十三
雫さんの体温が、抜け落ちたかのような微笑に、思わず息を飲んだ。見とれてしまった訳ではなく、体温を奪われたように体が固まっていた。
妖刀、夜叉丸。
何のことだ? 首狩り夜叉丸という悪霊なら、足元の地下深くで捕らわれの身だ。僕の混乱した姿に、雫さんは笑い声を上げた。
「アハハ! やっぱり知らないんだ!? そりゃそうよね!? あなたの主人ですら、知らなかったのだから! 夜叉丸っていうのは、あの刀の名前なの! あなた達、夜叉丸を帯刀していない、ただの悪霊を捕えに行ったんでしょ? 傑作だね! そういうの何て言うか知ってる? 馬鹿丸出しって言うのよ!」
この人は、いったい誰だ? 確かに見た目は雫さんなのだが、僕の知っている雫さんではない。まるで、何かに憑依されてしまったかのように、人格が別人だ。
「笑っとれんのも今の内や。すぐ泣かしたるさかい、観念しい」
「あら? 良いの? あの祈子っていう『もののけ』、夜叉丸との相性がとっても良いみたい。いくら御三家でも、六角堂一人じゃ厳しいんじゃない? 両手を『縛って』おいたんだから、尚更よ」
「何やて!?」
神槍さんが、咄嗟に振り返った。僕も神槍さんと同じ方を見ると、既に銀将君と祈子さんが戦闘を行っていた。
そんな・・・銀将君と祈子さんが戦うなんて・・・妖刀、夜叉丸に精神を支配されているのだろう。
祈子さんが、銀将君を傷つけたいはずがないのだ。
「盃君。銀将君の助っ人に行ってあげて。ここは、僕に任せて」
響介さんが、歩み寄ってきて、恐ろしく冷たい目で雫さんを見下ろしている。
「なるほど。君がこれまで、銀将君にしていたことは、祈子君の反応を伺う為か」
「ええ、妬み嫉みは、夜叉丸の大好物なの。まさにおあつらえ向けね。それに、あの『もののけ』は、抜刀術に秀でているわね。まさに、鬼に金棒って奴ね?」
嬉しそうに目を細める雫さんに、僕は未だに現実味がない。茫然と雫さんを眺めることしかできない。神槍さんが加わった戦闘は、激化の一途を辿っていた。二人の御三家相手に、祈子さんは一歩も引けを取っていない。いや、祈子さんではなく、夜叉丸だ。いくら両手を封じられているとは言え、銀将君と互角以上に戦えるなんて。絶対、祈子さんは、そんなことを望んではいないのに。
なんて、惨いことをするんだ。
「ねえ、教えて。いつから、私を疑っていたの? まさか偶然、全員集合で待ち構えていた訳ではないでしょ?」
雫さんが薄ら笑いを浮かべると、響介さんは鼻から息を吐いて、両手を伸ばした。両手の拳を握り、手の甲を下にした状態だ。隠したコインを当てるゲームのような格好をしている。そして、右手を開いた。そこには、白い毛が三本乗っていた。
「やってくれたねえ。九十九君を三人もヤルとは、驚いたよ。侵入者の報告は、すぐに入ったからねえ」
「だって、仕方ないじゃない? 蟻みたいに、うじゃうじゃいるんだもの。ここに入ってくるの結構苦労したんだから」
「君は、真君に近づいて、取り入ったね? それから、目的の物を手に入れる為に、誘導した」
「ええ、その通りよ」
まるで、呼吸をするような気軽さで、雫さんは肯定した。
目的の物って、まさか・・・。
響介さんは、左手を開いた。左手の中には、長い黒髪があった。
「これは、君の髪の毛だねえ」
「さあ、どうかしら? それは、どこにあったの? そして、どうして、それが私の髪だと?」
「この髪の毛はねえ。古杉君の体内から出てきたんだよ。彼に色々問いただしたら、この髪の毛と一緒に色々吐いてくれてねえ。彼の大切な恋人の髪の毛だそうだ。こっそり取って隠していたそうだよ。健気だねえ。そして、盃君に摑まった時に、飲み込んで隠したそうだ。なんと言ったかな? ああ、そうだ、鬼髪大蛇だったかな? 君のことだろ? その長い黒髪で顔を隠していたんだ」
問いただすと言うか、神槍さんの拷問から出た証拠品だ。しかし、黒髪だからと言って、それが雫さんのだとは限らない。
「さあ? 何のことだか、サッパリ?」
「とぼけても無駄じゃて、小娘や。ワシの鼻は誤魔化せん。その髪とお主は、同じ匂いがするんじゃて」
下方から声が聞こえ、顔を向けると、純白の毛並みをなびかせた琥珀がいた。僕の足元に、玄常寺の古株であり、ご意見番であるところの琥珀が、座って耳の後ろを掻いている。
