四七、アサクラの遺したもの

 ハツがフクの井へ向かう途中、アサクラはトラックのコンテナ上に降ろされた。


「……」


 ハシモトは未だ片膝姿勢のまま硬直していた。

 その肩にそっと手を置くと、ようやく我に返ったのか、ぴくりと身を震わせた。


「よくやった、ハシモト」

「アサクラさん……」


 目が合うと笑みがこぼれた。

 頼りない面構えだった。


 でも、こいつはいつもいざって時にやるんだよな。


 アサクラは、もくもくと立ち昇る黒煙に目をやった。

 ようやくモリヤマを倒した。

 フクの井の戦いは、ハツや奮い立った市民に任せておいて問題はないだろう。

〈フクイ解放戦線〉は勝利したのだ。


「ところで、お前どうしてここに?」

「途中でカニ人間にプテラノドンを傷付けられてしまって」

「墜落したのか?」


 見たところ大きな傷はなさそうだが。


「いえ、なんとか無事に地上まで送り届けてくれました。このトラックには、ちょうどその時ひろわれたんです」

「それでRPGって……。お前、どこで使い方を習った?」

「説明書を……じゃなくて、トラックの若い方に教えてもらいました」

「なるほどな」


 ふたりは小さく笑い合ってコンテナから降りた。

 すると、助手席からツナギ姿の青年が降りてきた。


「お疲れ様ッス。まだ戦い続いてるみたいッスね」


 西方から激しい銃声や市民の怒号が聞こえてくる。


「ええ」

「弾頭の予備があるッスよ。装填するッスか?」

「お願いします」


 ツナギがコンテナの中へ引っこみ、ハシモトが疲れた足取りでそのあとに続いた。

 アサクラはその背中を一瞥しただけで、まだその場に留まった。

 黒煙噴きあがる炎に目をやり、憎き仇を倒した感慨にしばし酔いしれた。


 空を仰ぐと、プテラノドンが飛んでいる。

 シバも、サトちゃんも、これまでに死んでいった仲間たちも、この幻想的な光景を見ているだろうか。


 きっと、見ている。

 そう信じて、アサクラはコンテナ近くで手持ち無沙汰にたたずむハシモトへ爪先を向けた。


 そこに風が吹きつけてきた。

 炎の熱気が届いた。

 反して、氷の塊でも呑みこんだかのように全身がそそけ立った。


「……ジ、ジジ」


 熱と一緒に声が運ばれてきた。

 アサクラは炎を振り仰いだ。

 すると、その中からぬっとひび割れたハサミが現れた。

 それがハシモトに狙いを定めた。


「ハシモトォ!」


 叫びだした瞬間、時間の流れが鈍化した。

 景色が消し飛んだ。

 ハシモトとアサクラの間に、光の線が浮かび上がった。

 それが何を意味するのか、アサクラは考えるまでもなく理解していた。


 なのに、恐怖も逡巡もなかった。

 走りださずにはいられなかった。

 ハシモトに結われた死の糸を、必死にたぐり寄せていた。


 まだ、言ってねぇことがあるのにな。全部、あの校舎の屋上でぶちまけときゃ良かったぜ。


 アサクラは笑った。

 そして、光の末端を踏んだ。


「……あっ」


 ハシモトを突き飛ばすと、時間の流れが戻った。


「ブジュウウウウウウウウウ!」


 泡が胸を貫いた。

 目の前に血が噴きあがり、すぐに色を失くした。



――



 背後から突き飛ばされ、地面に倒れこんでも、痛みはさほど感じなかった。

 ふり向いた頬に降りかかる血の感触が。

 倒れこむアサクラの姿が、多少の痛みなど忘れさせた。


「アサクラさぁん!」


 誰かが金切り声をあげた。

 それが自分の声だと、ハシモトは気付かなかった。

 いや、そんなことは、どうだってよかったのだ。


 アサクラはどうなった?


