千年階段(僕が勝手に名付けた)を上り切り、入り口と対になっている鳥居をくぐる。そこで、九十九さんとは、分かれた。これから、皆の食事を用意している九十九君達と合流し、手伝うそうだ。九九人いる九十九衆は、皆が手分けして、玄常寺の身の回りのお世話をしてくれている。まさに、縁の下の力持ちだ。まだ、働くのかと、僕は遠ざかる小さな背中に尊敬の念を込めた。

 境内を歩き、本殿の脇を通り抜けると、僕達の居住スペースがある。ここにきたばかりの時は、あまりの広さによく迷っていたけれど、今では真っ直ぐ目的地へと行ける。本殿と居住区を隔てる木製の壁に設置されている扉を開ける。扉を潜ると、そこには立派な日本庭園が広がっているのだ。だいぶ、お金がかかっているみたいだ。玉砂利が敷き詰められ、様々は植物や大きな岩、大きな池が存在し、ライトアップされている。僕は、飛び石をスキップするように渡る。すると、立派な樹木の前で、しゃがみ込んでいる人がいる。

「祈子(いのりこ)さん! ただいま!」

 立ち止まって、僕が声をかけると、分かりやすくビクッと細い方を震わせていた。そして、僕の姿を確認すると、慌てて立ち上がった。

「あ、ああ。時君。おかえりなさい」

 慌てた様子で、祈子さんは、両手を背後に回した。隠したと表現した方が正しい所作だ。

「そんな所で、何をしていたんですか? 今、何か後ろに隠しましたよね?」

「え? え? な、何も隠してなんかないわ」

 裏返った声を上げ、視線は宙を彷徨っている。なんて、分かり易い人なのだろう。僕が、ジィーと祈子さんを凝視していると、観念したように、ゆっくりと背後に回した手を差し出した。祈子さんの両手の上に載っていたのは、太い枝などを切断する剪定用のハサミであった。なんだ、庭木を剪定していたのか。こんな暗がりに? どうして、わざわざ隠したのだ? 僕が首を傾けていると、祈子さんは居心地が悪そうに、足踏みをしている。

「あ、あの・・・このことは、響介さんには、内緒にしてね」

「え? まあ、別にわざわざ報告することでも・・・」

「そ、そうじゃないの! そ、その・・・私・・・響介さんの許可なく刃物を持つことを禁止されているから・・・」

 それは、知らなかった。なぜ、禁止にされているのだろうか? 単純に疑問が浮かび、彼女に投げかけた。すると、彼女は胸の前でハサミを抱え、俯いてしまった。徐々に小さくなっていくようにも見えた。僕は慌てて、両手を振った。

「ご、ごめんなさい! 別に言いたくなかったら、言わなくて大丈夫です! 安心して下さい! 響介さんには、絶対に言いませんから!」

 僕が全力で慌てて見せると、祈子さんはバッと顔を上げて、僕に駆け寄ってきた。そして、僕の手を掴んで、目を細めた。

「ありがとう! 時君! あなたって良い人ね! あなたのことは、嫌いじゃないわ!」

 そう言い残し、祈子さんは、屋敷の中へと入っていった。僕は、驚いて、まだ心臓が暴れている。ハサミを掴んだまま手を握られるとは、思わなかった。まだ手には、ハサミのひんやりした感触が残っている。

 匙(さじ)祈子さんは、スレンダーな女性だ。いつも真っ白なワンピースを着用している。ハイネックで長袖のやつだ。そうとう、お気に入りなのだろう。肩まであるストレートの髪は、若干茶系の明るい色が入っている。そして、一番特徴的なのが、常に大きなマスクを装着している。つまり、祈子さんが露出させているのは、目元回りと手だけだ。丈も地面スレスレで、たまに足がチラリと見えるくらいだ。

 どうして、刃物の使用を禁止されているのか、謎は深まるばかりであるが、本人が知られたくないのであれば、興味本位で詮索するのも失礼だ。

 気を取り直して、飛び石を渡っていくと、玄関の前で真っ白な大型犬である琥珀(こはく)が眠っていたので、僕は気が済むまで、体をこねくり回した。玄常寺の番犬(にしては、おとなしいが)として飼われている琥珀は、鬱陶しそうに僕を睨みつけた。噛まれたら困るので、僕はそそくさと手を引っ込め、屋敷の中へと入った。

