四八、モリヤマVSハシモト
西に翻ったハツの耳に、爆音が届いた。
モリヤマと戦った方角からだった。
慌てて背後を振り仰いだ。
中空に萎んでいく炎が見えた。
「まさか、あの野郎……!」
まだ生きているのか。
ハツはアサクラたちの許へとって返した。
モリヤマの姿は、すぐに見つかった。
炎を背にした真っ赤なカニ人間は、緑のなかで目立っていた。
そこへ駆けだしていく人影があった。
ハシモトだった。
「あのバカ!」
ハツは銃を構え、モリヤマの注意を引こうとした。
しかし次の瞬間、ハツは驚きのあまり手を止めた。
「ブジュウウウウウウウウウ!」
奇怪な咆哮を轟かせ、ハシモトがパンプアップしたのだ!
「「「ガガアアアアア!」」」
爆音を聞きつけたのか、プテラノドンの叫びが方々から轟いた。
空兵が空を裂き、ハツを追い抜いた。
その銃口がカニ人間たちを
ガキィン!
同時に、ハサミとハサミがぶつかり火花を散らす。
異様な光景に、空兵たちが戸惑いを見せた。
その一瞬、ハツは意を決し、天地の狭間に割って入った。
「撃つなあああああァ!」
老兵の気迫に、空兵たちが怯んだ。
「茹でガニは敵の
「マジかよ!」
黄色バンダナの少年が、ハツの隣に並んでカニ人間たちを見下ろした。
ハツは空兵たちを伴い、高度を上げた。
「敵将は弾も効きやしないバケモンだ。下手にアタシらが手を出せば、却ってあのバカを傷つけるかもしれない。サシでやり合って勝てるかどうかは分からないけど」
そこでハツは一度言葉を区切り、空兵たちを見渡した。
「ここはハシモトに未来を預けてみないかい?」
「……」
空兵たちは互いに顔を見合わせた。
彼らの心情は問うまでもなかった。
ハツとて、同じ気持ちだった。
臆病で頼りない青年。
それがハシモトという人間に対する率直な印象だった。
だがそのハシモトが、敵の忌々しい力を利用してまで戦うことを選んだのだ。
ハツは、その決断に賭けてみたかった。
「……俺はハシモトを信じるぜ」
真っ先に、バンダナが声をあげた。
みんなはどうだ、と言わんばかりに見渡せば、別の兵士が頷いた。
「邪魔になるくらいなら、自分たちにできることをやっていくしかない」
さらに他の兵士が頷いた。
「システムの守りも盤石ではないしな」
残る者たちも、それらの意見に賛同の意思を示した。
「決まりだね」
決意を固めた仲間たちに、ハツは早速、指示を飛ばした。
自身を含めた三人で周囲の横槍を警戒し、残りはシステムの防衛戦力として西へ飛ばした。
そして横たわったアサクラを見出すと、顔をしかめつつも力強く目を見開いた。
「……今は眠りな、アサクラ。あんたが守ろうとしたもの、託してくれたもの、アタシたちが必ず守り抜いてやるから」
――
ハサミとハサミの鍔迫り合いの最中、モリヤマが扉状の口器を開いた!
「ブジュウウウウウウウウウ!」
迸る泡!
ハシモトは身体をかたむけ直撃を躱すが、頭部から生えたカニ脚三本がちぎれ飛ぶ!
「うらァ!」
さらに重心が乱れたことで拮抗が破れ、ハサミを上に弾かれた! 無防備になった胸板に、前蹴りがめり込む!
「ブジュア……ッ!」
吹っ飛ばされるハシモト!
「ブジュウウウウウウウウウ!」
そこへ容赦ないハサミ泡攻撃が発射された!
ハシモトは受け身をとり、負けじと泡を吐き返した!
泡と泡が衝突する!
その刹那!
飛び散る泡の膜をやぶり、モリヤマが眼前に現れた!
「ボサっとしてんなよォ!」
振り下ろされるハサミ!
ハシモトはそれを、かろうじてハサミで受ける!
「……ジュ!」
衝撃が肩まで突きぬけた。
キチン質の肌がミシミシと音をたてた。
基本的なスペックでは、あちらが上だ。純粋な力比べでは絶対に勝てない。
だが、ハシモトは諦めていない。
相手のハサミは一本。
ここは攻める。
ハシモトは、もう一方のハサミを突きだす!
