第4話 進化 その2

 ―――流れ込んでくる。

 ただ断片のような情報が脳に刻み込まれる。

それはまるで、バラバラのジグソーパズルを組み立てるよう。欠片が組みあがってくる認識と経験。

 私の心象世界。その漆黒の中央に、大きな瞳が浮かんでいる。

 その瞳から、声がする。

 進化、セヨ――――と。


 進化。

 ダーウィンという、偉大なる科学者が発見した、生物が環境に適応してその身体を変化させていくという理論。

 生物の最終目標は全て、自己保全と自己増殖に繋がる。

 生きた証を残したい、という狂おしいまでの意思が、遥か一億年前から絶えることなく無限の樹形図をつくり、今の生物に繋がっている。


 ウイルス進化論、というものがある。

 一部のRNAウィルスには、感染した宿主の細胞の遺伝子を組み替えるものがある。これがきっかけとなり『進化』が起こり、環境に適応するものが生き残る、という仮説だ。


 いや、きっかけはウイルスで無くても何でもいい。放射線でも化学物質でも細胞の突然変異は起こる。

 つまるところ何が言いたいのかというと、恣意的に作られた刺激なら、進化をコントロールできる可能性がある―――というこだ。

 例えばすでに、大腸菌にある遺伝子を組み込み、本来はない物質であるインスリンを分泌させ糖尿病の治療に利用している。


 理解できる理論と理解できない感覚が津波のように押し寄せてくる。

 血中に大腸から吸収された彼の血液のDNAポリメラーゼは、血流に乗り全身へ運ばれる。全身の細胞へ転移したDNAポリメラーゼはゴルジ体を利用し自分の複製を作り始める。レトロウィルスの如く逆転酵素を刺激しRNAからDNAを作り出す。その自らから作り出したDNAを宿主のDNAの鎖に新たに組み込む。


 高速で私の細胞に、新たな機能が追加されていく。

 むくむくと植物が育つような感触が全身でする。お風呂に入った後みたいに血流が増えて毛細血管が開き指先がむず痒くなる。頬が火照り頭が割れるほど痛くなる。腸が蠕動し心臓の鼓動がうるさい。四肢が動きたくて堪らなくなる。


 暗転。一気に瞼を開く。閃光が瞳孔に飛び込んでくる。

「あれ、私、どうして」

 勢い良く身体を起こす。

 えらく気分がいい。このまま飛んでけそうだ。身体が火照って仕方がない。


 身体の具合を見やる。

 いつも通りの肌に手。服はボロボロだけど、その下は擦過傷一つない。呼吸も心拍数も正常範囲。きっと血圧も回復してるだろう。

「うそ」

 全開の全快。さっきまで全壊だったのに。

「……うそーん」


 在り得ない。物理的生物学的生理学的に不可能だ。

 いったい何が起こったのか、頭が混乱して上手く思考を纏められない。

 とにかく解説が欲しい。

 さっきから理解できないことばっかりだ。ヒートしすぎて知恵熱でそう。


 銀髪君はどこだ。

 なんでもいいから、彼が人間でなくてもいいから解説を求めている。私は分からないことが在ると我慢できない性質なんだから。

 私が寝せられているのは、冷たいタイルの上。

 さっきの高架下の橋からそんなに離れていない、筆内駅の駅ビルのショッピングモ

ールの屋上のようだ。

 蒼いタイルが防水のために敷き詰められ、落下防止に高い柵が張り巡らされている。


 その柵の上。

 細い円柱の上に悠然と佇む、漆黒の痩身。短いプラチナブロンドを風のままに靡かせて、彼は空を眺めていた。

 その姿に、思わず息を呑む。

 絵になる、なんて言葉では到底足りない。

 この光景そのものが、フレスコ画のような神聖さと神秘さを魅せる。きっと天使が

降臨するとしたらこんな光景だろう。男の人をここまで美しい、と思ったのは初めてだ。

 知らず、ため息をほうと漏らす。


「目覚めたか。ずいぶん長い居眠りだったな」

 その音で気付いたのか、振り向かぬまま彼が私に言う。

「もうすぐ敵が迫っているというのに、中々太い心臓だな」


「……立って大丈夫なの」

 先程の傷を心配する。私と違って彼の傷は完治していないように見える。私を抱えたのがクソ根性だとしても、今も平然としていられる理由が分からない。

「くだらん心配なら不要だ。もう作り直したからな」

「作り、直した―――?」

 その不審な言葉に、何かを分かりかける。


「それより、小娘。何とか生き返ったみたいだな」

「生き返った?」

 それは、死んだことのある人に言うものではないか?

「ああ、生き返ったで間違いない。貴様は長い間、心臓が止まって死後硬直すら始まってたんだからな」

「―――ちょっと待って、さっき『長い間寝てた』って言ってたじゃん、それってどのぐらい?」

「三十分ぐらいだ」


 ―――マジか。それは本当なら、私は本当に死んでいたことになる。三十分も心臓が止まって生きていられる人間なんて存在しない。

 じゃあ、あの暗闇は臨死体験?

 んで、私は本当に死後から生還した?

 信じられない。

 やっと振り返ってくれた銀髪君の手が混乱の中、なにげなく眼に入る。


 左手の、薬指が根元から無くなっていた。


 思い至る。

 何かを切断する音。

 ―――痛みを堪え、あのナイフで自分の指を骨ごと削る彼。

 顔にかかる熱い飛沫。

 ―――切断面から滴る血液。

 口腔に無理やり押し込まれる長細い何か。

 ―――自分の血肉の欠片を、私に喰らわせる彼。

 そして、進化という言葉。何事も無かったかのようにか回復した私の身体。

 ―――彼は、自分の血肉を犠牲にして、私を助けてくれたのだ。


「先程も言ったが、敵が迫っている。怪我をしている俺は逃げられない。だからせめて、お前は逃げろ。俺の気紛れを無駄にするな」


 確実に迫っているだろう、死の恐怖の塊たる蟲。己は逃げぬと、鋼のような双眸が語る。

 っていうか、だからなんで命令口調よ。なんかむかついてきたので、彼の頼みを断ってみる。

「―――アンタ、名前は?」

「名前を教えるような関係じゃない。ただ気紛れで助けただけだ」

「アンタとか呼ばれたくないならさっさと名乗る! 因みに私は朱鷺代倫々! 花もうらやむ女子高生よ!」

 突然詰め寄った私に銀髪君は目を丸くして驚き、「…神貫冬也だ」と、名乗った。


「……ここにいたらまた死ぬぞ。貴様は自殺志願者か? 助けてくれたことは一応感謝する。だが俺の邪魔をするなら―――」

「アンタこそ、指を食わせてまで折角助けた私が、また死なれると残念なんじゃない? 私はとにかく徹底的な解説が欲しいの。こんな状態じゃ引くに引けない。それと、折角助けたアンタに死なれたら私も残念だし」

「名乗っても、結局『アンタ』と呼んでいるじゃないか」


 彼―――冬也は長くため息をつくと、仕方なしに話し始める。

 この街の裏で密かに行われる殺し合いについて。

『宴』について。

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