「ただいま!」

 僕が屋敷の中に声をかけると、九十九君が駆け寄ってきて、手を差し出す。彼の小さな手に、僕の学校カバンを渡した。今では、この動きもスムーズにできるようになった。ここにきた当初は、カバンを預けるという行為が、どうにも馴染めず気が引けていた。わざわざ、持って頂くことが恐縮過ぎたのだ。僕は別に偉い訳でもなんでもないのだから。なんなら、同じ歪屋に仕える対等な者同士だ。しかし、どれほど断っても、九十九君は首を振りながら、僕の後をついてくるのだ。暫くして、九十九さんに言われた。

「それが、あの者の仕事なのです。どうか、働かせてやって頂けませんか?」

 そんな事を言われてしまえば、もうお任せするしかない。

 九十九君と廊下を歩いていると、帽子を被った小さな背中があった。背丈は九十九君と同じくらいだ。僕は背後から声をかける。

「ただいま、真(まこと)君。料理を運んでるの? 手伝うよ」

 しかし、真君は、振り返るどころか、立ち止まりもせず、前を見据えて歩き続ける。あれ? 聞こえなかったのだろうか?

「真君! 手伝うよ!」

 ピタリと足を止めた真君は、ゆっくりと振り返った。手には大きな皿があり、魚の煮つけが美味しそうな湯気を発している。

「うるせえな! 聞こえてるよ! 今、忙しいんだよ! 見りゃ分かんだろ? 鬱陶しいから、僕にしゃべりかけてくんじゃねえよ! まったく!」

 はい、小学四年生に暴言を吐かれました。真君は、悪態をついて、スタスタと廊下を歩いていく。僕は少し傷つき、その場で立ち尽くしていた。すると、九十九君が、優しく背中に手を当ててくれて、何故だか泣きそうになった。九十九君の優しさが身に染みる。背丈は、九十九君と同じくらいなのに、態度が驚く程悪い。少しは、九十九君を見習って欲しいものだ。爪の垢でも煎じて飲めば良い。どれだけ、注意をしても言葉使いは直さないし、家屋内でも帽子を脱がない。まるで、顔を隠すように、いつも深々と帽子を被っているのだ。一度、響介さんに相談したけれど、放っておくように言われた。

「価値観やアイデンティティは、人それぞれだからねえ。それを矯正しようとするのは、いけないねえ」

 だって、あんな態度や言葉使い、良くないじゃないか! 女の子なのに!

 とは言えなかったけれど。僕もいい加減諦めモードだ。どれほど、注意しても暴言を吐かれ、聞く耳を持ってくれない。『真ちゃん』と、呼んだ日には、烈火の如くキレられた。それから、ひたすら無視の日々が続いた。最近ようやく返事をしてくれるようになった。暴言という返事を。

 鳳凰寺(ほうおうじ)真君のアイデンティティとは、いったいどのようなものなのだろうか? 鳳凰寺家と言えば、日本有数の財閥のはずだけれど、その辺も何か関係しているのだろうか? どうして、あんなに小さな子供が、この玄常寺で奉公人をしているのだろうか? 研修とか修行の一環なのだろうか? まだまだ、分からないことだらけだ。フィクションの世界では、たまにお目にかかる『僕っ娘』に遭遇し、どう接すれば良いのか分からないとも言える。

 長い廊下を突き当たり、襖を開けると、大きな和室の広間がある。広間の中心には、大きなテーブルが設置されており、所狭しと美味しそうな料理が並べられていた。テーブルの上座にあたる場所に、響介さんが座っている。僕は足早に響介さんの元へと向かい、正座して手を付いた。