 飛びつくように、その身体を抱き起こした。


「アサクラさん!」


 名を叫び、身体を揺らした。


「……」


 アサクラはされるがままだ。頭は力なくがくがくと揺れ、半開きの目は虚空を見ている。


「ちょ、ちょっと! アサクラ、さん」


 慌てて両手で頬をはさみ、こちらを向かせた。

 しかし、ふたりの視線が交わることは決してない。

 瞳孔はすでに散っていた。


「……うそだ」


 ハシモトは認めなかった。

 受け入れることができなかった。

 アサクラの額にかかった前髪をかき上げ、虚ろな目を何度でも覗きこんだ。

 上から、前から、横から。

 無論、結果は変わらなかった。


「アサクラさん。ふざけないで、下さいよ」


 ハシモトは引きつった笑みを浮かべた。

 血の粘ついた感触が、次第に袖に滲みてきた。


「嫌ですよ、アサクラさん。アサクラ、さぁん……!」


 ハシモトはその首へ噛みつかんばかりに、冷たくなっていくアサクラを抱き寄せた。

 悪態も息遣いさえ聞こえてくることはなかった。

 別れの言葉さえ言ってくれなかった。

 ただ名を叫び、突き飛ばしただけ。

 それだけで、アサクラは逝ってしまったのだ。


「……ブジュウウ」


 呆気ない死を踏みにじるかのように、炎の中からモリヤマが現れた。

 その足許はよろめき、左のハサミは根元から断たれ、全身は赤く染まって、すっかり茹でガニの様相だった。


 それでも奴はまだ生きていて。

 アサクラの命を奪ったのだ。

 こみ上げる涙を、内なる怒りの熱で蒸発させながら、ハシモトはモリヤマを睨んだ。


「……モリヤマ」

「くそ、こんな姿にしやがって。真っ先に殺すつもりだったのに、まだ生きてやがるとはしぶとい奴だなァ」

「黙れ。それはぼくの台詞だッ!」


 ハシモトは牙を剥き吼えた。

 許せなかった。

 こんな奴に。

 こんな奴にアサクラを殺されたのかと思うと堪らなかった。


「ま、どっちでもいいがなァ」

「ッ」


 だが何より腹が立つのは。

 奴に引導を渡すことのできない無力な自分だった。

 せっかく、アサクラさんが命を賭して守ってくれたのに……!


「アサクラと仲良く死んでこいや」


 モリヤマの口器が蠢く。中でぶくぶくと泡が膨れあがる。

 ハシモトは、せめてこれ以上の傷がつかぬよう、アサクラを庇い抱きしめた。

 次の瞬間。


「ブジュウウウウウウウウウ!」

「うあああああああああああ!」


 ハシモトは亡骸を抱いたまま吹き飛ばされていた。

 爆風にうなじを焼かれ、地面のうえをごろごろと転がった。


「いっ……た」


 目を開けると白いアサクラの顔があった。

 ハッとして目を上げた先に、炎の華が咲いていた。

 それは、たちまち熱を失い萎んでいった。


「あっ」


 すぐ側にRPGの破片が落ちてきた。


「ブジュ……」


 モリヤマが泡を垂らすと、コンテナの傍らから呻き声があがった。


「ちく、しょう……ッス」


 胸を押さえ倒れたのは、ツナギだった。


「ハッハァ! これでオレをこんな姿にした武器は消えたぜ。ついでに、てめぇも死んどけやッ!」


 さらにモリヤマは、ハサミに充填した泡を、トラックの運転席目がけ噴射した。

 泡は狙い過たず運転手を撃ち抜き、窓を血で汚した。


「ああ……ッ!」


 ハシモトは手を伸ばした。

 決して届かない命に。


「……ごめんなさい、みなさん」


 そして地面を殴りつけ、項垂れた。

 怒りや憎しみや悔しさが、胸に渦巻いていた。


 ぼくに、もっと力があれば……ッ!


 そう思わずにいられなかった。

 悪魔に魂を売ってでも、モリヤマを倒したかった。


「……あ」


 その思いが悪魔に届いたのだろうか。

 力ないアサクラの手が、地面のうえに投げだされた。

 その手から何かがこぼれ落ちた。

 芝の上に転がるそれをハシモトは掴んだ。


「さァて。次はお前の番だぜ」


 無様な負け犬をモリヤマは嗤った。

 負け犬は両手をついて立ちあがった。


「んん?」


 複眼を蠢かせ、なおもモリヤマは相手を嘲った。


「……まだだ」


 ハシモトは目を見開いた。

 その目でモリヤマを睨みつけた。

 しかし、そこには負の感情を超越した輝きが宿っていた。


「足跡を数えろ」

「あん?」

「歩んできたことを誇れ。そうすれば、必ずまた前に進める」

「なに言ってんだ、てめぇ?」


 怪訝に佇むモリヤマを前にして、ハシモトは手の中のものを握りこんだ。緑の薬液に満たされたアンプルを。


「ブジュ! てめぇ、なんでそれを……ッ!」


 モリヤマは、その正体に気づいた。


「くそがッ!」


 とっさに泡攻撃をくり出そうと腕を上げたが。


「しま……ッ!」


 そこにハサミがないことを、モリヤマは失念していた。

 爆撃を受けた影響か、右ハサミと口の泡の溜まりも遅かった。

 生身の人間程度いつでも殺せる。

 その侮りが生んだ一瞬の隙だった。

 モリヤマは焦り地を蹴った。


「んぐ……ッ!」


 と同時に、ハシモトは首筋にアンプルを打ちこんだ。

 見る見るうちに薬液が注入されていく!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る