「ああ、そうか。あなたがいたんだったわね? そもそも、髪の毛を取るって何? 超キモイ。はあ、人選を誤ったわね」
「そ、それじゃあ、雫さんが鬼髪大蛇なんですか?」
まるで、自分の声じゃないみたいに、極寒の中にいるように震えている。雫さんは、僕を見て、ニコリとほほ笑む。すると、雫さんの長い黒髪が、一瞬で顔に巻きついた。
「鬼髪大蛇なんて『もののけ』存在しないわよ。私が適当に名乗っただけ」
息が止まった。顔を髪の毛でグルグル巻きにした、気味の悪い生物がそこにいた。いや、『もののけ』か。
「雫さんは、『もののけ』だったんですね?」
「いいえ、違うわよ。いや、違わないか・・・今となっては、どっちなんだろうね?」
髪の毛を解き、現れた雫さんの美しい顔は、非常に寂しそうな表情をしていた。雫さんの言っていることの意味が、まるで分からない。
「それじゃあ、元町先輩の部屋に、髪の毛グルグル男を吊るしたのも、それを夜叉丸に掴ませたのも、全部雫さんの仕業だったんですか?」
「ええ、そうよ」
「で、でも、元町先輩とは、友達だったんですよね? どうして、そんなことを・・・」
「友達よ。使えるって思ったから、近づいたの。利用価値がある者のことを、友達と呼ぶんでしょ? あなたも真君も大切な友達よ。いや、友達だった、かな?」
膝から崩れ落ちそうになった。歯を食いしばって、必死に立っている。本当は、今すぐにここから逃げ出したい。でも、そういう訳にはいかないんだ。
「まさか、元町先輩が九十九さんを刺したのも」
「ええ、勿論、私が操作したの。私の髪の毛は、とっても便利でね。体内に侵入させて、支配することができる。つまり、陽衣子の体内には、まだ私の髪の毛が残っているのよ。この意味が分かる?」
瞳孔が開いていくのが分かった。つまり、元町先輩の命は、雫さんが握っているということか。人質をとっているという脅しだ。
「ああ、それなら、問題ないねえ。原因が分かれば、おのずと対処法も分かるもんだからねえ。盃君が、上手いことやってくれたよ」
ホッと胸を撫で下ろす。夜叉丸の体内に髪の毛があったことから、元町先輩もと調べてくれたのだろう。僕達が地下探索を行っている間に、全てを終わらせていたのだ。僕は、深呼吸をして、真っ直ぐに雫さんを見つめた。雫さんも僕を見返してきた。
「それで、雫さんの目的は、何だったんですか?」
「聞かなくても、もう分ってるんでしょ? 時君って、意外と意地悪なのね?」
「誤魔化さないで下さい」
「『妖結晶』を手に入れる為よ。まあ、ちょっと、焦り過ぎた結果が、このざま。でも、他に方法がなかったのも事実。悩ましいわね」
まるで、台詞を読むように、感情が抜け落ちているように感じた。
雫さんは、『妖結晶』を手に入れる為に、元町先輩に近づいた。そして、元町先輩の部屋の格子窓に、捉えた『もののけ』である髪の毛グルグル男を吊るした。玄常寺に近づく為に、僕に近づき、調べさせた。その結果、夜叉丸と遭遇し、彼を印象付けた。そして、その裏では、狼男の古杉さんに接触し、恋心を抱かせ利用した。考え過ぎかもしれないが、僕も古杉さん同様、手玉に取られて利用されていたのだろう。恋心を抱いた男は、御しやすいのかもしれない。二段構えだ。元町先輩にしろ、古杉さんにしろ、夜叉丸にしろ、きっと玄常寺に混乱を招くのが目的だったのだろう。
混乱に乗じて、奪う算段をつけていたのかもしれない。
その過程で、真君という歪で不安定な存在を発見し、利用する事に決めた。真君の能力と生い立ちの不遇は、うってつけの人選だったのかもしれない。そして、真君に『妖結晶』の情報を流し、実物を運搬させるつもりだったのだ。一般人のフリをしながら、『もののけ』が目視できていたのだ。
―――どうして、雫さんが、『妖結晶』の実物を知っているんだ?
僕が、雫さんに顔を向けた時に、響介さんが一歩前に出た。
「君は、『長縄』の関係者なんだろ?」
「え? 雫さんが?」
全身の毛穴から、汗が吹き出した。雫さんが、御三家の長縄の関係者? しかし、そう考えると、色々と辻褄が合ってくる。
「ええ、そうよ。藍羽っていうのは、母の旧姓なの」
雫さんが、クスクスと笑い、作り物のような笑みを見せた。
「私の名前は、長縄雫。あなた達に倒された長縄縛寿は、私の祖父よ」
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