「アラアラアラなんですの? この重苦しい雰囲気は? 殿方ばかりが集まって? 響介様。お久しぶりでございます」

「やあ! 鏡々! すまないが、今ちょっと立て込んでいてねえ」

 片手を上げて笑みを浮かべる響介さんは、チラリと古杉さんを見た。僕は、ハッとして息を飲んだ。古杉さんを見てから、響介さんの笑みがいかがわしく変化したのだ。何か、良からぬことを考えている顔だ。

「古杉君? もし、迷惑でなければの話なんだけどねえ。僕も君みたいな体質の『もののけ』は、お目にかかったことがないんだ。後学の為に、実演を願いたいのだが、構わないだろうか?」

「は? 実演とはいったい何を・・・?」

 古杉さんは、あからさまに困惑した姿を見せているが、響介さんは構うことなく手招きをしている。呼ばれた鏡々さんが、体をくねらせながら歩を進め、響介さんの後ろに座った。座る直前の足元の着物を丁寧に手で押さえる所作が、妙に色っぽい。鏡々さんは、僕を見て艶やかな唇を緩やかに上げた。僕は、慌てて頭を下げる。響介さんは、口元に手を当てて、背後の鏡々さんに内緒話をしている。隣にいる僕にも全く聞こえない。

 数度頷いた鏡々さんが、目を三日月状にして、スッと立ち上がった。紺色の着物を着ている鏡々さんは、真っ白で華奢な両肩を晒している。そして、雫さんよりもボリューミーな胸で、着物がずり落ちないように止まっている感じだ。鏡々さんは、大きなお尻をくねらせながら、古杉さんの元へと歩いていく。悪巧みの共犯者が、獲物へと接近していく。古杉さんは、分かり易く狼狽えていた。古杉さんの隣に座った鏡々さんが、妖艶な笑みを浮かべ、彼を見つめていた。古杉さんは、目のやり場に困っているようで、落ち着きがない。すると、鏡々さんが、古杉さんの手に触れた。そして、自身の胸元へと古杉さんの手を誘導する。着物が重なっている胸元へと、手を滑り込ませた。

「あっ!」

 僕と古杉さんが、同時に声を上げた。その瞬間、古杉さんの褐色の顔が、見る見るうちに真っ赤に染まってゆく。すると、古杉さんの体が、徐々に変化していった。

 全身から、茶色くて硬そうな体毛が生え、口からは、牙が飛び出し、爪が鋭利の刃物のように伸びたのだ。

「ほう。なるほど。そう言う事か」

 響介さんが、胡坐の上で頬杖をつき、歯を見せ笑っている。

「や! 止めて下さい!」

 完全に狼男へと変貌した古杉さんが、鏡々さんの胸元から手を引き抜き、拳を振り上げた。

「鏡々さん!」

 僕が叫び声を上げて、駆け出したが、間に合わなかった。古杉さんが振り上げた拳が、鏡々さんを殴りつけたのだ。

 バリンッ!!

 何かが砕ける音が響いたかと思うと、鏡々さんの姿が蜘蛛の巣のようにひび割れ砕け散った。僕が茫然と、状況を眺めていると、背後から小さな笑い声が聞こえ、振り返った。

「クスクス。戯れが過ぎました。ごめんなさいね。お陰で、良いものが見られましたわ」

 響介さんの背後で、鏡々さんが、着物の袖を口元に当てていた。

「いやいや、悪いのは、僕だ。鏡々、どうもありがとう。そして、古杉君無粋な真似をして、すまなかったねえ。でも、君も彼女の胸に触れて、良い思いをしたんだから、これでチャラってことにしてもらえないかねえ? 君の恋人には、内緒にしておくからさ」

 響介さんが、脅迫染みた和解交渉をし、古杉さんはおとなしく拳を下ろした。それで、納得したのだろうか? 腑に落ちないのは、僕だけなのだろうか? 古杉さんが大きな狼男の姿で、畳に腰を下ろした。力なく項垂れている。こうなる現実を理解し、想像通りのことが起きてしまい、古杉さんは参っているように見えた。

 勿論、彼女さんに殴りかかったりする訳はないけれど、狼男の姿は、流石にと言って良いの分からないけれど、威圧感があった。遠巻きで見ていた僕でさえ、恐怖を感じた。見るのと聞くのとでは、大違いだ。実際、彼女さんが、目の前で変身を見たら、どうなるのだろう? どう思うだろう? 例え、同じ『もののけ』だとしても、畏怖の念を抱いてしまいそうだ。

 古杉さんは、茫然と畳を眺めている。大きな手をゆっくりと持ち上げて、自分の顔面を掴んだ。尖った凶悪な牙の隙間から、小さく声が漏れる。

 泣いているように見えた。

 古杉さんは、必死で歯を食いしばって、声が漏れないように、涙を零さないように、懸命に抗っているみたいであった。

「やっぱり、もう無理だ。限界だ。彼女を傷つけてしまうと思うと―――怖くて怖くて、堪らない」

 古杉さんは、弱々しく呟き、歯ぎしりのような音を立てた。

「俺を人間にしてくれ・・・無理なら、せめて・・・」

 古杉さんは、溢れる唾液を飲み込んだ。

「俺を殺してくれ」

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