第2話 朱鷺代倫々
変な夢を見た。
カッコイイ男の人と、眼だけのお化けが出てくる、よく意味の解らない、しかし何
だか妙にリアリティがある夢だった。
「あー……おっかしーな、ファンタジー小説、ここ最近読んでないのにな……」
精神医学の先生だったらどんな夢診断をするだろう。美男子、自殺願望、女性の象徴たる巨大な瞳。結論なんて言うまでも無い。
うぅ、恥ずかしすぎる。
ベッドから跳ね起きる。
昨日は暑かったので、シーツが汗でぐしょぐしょだ。後で洗濯せねば。
「さて、今日の一冊」
起きて自分の部屋を改めて見直す。我ながらすごい。見事なまでに、本に埋もれている。
十畳と広めの部屋のはずだが、窓がある面以外全てに天井までの本棚が聳え立ち、
その全てがちゃんと本で埋まっている。生活スペースたる床にも本が雑に積み上げられ、いくつものタワーと化している。
足の踏み場も無いとはこのことだ。
ジャンルはバラバラ。小説から歴史書、学術書に絵本にハウツー本に各種専門書。
洋書に雑誌に学会報告書に漫画に果ては地図まである。
我が愛しの蔵書たちだ。
その蔵書の一部に手を伸ばし、未読のコーナー(と自分で決めているところ)から
今日の朝に読む一冊を選ぶ。
うーん、今日はあほな夢を見たし、SFやファンタジー、学術系は止めておこう。こういうときは他人のあほな話に限る。できるだけ明るそうなエッセイを手に取る。
さてさて、コイツを読みながら朝食を拵えなければ。
周りの友達は、よく私のことを異常だと言う。もっと楽しいことをしたらどうだと。
しかし、私にとって読書以上に楽しい行為などこの世に存在しないのだ。寧ろ皆もっと本を読んだほうがいい。
私の名前は朱鷺代倫々(ときしろ・りり)。
花もうらやむ十六歳の女子高生だ。
両親を早くに亡くし、今は一人暮らし。
両親は莫大な遺産を遺してくれたので、悠々自適の生活が出来ている。
「ふぅ、やっぱり自分の不幸を面白おかしく書ける人は気持ちいいなぁ」
十分で拵えた朝食を平らげ、残った時間で読書を楽しむ。ちょうど一冊読み終わったところで時間になる。いかん、そろそろ行かねば。
「さてさて、学校ではどの本をよみましょうかね」
通学用の本と、学校で読む用の本を未読コーナーから取り出し、カバンに仕舞う。
◆◆◆
「あんたってさ、ホントに変わってるよね」
京子があきれるように言う。
「そお? 電車の中で暇つぶしに読書はフツーでしょ」
駅でたまたま会ったのは、同じクラスの安西京子。
茶髪にショートボブの、いかにも今風という垢抜けた外見。
「そりゃ通学中に読書する人は多いけどさ、たった五駅の間に四冊も読み終わらせるヤツなんていないよ。しかもそのバッグ」
京子は私の通学鞄を指差す。相手を指差すのはマナー違反だぞ。
「人の趣味にケチつけないでよ」
「いや、そりゃ外見の趣味も悪いけどさ、けどなんで通学に背負子よ?」
そう、私が背負っているのは、登山なんかで使う背負子というやつだ。そこに本をベルトで止め、20冊ほど重ねてある。
中身は当然全て未読の本。ちょっとした重装備だ。
「しかも教科書は持ってきてないし」
「だって教科書は全部読んじゃったんだもん」
「そういうこと言ってんじゃないよ……」
呆れを通り越したような感嘆のため息をつく京子。
「もうさ、読書家とか本の虫とか文学少女とか超越してるよね、アンタ」
もはや褒めたかったのか貶すつもりだったのか京子にも分からなくなっているよう
だ。
「やっぱりさ、将来の夢は小説家? あ、それとも文学研究家とか、小説の評論家?」
「京子、あんた私が壊滅的に作文苦手なこと知ってるでしょ? 今挙げた職業全部、
文が書けないとダメなやつ」
アハハハと京子が笑う。自分で言ったことなのに何かむかつく。
「不思議だよね、そんなに他の人の文章読んでるのに。真似とかでも少しはマシにな
りそうなのにね」
「読む才能と書く才能は別って小説家も言ってたよ。それに、別に私は本を読むこと自体が好きなわけじゃないよ」
京子は首をかしげる。
「私は、知識が増えることが愉しいから読書してるの」
そうなのだ。別に、読書という行為自体がそんなに好きなわけじゃなく、いや勿論
嫌いでもないが、とにかく新しい知識や意見や概念を自分にもたらされるのが堪らな
く好きなのだ。
「でもさ、だったらネットとかの方がいいじゃない? モバイルで調べ物ができるヤ
ツとかいっぱい有るよ?」
「うーん、それも嫌いじゃないけど、やっぱりネットとかに書いてあるのって情報としてはまだまだ紙媒体には敵わないと思う。調べたいものを調べるってのならいいけど、ただ色々な知識を手当たり次第にってのはネットじゃ時間がかかりすぎるから」
ふぅん、と曖昧にうなずく杏子。うーんやっぱり理解してもらえなかったか。
プアーン、と間延びした音を鳴らして、電車が駅のホームに入る。
『次はー筆内駅―次はー筆内駅ー』と場内アナウンスがあり、私たちの目的の駅に着く。
この駅は乗ってくる人も多いので急いで降りる。背負子の上が扉に当たらないよう中腰で進まないといけない。
学校へ向かうバスのロータリーまで、杏子と無駄話をしながら移動する。
駅を出て少し歩くとちょうど高架下になり、暗く人っ子一人通らない。
そこに、前から人が来る。
何気なしにその人の顔を見て────凍りついた。
ダークスーツ。
プラチナブロンドのオールバック。
意志のみなぎる瞳。
憂いを秘めた美貌。
―――何もかもが、今朝の夢に出てきたままの、青年。
我が目を疑う。こんなことってあるのか? 偶然? いやいや、ありえない。いくらなんでもタイミングが良すぎる。
立ち尽くして顔を凝視する私を不審に思ったのか、彼は少しだけ私のほうに目を向ける。しかしそれだけ。足を止めず、悠然と歩き去る。
すれ違い、足音が遠くなる。
予知夢? それとも知り合いだったっけ? はたまた一度会っただけの人を無意識
に覚えてた?
「なに倫々、眼を見開いて。何かあった?」
京子が心配げに言葉をかけてくれるがそれ所じゃ無い。
今から彼を追いかけることも、無視して学校へ行くこともできたが、私はそのどち
らの行動もとれず、ただ呆然としていた。
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