だよ、僕は、血を受け継いで、『血操術』の能力も受け継いだ。だからそれは、『『もののけ』の能力を与える禁忌に当てはまらないのか? 歪屋だけが、なぜ特別扱いを受けているのだ? 昔からの習わしなど、関係あるか?』と言うのが、長縄家の言い分なんだよねえ。まあ、その言い分も分からなくもないけどねえ」
響介さんは、『妖結晶』を口に入れて、飲み込んだ。
「時、すまなかったねえ。後、すまないついでに、真君のケアも頼んだよ」
目を閉じた響介さんは、すぐに寝息を立てた。隣に顔を向けると、神妙な面持ちの銀将君が、小さく頷いた。
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