「響介さん。只今、戻りました」

 僕が礼儀正しく、折り目正しく、挨拶をすると響介さんは、お猪口の中の酒を一気に飲み干した。そして、タンッとテーブルにお猪口を置いた。

「時、いつも言っているだろう?」

 響介さんを挟んで、僕の反対側にいる九十九君が、お猪口に酒を注ぐ。そして、響介さんはお猪口に口をつける。

「固い! 固いんだよ! 君は! 息が詰まりそうだ! 昔みたいに、『響介兄ちゃん!』って呼んでごらんよ! さあ、さあ」

「お断りします」

「かー固いねえ、本当にどうも。もっと、お気楽極楽に生きていかなきゃ息が詰まっちゃうよ? 生き詰まっちゃうよ? さあさあ、グイっと飲んで」

 響介さんは、飲みかけの酒を勧めてくる。僕は手の平を見せて、お猪口を押し返した。

「未成年なもので、結構です」

「クソ真面目だねえ? まったく、誰に似たんだかねえ? 法律も大事だけど、もっと柔軟な思考を身に着けたほうが良いねえ」

 響介さんは、酒臭い息をまき散らし、愛用の煙管に火を落とした。

 この人物こそが、玄常寺の住職であり、僕達の主人だ。この軽薄でチャラい男が、現『歪屋』である。酒を飲むし、煙草も吸う。まさに、生臭坊主だ。響介さんは、何代目の『歪屋』なんだっけ? この『歪屋』の称号も何百年と受け継がれてきていると、聞いている。確か響介さんは、歴代最年少で『歪屋』を継承したはずだ。そんな凄い人には、まるで見えない。

 『歪屋』の役割は、時代によって変化しているそうなのだが、概ね『中立』というのが、理のようだ。現在、三大霊能力者家系である『六角堂』、『神槍』、『長縄』通称御三家が、君臨している。その中間に入り、秩序や権力の暴走などを監視・制御する役割を果たしている。そして、『歪屋』は、人間社会にも深く関係しているようで、警察のお偉方もたまに訪問してくる。理由は、聞かされていないのだが、それ故警察とも強いパイプを持っているそうだ。だからなのか、こんな立派な屋敷に住めていると言われると、納得せざるを得ない。肌身を持って感じないけれど、絶大な権力と財力を持っているそうだ。なんとも、きな臭い話だ。いずれ、僕もその辺りに、深く関わっていくことになるのだろう。話が壮大過ぎて、荷が重い。

「それでは、揃ったね? では、頂こう」

 響介さんの合図で、皆が食事を取り始めた。この光景も今では、だいぶ慣れてきた。テーブルを囲んでいる僕達を取り囲むように、九十九衆が僕達を取り囲んでいる。最初の方は、とてつもなく居心地が悪かったのを覚えている。慣れとは、怖いものだ。九十九衆は、食事を取らないそうで、ご飯やお茶のお代わりなどを率先して行ってくれている。食事の減り具合を確認し、おかずを追加してくれる。なんとも仕事のできる執事だ。皆が、一様に同じ姿をしている。これも慣れてしまえば、制服のようなものだ。卵の殻のような仮面を被っているけれど。

「それはそうと、時? 学校の方は、どうだい? もう慣れたかい?」

「はい、慣れました。皆、良くしてくれて、楽しく過ごしています」

「そうか、それは、なによりだねえ! ところで、好きな子はできたのかい?」

突拍子もないことを突然言われ、しかも皆が見ている前で、僕は盛大に吹き出してしまった

「汚いなあ! 口をしっかり押えろよな! 馬鹿時!」

むせ返って前が見られないが、あの暴言は間違いなく真君だ。すかさず、九十九君の一人が、タオルを差し出してくれて、背中をさすってくれた。本当によくできた執事さんだ。僕がテーブルや畳に、盛大にまき散らしてしまった残骸を綺麗に拭き取ってくれている。

 恋愛にかまけている暇なんかない。まあ、若干、微小に、ほんのちょっと、一ミクロン程、気になる存在はできたけれど。高嶺の花に、一歩くらいお近づきできたけれど、そんな大層な話ではない。そんな大袈裟な話ではないのだ。気のせいか、祈子さんに、ガン見されている気がするが、気が付いていないフリをする。やはり女性だけに、この手の色恋話には、興味がありそうだ。

 僕は喉の詰まりを解消するべく、話を誤魔化す為に、大袈裟に咳払いをした。そう言えば、肝心なことを忘れていた。今日の放課後の出来事を響介さんに報告しなければ。報連相は、大切な業務だ。

 僕は、学校での出来事を響介さんに、報告した。最初は、嬉しそうに前のめりに聞いてくれていた響介さんであったが、徐々に聞く態勢は崩れていき、今では僕を見てもいない。祈子さんも興味が削がれた感満載で、今では黙々と料理を口に運んでいる。真君に至っては、はなから僕の話に興味がなかったらしいが、『なんだ仕事の話か、つまんねえ奴』と、ヤジだけ飛ばしてきた。

くそ、なんなんだ、こいつ等は!

