第4話 進化 その3
現在の地上の覇者は霊長類ホモサピエンス―――人間だといわれる。
約六十億の個体を地上に繁殖させ、哺乳類としては格別の数を持つ。またその生活圏も多種多様だ。
遺伝子上において、袋小路とも言える『進化の末端』で、これ以上は劇的な変化の望めない、霊長類としての進化の頂だと言われる。
しかし、この人間がずっと生物の頂点に居たわけではない。それはたったの数千年の間だけだ。
カンブリア大爆発という大事件から数えて数回。地球上の覇権は入れ替わっている。
植物から魚類へ。魚類から両生類へ。両生類から爬虫類へ。爬虫類から哺乳類へ。
入れ替えのたびに何かの意図としか思えない偶発的な外的バイアスによってその覇
権は決定している。
恐竜時代の氷河期などを引き合いに出すまでも無く、そういう風に生物の歴史は出
来ているのだ。
常々、人間が滅亡した後に繁栄する生物は何かという議論が続いている。
それは烏賊だとも、ゴキブリだとも言われているが、それが決定されているとした
ら?
―――それを決めるための争いが、この『宴』なのだという。
数万年に一度行われ、次の地上の覇者に相応しいだろう、『もしもその生物が究極に進化したらこうなるだろう』という『IFの獣』が数匹用意され、そのとき勝ち残った生物が次に地上の覇者となる。
「なにそれ。じゃあこの宴を取り仕切ってるのは神様ってわけ?」
「知らん。しかし、俺にこのチカラをくれたあの不気味な瞳はそう語っていた」
この争いは、日常行われている弱肉強食そのものだと。どの生物が一番生き延びるのに適しているか決めるのだと、その瞳は語ったそうだ。
その話にも驚いたが、銀髪君―――冬也が教えてくれた三日前の出来事は、私が昨夜見
た夢と全く同じだった。そのことが一番の驚きだ。
宴―――ゲームのマスターと名乗った瞳が用意した『果実』を食べれば『進化の頂』に
達することが出来、『宴』のとき以外は人間に擬態している。
用意された『果実』は六つ。
―――節足動物、昆虫類『空虚雑音』
―――爬虫、両生類『八俣大蛇』
―――鳥類『舞踏輪転』
―――刺胞、棘皮動物類『桃源郷』
―――魚類『月下氷天』
―――植物、菌類『攪拌世界』
この中で、生き残ったものが次の生物の頂点となり、宴に勝利したものには、一つだけ願いが叶うという―――
『生物の本質は全て生きることに集約する。愛と死。自己保全と自己増殖。生きることとはすなわち、それが全てだ。目的も理由も根拠も要らない。生きろ。自分にそぐわない環境があるなら適応しろ。自らが気に入らないなら作り変えろ。言い訳は必要ない。努力して努力して、必死に生き延びることこそ全てだ――――』
弱肉強食。
この宇宙のエネルギーは有限であり、誰かが得るのなら誰かが失うしかない。この世に居ればすぐ分かる摂理だ。
ならば奪い合うしかない。
進化とは、その唯一にして絶対の手段。
地上の資産を得るのは最も優れた生物であるべきだ。
それを決めるのが、この『宴』。
「……じゃあ冬也も、その『果実』を食べて人間じゃない生物に『進化』してるのね」
今は人間の姿に擬態しているが、あの蟲のように、変態することも可能なのだろうか。
ということは、彼にも人間を捨ててまで叶えたい望みがあるのだろう。
「で、そのでっかい瞳ってなんなの?」
「知らん」
「………じゃあ、もし『獣』が最後の一匹になって、勝者が決まったらどうなるの? そ
れを決める目的は?」
「興味はない」
「………本当に願いなんて叶ええくれるの? どんなことでも?」
「さあな。しかし、ヤツがなんであろうとこれだけの事を起こせるのだ。某かのチカラはあるのだろう。可能性はある。俺にはそれで十分だ」
ないない尽くしだ。話にならない。
結局、冬也が分かっているのはこの殺し合いの外柄―――ルールだけで、それ以外は知
らないらしい。
曰く、『宴』はこの街のみで行われること。
曰く、なるべく人目につかず証拠を残さないこと。
曰く、それ以外であれば殆どのことは許されるということ―――
………これじゃあ何も分かっていないのと等しい。
こんな状態で殺し合いに参加する気が知れたもんじゃない。
それほどに叶えたい望みがあるのか―――
「………なんだ、じっと見て」
「い、いや、別にっ」
彼の横顔を見て、思わず見蕩れてしまった。
って、そんな場合じゃない。
とにかく、原理とか意義とか色々と腑に落ちない点は多くなったが、大まかな外側
