第5話 人間vs蟲 その1

「ところで、どうなの怪我は。あいつと立ち回りぐらいできそう?」


 少女の隣に腰掛ける。

 丁度、給水棟の裏に段差があり、不本意ながら俺はそこに並んで座ることにする。


 もうじき二十台も後半になる俺にとって見れば、隣の彼女は少女といっていい年齢だ。それが俺の事を初対面で呼び捨てにしてしかもタメ口だ。日本の若者の将来に少し思いを馳せたくなる。


「愚問だな。例えどんな怪我でも、この腕一本あればアイツぐらいなら両断できる」


 どうしてこんな状況になったのか。

 参加を決め『果実』を喰らい、決死の覚悟で望んだはずのこの『宴』。そのはずが、普段は絶対に話さないであろう頭の軽そうな女子高生と肩を並べて作戦会議だ。


「………私は武道とか全然分かんないんだけどさ、その指、大丈夫なの? 影響、ない?」


 責任を感じているのか、おずおずといった感じで尋ねる少女―――名前は朱鷺代倫々というらしい。変な名前だ。


そう、全ての失敗はそこだ。

俺の存在理由。

妹の自殺がこの『宴』の参加の理由だ。

俺は、どうしても妹の自殺の理由が知りたかった。

 分からないまま死なれたのでは、苦しいだけだ。それを知るためなら、悪魔にだって平然と魂を明け渡す。そう誓った。

そうして人間としての身体を捨て、化け物に成り下がり、それだけでは飽き足らず、果ては自分の下らない望みのために他の参加者を殺そうとしているのだ。


 まあ、他の参加者も例外なく化け物に成り下がっているのだ。そこの罪悪感はあまりない。

 だが、もう引き返せないところに来ているのは分かっている。

 目的を果たすまでは心を凍らせ、なにを犠牲にしても前進すると決めた。

 そうして目的―――妹の蘇生という奇跡を成し遂げたら、おとなしく死のう。それも決めていた。


 しかし、このお節介な乱入者のせいで、心乱された。全ての失態はそのせいだ。

 俺の最も特意とするのは接近戦だ。そのため、武器を使うことが多くなるだろう。武器を扱うとき握りは生命線。指一本失ってもその精度はガタ落ちする。

 しかし、俺はこの絶対的に絶望的な状況で、左の薬指を切り落とし、この少女を生き返らせるのに使った。


 愚かだ。

 自分でも、そう思う。


 こんな、自分と全く係わり合いのない人間を助けたところで自分には何の見返りもない。

 それどころかマイナスだ。こんなガキ、いくら自分を救ってくれたからといってその辺に放置すればよかったのだ。気の迷いとしか言い表せない。


 ―――実際、矛盾している。

 他の参加者は問答無用で殺そうとする反面、こんな他人を、不利益を覚悟で助ける。

 他の全てを犠牲にしても、目的に到ろうと誓ったではないか。まったく、矛盾している―――


「大事無い。小娘のクセに俺の心配するなど百年早い」


 大見得を切って立ち上がる。もういくらも時間がない。もうすぐあの強敵がやってくるだろう。

 このように悶々と思案するのは自分らしくない。邪魔な思考は捨てろ。

 冷徹に、冷静に、目的のみを見ていればいいのだ。

 俺は、ずっとそう生きてきたのだから。


「待って、そうか。何とかアイツと渡り合えるのね?」

 裾を引かれ振り向く。

 少女は、何やらぶつぶつと独り言をしている。

 その姿に。

 先程の蟲やあの瞳以上の異常を感じた気がし―――背筋が凍った。


「聞いて、冬也。上手くいけば、私がアンタを勝たしてあげる」


 そして唐突に、そんなとんでもないことを少女は口にした。



◆◆◆



 蟲がその駅の構内に建てられたショッピングモールへ降り立つ。

 濃厚な血の匂い。

 昆虫は嗅覚で周囲の状況を確認する。節足動物の頂点であるそいつには当然のようにその能力も備わっている。

 触覚を揺らし深夜には閉まってしまうその大型娯楽施設の内部を警戒する。


 ここに、先程の男が居る。

 もう一つ、違う匂いが在るので、あのおせっかいで愚かな乱入者も居るのだろう。

 いや、いたとしてもそれはもうただの肉塊。死体だ。

 しかし、こんなところに引きこもっているとは、あの銀髪の青年も可愛いものではないか。不遜で生意気な態度だったが、死にたくはないのであろう。それが『叶えたい願い』が目の前にぶら下がっているこの状況なら尚更だ。


 男は、一部を除き、既に元の科学者然とした姿に戻っている。

 いかに夜の人気のない駅構内といえど、移動するときは人目についてはいけない。それがこのゲームのルールだ。


 あの男の能力も既に察しがついている。

 見つかったときが奴の最期だ。

 まるで子供が壊れた玩具を捨てるときのような勝利の愉悦、という現代社会では中々得がたい宝石に浸っていると、それをぶち壊

す姿が廊下のさきに居た。

 朱鷺代倫々が、一人で迎え入れる。

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