僕が、落胆しながらもなんとか、最終章まで話し切ると、響介さんはお猪口をテーブルに置き、『フム』と顎髭に触れた。

「なるほど。それで時は、その元町君と藍羽君のどちらと『いいこと』をしたいんだい? ひょっとして、両方なのかい? いやはや、君もなかなかやる男だねえ」 

「はい? 僕の話をちゃんと聞いてましたか?」

「もちろん聞いていたさ。君がお代を取らずに、仕事をするという話だろ? それならば、相応の見返りを求めて然るべきじゃないのかい? まさか、無償の愛なのかい? それならば、どちらに無償の愛を注ぐんだい?」

 僕は返答に困ってしまい、絶句した。見返りを求めないといけなかったのか? つまりは、料金提示をしなければ、いけなかったのか? 確かに、玄常寺は、ボランティア団体ではないことは、知っている。しかしながら、料金設定の話は、聞かされていなかった。そして、僕を憂鬱のどん底に叩き落している原因は、仮に今から料金設定を聞かされたとしても、どうやってクライアントに説明すれば良いかということだ。後出しジャンケンも甚だしい。無知が故に、安請け合いしてしまったことへの後悔の念に苛まれている。僕は恐る恐る響介さんに尋ねた。

「あ、あの・・・今回の案件のお代は、どれくらいですか?」

「うーん、そうだねえ? 君は、まだ高校生だからねえ? キスとか胸をもませてもらうくらいが、丁度良いんじゃないかい? あ! キスと言ってもフレンチだよ? 濃厚なのは、性的暴走を招く引き金になりかねないからねえ! 健全で健康的な高校生活を送るべきだねえ!」

 開いた口が塞がらないとは、まさにこのことだ。真剣に陰鬱な気持ちになっていたのに・・・生臭坊主は、ケラケラと笑っている。いっそのこと、謀反を起こすかの如く、卑しく笑っているこの男の横っ面を引っ叩いてやりたい。

「歪屋殿。鳳凰寺殿がおられる前で、そのようなはしたない会話は、お控えになられた方が、宜しいかと・・・」

 僕が、拳を握りしめて響介さんを睨んでいると、僕と響介さんの間にスッと黒光りする卵の殻が滑りこんだ。そして、九十九さんが、響介さんに耳打ちした。すると、響介さんは、チラリと真君に視線を向けて、咳払いをする。

「と、まあ、冗談はさておき、時? 困っている人は、助けて御上げなさい」

 今更体裁を整えても、もう遅いぞ! 喉まで出かかった声を必死で飲み込んだ。祈子さんは、完全に我関せずと無視しているし、真君の頭上には『?』が飛んでいる。僕が言い訳したり、フォローするのは、面倒なので、僕は湯気の立った美味しいご飯を頬張った。

「まあ、話を聞く限り、特に問題はなさそうだけど、念の為にも用心しなさい。鍵助が同行してくれるなら、問題ないだろう。最近、なにかと物騒だからねえ。時、これだけは、覚えておきなさいよ」

「何ですか?」

 僕は、不信感を露わに、米を咀嚼しながら、予定調和的に口を開いた。

「自分で何とかしようとせず、何かあったらすぐに引きなさい。分かったね?深追いは禁物だよ。僕が言うのもなんだけど、鍵助は軽薄でどうしようもない馬鹿だけど、一応専門家だ。専門家の意見は、素直に聞くこと。良いね?」

 ああ、軽薄なことは、自覚していたんだ。と、感じながらも、真面目な表情で僕を真っすぐに見据える響介さんに、力強く頷いた。

「よし! じゃあ、景気づけに一杯いっとこうか?」

 僕の口元に伸びてきたお猪口をかわし、魚の煮つけに箸を伸ばした。

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