第3話 清漣雑音 その1

 もうすぐ街は再びの夜に沈む。


 冬也は、またしてもこのビルの屋上に来ていた。

 妹が命を建った場所。

 飛び降りという目立つ死に様を選びながら、遺書を残さなかった最愛の肉親。

 冬也は、彼女の苦悩をひとかけらも知らなかった自分のことを自分で何度も責める。

 ここで日が暮れるまで待とう。完全に暗くなり、人通りが減ったら「敵」を探しに行く。

 自らに齎されたチカラ。これを使えば目標は容易く達成できるような気がする。しかし、それは驕りだろう。自分の他の『獣』たちも、自分と同じチカラを得ているのだ。


 日は沈み、世界が闇に包まれる。

 冬也は、あの赤い月が見たいと思った。だが、今日は曇り。黒に落ちる街に背を向け、静かに目的地へと向かう。



◆◆◆



 そこは、朝に通った、高架下にある人が往来するための道。

 夜ともなれば、おぼつかない電灯の明かりしかなく、ほとんど人通りは無くなる。いかに田舎とはいえ、人通りが全く無く、それなりの広さがある場所というのは限られる。

 さて、「敵」は何時に来るか。

 長期戦を覚悟したとき、後ろから声がかかる。


「お前、『宴』の参加者か」


 低く、重低音の声。

「―――そうだ」

 ゆっくりと振り返る。

 冬也の背後、冬也から三メートルは離れたところに、一人の男が居る。

 一見すると普通のサラリーマン風の男だ。唯一、薄汚れた白衣を着ているのが眼を引く。

 年齢は掴み辛い。二十台にも四十台にも見える。酷くやせており、顔色も青を通り越して土気色だ。


「貴様は何の生物だ……?」

「なんでもいいだろう。要は、どちらが生存により適しているか、それが解ればいのだからな」

 冬也は言うと、腕を水平に振る。すると、その手には大型のナイフが握られている。

 握りの部分まで金属で出来た、奇妙なナイフだ。

 刀身だけで腕から肘までの長さがあり、明らかに工作に使うものではない。人を殺すための武器。

 そんな、凶悪な凶器を前にして、白衣の男は余裕……寧ろ、嘲るような視線を向ける。


「……そんな人間が使うような玩具で、この『宴』に通用すると思っているのか?

 ……もしそうなら、いっそ哀れだな。そんなものに頼らないと戦うことも出来ないとは、貴様が得た『進化の頂』は、よほど矮小らなものなのだな」


 冬也は、その明らかな侮蔑にも何の反論もしない。ただ刃を向け、白衣の男を射るように見据える。

 白衣の男は、やれやれと首を振ると、両手を水平に広げる。


 するとどうだろう───男の体が、急速に変態し始める!

 変化でも変貌でもなく、変態。蛹が蝶になるように、異なる生体へと生物が細胞の一片までも急速に変化させる!

 男は、黒い外甲に包まれていく――否、それは男の組織という組織が外甲へと成っていく!

 長い触角。顔半分以上の大きな複眼。四つに分かれる顎。節の繰り返しによって出来る体幹。六つの足、背中には翅が!


「なるほど、判りやすいな。昆虫の『進化の頂』か」

 身を捩り、自らを確認するかのように一歩踏み出す。


「――――ズ、ズズズッ、ズズ、ズズズズ―――」


 翅を震わせ、白衣の男―――今は三メートルを越える巨大な蟲となった男が『宴』の開始たる口火を切る。


「ソウダ。僕ハ昆虫ノ『IFの進化』、最モ早ク地上ニ繁栄シ、最モ早ク空ヘ舞イ、最モ多クノ数ヲ持ツ生物―――!」


 GRRRRR!

 自らを誇る言葉と共に、黒い塊が超疾!

 冬也と男の間は僅か三間半。その距離を一瞬で無にする!

 地を這うように一拍で加速し、瞬きの間に接近するスピード。強靭な外骨格と六本の足を複雑に動かすことによる瞬間的な加速!

 持久力は無いが、その分加速度は凄まじい! その速度で当たれば無事では済まないだろう!