だけは理解できた。
この街の裏でこれからも続けられるだろう争い。
どうやっているのか全く想像もつかないが、人間を変化させて互いに競わせる戦争。
それが、彼の参加している『宴』なのだという。
それで、これからどうするか。
いきなり起こった眼前の不思議に対する解説はこれ以上望めない。今日の夢のことも謎が増えただけ。ここに居るメリットは既にない。
これ以上まごまごしていたらあの黒い蟲が私たちを殺すためにやってくるだろう。
冬也の言う通り、この場に残っていては死ぬだけだろう。
しぬ。
さっき、擬似的にだが体験した、あの感覚。
恐怖ではなく、消失の畏怖。
なるほど、あれは生物に超越できるものではない。
全ての生物の、全ての目的は生きること―――それは、あの暗闇を体験したなら、誰しもが理解できることだ。
絶対に触れたくない、禁忌。
―――死にたくない。
私だって普通の未来ある女子高生として、当然そう思ってもいいはずだ。
さっきの自殺行為は気の迷い。
命を賭けてなんて、美しくはあっても、およそ人間の執るべき行動ではない。命と引き換えに、なんてとんだ美辞麗句だ。
―――なら、逃げ出せばいい。
例え無様でも何でも、みっともなく震えながらこの場を去ればいい。
だってこれは私には関係ないこと。
地球の裏で毎日毎日、何人もの人が内紛や飢餓で死んでいても、それを本気で気にかける日本人は少ない。それと同じことだ。
私はいつもそうして生きてきたはずだ。
意識的か無意識的かの違いだけで、やっていることは同じだ。
理解できない無意味な殺し合いに自分から巻き込まれることはない。
私がここに残ったところで死体が一つ増えるだけ。何の取り得もない矮小なガキが介入したところで状況は一ミリも動かない。
ならさっさとここから去るべきだ。
そんなことは、充分過ぎるぐらいに分かってる。
ならどうして、いつまでも、私はこの屋上に留まっているのか。
そう、私はイヤになるくらいの普通人。何の取り得も無ければ賢明な判断だって出来やしない。
私のために、自分の血肉を分け与えた彼。
例え、自分を助けて死にそうになったとしても、それを助けるために、指を切り落とした大ばか者。
今も、邪魔だとか辛辣な言葉で私をここから遠ざけようとしている皮肉屋の優しい人。
否、彼は人間じゃないらしい。
でも、そんなことがどうした。
彼がどんな人かは知らない。
会ってまだ数十分。一時間にも満たない時間しか共有していない。
しかし、だからこそ。
彼は逃げても逃げてもあの蟲に追い縋られ、いつかはバラバラにされるだろう。
私一人なら見逃されるが、彼はそうは行かない。きっと―――いや確実に殺される。
でも、私が居てもそれは変わらない。
だけどきっと、私は後悔する。
例えば、電車に乗ってて事故がおきれば私は見知らぬ人なら盾にだってして助かろうとするだろう。私はそういう人間。
逆に、今ここで見知らぬからといって彼を見捨てれば、きっと私は罪悪感に苛まれる。
矛盾していると自分でも思う。
でも、普通の人って皆そうじゃないだろうか?
世界中の人を助けたい、とか言うスーパーヒーローにはとてもなれない。
そんな器じゃないし。ニュースで大量殺人があっても、それを身近に感じて泣くほど感受性が豊かじゃない。物騒になったな、と思うだけだ。
人ごみの中を歩いていてその全てが尊い命で自分と同等なんて建前として分かってはいるけどリアルに感得している訳じゃない。
見知らぬ誰かが何人死のうと私は笑って生活できる。でも、知り合いや家族が死んだら我慢できない。
私はそんな普通の人。
ちょっと人より本が好きで、両親が居なくて、ピザとアイスが好きで友達もそこそこ居て勉強が退屈でうっかりものの、普通人。
でも、だからこそ。
私は、血肉を分けて私を助けてくれた彼を、見捨てることなんか――――出来ない。
「なにをぼやぼやしている。もうじきここは戦場になる。貴様はすぐに逃げろ。俺の気紛れを無駄にするなと何度言ったら―――」
振り払うような冬也の手のひらをギュッと両手で握る。
言いかけたままの口でそれを冬也はぽかんと見詰める。私は下からその視線を真っ
直ぐ返し、
「だめ。私は冬也が死ぬのを黙って見てらんない。二人で勝つ方法を考えよう」
そう、殆ど祈るような気持ちで宣言した。
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