第3話 清漣雑音 その3

 飛び出す。

 後先なんてもう考えられない。

 きっと私はここで死ぬだろう。


 でも、私はあの銀髪の青年を見殺しにして助かることなんて出来ない。

 安っぽい正義感と子供じみた潔癖感なのだろう。

 きっと、見殺しにしたとしても数年後には今日のことなど忘れてしまって罪悪感など感じもしないだろう。私はそういう人間だ。


 でも、今。

 未来のことなんか分からない。

 未定の事なんか考えたことも無い。

 私は、今を生きてるのだ。先がどうなる、なんて考えをする人間ではないのだ。

 この一瞬こそが、全てなんだから―――


「!?」

「………?」


 橋の柵を一跳びで乗り越え、彼らの眼前に躍り出る。距離はおよそ二十メートルくらいだ。

 突然の乱入者に黒塊が複眼を見開き驚く。銀髪の青年は不思議そうに見るだけだ。


 音波は指向性を持たさずただ放出しているだけなので、黒塊の横からでも十分な圧力を受ける。

 びし、と鋭い痛みが走る。腕に一筋の傷が出来ている。構わない。腕をかざして荒れ狂う音の嵐の中に飛び込む。


「ああああぁあああぁぁぁぁあああっ!」


 うわ、すごいなこれ。

 痛いを通り越して訳わかんないもん。

 内蔵がシェイクされる。耳鳴りどころか脳に響く。

 ぼきぼきと骨が折れる音が聞こえるはずもないのに聞こえる。皮膚はカマイタチで至るところが割ける。


 私は全力で黒塊と銀髪の間に飛び込んだ。するとどうなるか?

 音の共鳴現象でその場に釘付けにされている銀髪と違って私は効果範囲外から浮いて飛び込んだ。結果、音圧に押されて銀髪のほうへ吹き飛ぶ。

 そのまま勢いに任せて彼にぶつかる。

 もっとスマートな方法があったかもしれないが、運動音痴の私が猶予の無い状況で彼を助けるにはこの方法しか無かったのだ。


 ごろごろと一緒に吹き飛び、壁にぶつかり止る。

 まだ超音波は続いているが、破壊の効果範囲からは何とか抜け出したようだ。


「ぐ、ぅぅぅ、う」


 あー、なんとか生きてる。

 たぶん全身粉砕骨折。動かないんで確認しようが無い。

 身動きひとつ取れず、這いつくばるしかない。

 意外と痛みは無い。きっと今は全身が混乱して信号が上手く伝わってないだけだろう。あと少ししたら地獄のような激痛でのたうち回るはずだ。


 まぁ、その心配は必要無いだろう。きっとすぐに失血死するはずだ。血液流量不足による急性ショック症状。眠るように逝けるはずだ。

 きっと体中に紫や赤や青の内出血の斑点ができているはずだけど、怖くて確認できない。

 アメコミのミュータントみたいな格好で死ぬのは何か嫌だなぁ。死ぬなら綺麗に死にたかったのに、これが俗に言う『ロクな死に方しない』ってやつか。


 定まらない視線で下を見る。

 絹糸のようなプラチナブロンド。キメが細かく澄んだ、柔らかい肌。すっと吊り上がった柳眉に高く細い鼻梁。がっしりとして厚い胸板。

 見た目より筋肉質だなぁ、とか暢気なことを思った。


 どうやらあの青年の上にのしかかっているらしい。

 ちゃんと呼吸をして、信じられないものを見るように私を凝視している。

 ちょっと恥ずかしい格好だが、まぁ彼の命を助けたわけだし、これぐらいは役得だろう。

 美少年の胸の中に抱かれて息絶える、か。私にしちゃ上等な死に様だ。

 こっちはアメコミヒーローみたいな身体の色だけど。


「―――なんで」


 銀髪君が心底不思議そうに言う。そういえば、名前知らないな。せっかく命がけで助けた人だ、それぐらいは聞いておきたかったな。

 嗚呼、意識が薄くなる。とんでもなく眠い。

 このまま寝られたらどんなに幸せか。


「―――馬鹿ナ女ダ。何モ分カッテ無イ癖ニ、命ガケデ助ケルナンテ。大方、僕ガ怪物デコイツガ人間ノヒーローダトデモ思ッタノダロウガ」


 頭上からキイキイ声が響く。うるさいな、今私は眠いんだから耳障りな声を出さないで欲しい。この銀髪君が人間じゃなさそうな事だって、ちゃんと分かっているんだから。

 まぁ、これが私の限界ってことで。

 銀髪君がほんの少しでも生き延びられたなら、きっと無駄じゃなかったんだから。少しは意味があったってことにして、眠っちゃおう。


「―――なんで、」


 銀髪君がさっきと同じ事を繰り返し呟く。

 何がそんなに疑問なんだろう?

 まあいいや、寝よう。身体が急速に冷めていく。血の失くし過ぎだ。体温を維持できず循環も維持できてない。サヨナラはもうすぐだ。


「死ぬな」


 それは泣くような、祈るような、子供みたいな声。

 あの銀髪君がそんな声を出すことなんて想像も出来ないような情けないものだった。

「頼む、死ぬな。死なないでくれ―――」

 そんなこと言ったって、これはもう助からないだろ。わがまま言わないでくれよ。

 ―――そんな声出されたら、せっかく無理やり納得したのに、死ぬのが怖くなっちゃうじゃないか。

 頬に暖かい雫が落ちる。泣いてるのか。いい男が泣くなよ、こっちまで悲しくなってくる。


「……ソノ女、知リ合イカ? ドッチニシテモ大ゲサナ。ロマンスハ、ココマデニシテモラオウ。ドウセ二人共僕ニ殺サレルンダ」

 鼻白んだように告げる黒塊。脚を上げ、死刑を執行しようとする。


「!?」

 勢いよく振り落そうとした、黒塊の脚が止まる。

 今まさに止めを刺そうとした標的が、幽鬼の如くゆらりと立ち上がったからだ。

 その腕には、私を抱え挙げている。


 よしんば他の傷が浅かったとしても、確実に全身を骨折をしているはずだ。それなら立ち上がり、私を支えることなど出来ないはずだ。

 こいつ、不死身か?

 恐らく、黒塊はそう思ったに違いない。


 銀髪君は、私を抱え、半身の姿勢のまま鋼のような眼光を放つ。それに気圧されるかのように、黒塊がたじろぐ。

 その、隙ともいえない数瞬。それを見逃す彼ではない。

 その直後、視界がゼロになる。

 チャフ、というのだろうか。金属の細かい砕片が周囲を埋め尽くすように、彼の身体から発生していた。まるで銀色の霧が立ち上るようだ。


「ち、ぃ―――――」


 眼くらまし。古典的な手だ。

 最後の力を振り絞ったであろうハッタリにまんまと引っかかった自分を恥じる黒塊。瞬間的に超音波を発生させ、チャフを振り払う!


 その時には既に、私たちの姿は眼前から消えうせていた。

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