「ふっ――!」


 それを迎え撃つ銀髪の青年。黒一色の衣服にも緊張が走る。

 昆虫や節足動物は種類によっては秒速0.8メートル以上の速度を出す。それがもし人間の大きさになったらどうか。時速で640キロという新幹線の倍以上の速度を、瞬間的にだが出すことが出来るのだ。

 まさしく弾丸。どんな武器を持っていたとしても、人間ならば防げるはずも無い!


 そう、人間ならば。

 猛然と迫る巨躯を避けれないと判断した冬也は、手にしたナイフで迎撃をする。

 KRAAAASH!

 奔る黒塊を受け流す銀閃。衝突の瞬間、突進する頭の先端にナイフをぶつけ、勢いの矛先を逸らす!

 その速度、精確性は人間離れしたものだ。


 勢いあまり、再び開く間合い。

 黒塊が旋回する間に冬也は振り向き、既に得物の間合いに入ろうと、鋭い前進を始めている!

「―――バカメ!」

「っつ!」

 冬也の痩身が止まる。黒塊は、冬也の前進を許さない。

 敵の体躯はすでに三メートル以上。ならば蟲に変化したその六本の脚は優に一メー

トルを超える!

 その、先ほど爆発的な速度を生み出した強靭な脚を、器用に折り畳み、鋭く突き出

す。最早その6本は槍と同じ!

 ナイフの間合いまでの2メートルの接近すらさせない!


 一呼吸の間に三打。風を貫くような突きが冬也を襲う。それを必死に一本のナイフ

で打ち落とす!

 彼の脚は今や六本。二本を体重移動にしたとしてもあと四本自由な脚が残る。

 同時に四本の長柄武器を扱うなど人間には不可能。それが、この恐るべき攻撃を生む!一撃の隙を他の一撃が消し、絶え間ない刺突となる!


「ドノヨウナ進化カハ知ラナイガ、貧弱ナ人間ノ姿デ、僕ニ接近戦を挑ムトハ!」


 凍てつくような怒声。

 丸太の如き太さの脚が迫る。残像すら霞む高速連打!

 冬也がひとつでも受ければ、すべて必殺の一撃となる。


「っつ!」


 その美貌を歪める冬也。

 冬也は後退することで何とか脚を弾き、結果として二人の距離は再び開く。それを助走として、さらに強力な連撃を放つ。ただその繰り返し。

表情などないはずの蟲の双眸に、僅かに嘲弄が浮ぶ。黒き豪雨は、冬也を貫かんと勢いを増し、降り続く!


「………ッ!?」


 だが、それは全て防がれる。

 冬也の腕には、どこに隠していたのか、先ほどまでなかった鉄板のようなもの───盾が握られている。

 蟲の瞬発力、速度は凄まじい。しかし、その速度は体重の軽さから産み出されるものだ。刺突の先端さえ逸らせてしまえば、防ぐことは容易い。


「―――――!」


 KRAAAASH!

 冬也は、盾にて蟲の脚を、強引にまとめて弾き飛ばすと、一瞬でその間合いをゼロにする。

 右手に握ったナイフが、銀色の閃光となって奔る!


「チッ―――」


 蟲の反射神経と旋回性を生かし、冬也の間合いから逃れる。その速さは尋常ではな

い。

 技巧と、接近戦での回転では互角でも、やはり速度では敵に分がある。


「ヨホド剣術ニ自信ガ有ルンダネ。アクマデ武器デ向カッテ来ルトハ」

「……どうした。わざわざ舞台を作ってまで挑んできたのだ。この期に及んで様子見とは。怖気づいたか?」

 冬也はそう吐き捨てる。


「ズズズズ―――」

 冬也の挑発に苛立つ蟲男。彼の当惑も当然だろう。

 彼は自分のチカラ、姿を晒して戦った。しかし、冬也は人間の姿のままで自らと互角に渡り合った。つまり、冬也は手の内を全く見せていない状態だ。


「良イダロウ。僕ノ、奥ノ手ヲ見セテアゲヨウ」

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