「おせェ!」
が、その時、モリヤマの声は真横から響いた!
「ジュバァ……!」
振り向く間もなく、側頭部に蹴り足がめりこんだ!
目の前に火花が散り、ハシモトは弾き飛ばされた!
「ブジュ……ゥ!」
地面に衝突する寸前、ハシモトは地面にハサミを突きたてた。たたらを踏みつつ体勢を立て直す。
アサクラさんの蹴りのほうが、ずっと強烈だった……!
頭を振って邪魔な火花を払いのけると、迫りくるモリヤマに焦点を合わせた。
打ち合いになれば絶対勝てない。でも……ッ!
ハシモトは、このいびつな肉体を徐々に理解しつつあった。
相手がハサミを振りあげたのを見てとった瞬間、真横に駆けだしたのだ!
「なッ……!」
モリヤマのハサミが空を斬り、ハシモトが横面をとった。
即座に右足をねじりながら大地を踏みしめ、回し蹴りを打ちこむ!
「ぐあ!」
背中に蹴りを受けモリヤマがよろめく。
ハシモトはいきおいハサミを振り下ろす!
不安定な姿勢からモリヤマもハサミを振り抜いた!
ギャリ!
ハサミとハサミがはっしと打ち合う!
ハシモトのハサミにひびが生じ、モリヤマのハサミは先端が欠け宙を舞う!
今だッ!
ハシモトは腰をねじった。
そして、もう一方のハサミを真横にふり抜いた!
「くそがァ!」
ところがその時、モリヤマのハサミから発射された泡が、ハシモトの脇腹を射抜いた!
「ブジュジュ……ッ!」
裂けた脇腹からカニ汁が噴きだした。
それでもハシモトは、振り落とすハサミを止めなかった!
「ぐあああああッ!」
したたか背中を打たれたモリヤマは、錐揉み回転しながら吹っ飛んだ!
生垣の残骸に突っこみ、塵芥を巻きあげる!
「ブッ、ジ……ュ」
たまらずハシモトは膝をつく。
脇腹からこぼれかけた白い身を、ハサミで無理矢理おさえ込む。
もうもうと立ち込める土煙に目をやると、そこに敵の影が立ちあがってこぬことをひたすら願った。
「いってぇなァ……!」
しかし、薄らぐ粉塵の中から怒れる声が轟く。
その背中はひび割れ、汁を垂らしていたが、それだけだった。複眼をもたげながら地面にハサミを突き刺すと、モリヤマは立ちあがった。
「ブ、ジジュ……ッ!」
ハシモトも立ちあがろうとした。
だが、立てなかった。
膝が伸びきる前に砕けてしまうのだ。
「ジュジュ……!」
脇腹の痛みに耐え、震える膝を叩いた。
折れた膝は――伸びない。
こんな醜い姿になってまで戦って……結局、ぼくは敗けるのか?
絶望が、じわじわと胸を侵した。
「ジ、ア……バ」
嫌だ。
ハシモトは、絶望を押しのけ足掻いた。
自分がここにいる意味をたぐり寄せた。
こんな無茶苦茶な世界でも。
理不尽な世界でも。
愛し生きている人たちがいること。
生きてきた人がいること。
自分も、その一人であることを。
心の
「ブ、ジュウウウウウウウウウ……ッ!」
そして、ハサミを支えに膝を伸ばす!
「ハッハァ!」
モリヤマが向かってくる! 塵芥の尾を引きながら、彼我の距離を喰らう!
ハシモトは迎え撃とうとハサミを構えるが――遅い!
敵のハサミが、防御の上から襲いかかる!
「させねえッスよぉ!」
その時、沈黙していたトラックがモリヤマに襲いかかった!
「生きてやがったのか、クソがッ!」
モリヤマは攻撃の手をひき、バックステップでトラックを躱した!
「こいつのおかげでね!」
ドリフトするトラックの中から、ツナギが何かを投げつけた。
モリヤマがとっさに泡で撃ち抜くと、それは無数に分かれひらひらと舞い落ちた。
メガネイター特集の組まれた成人誌だ!
「ブ、ブジュウ……!」
この隙に、ハシモトは再起を試みた。
そして、ハサミの濡れた感触に気付いた。
「ブ……?」
ハサミを目の前に掲げると、錆色の表面が血に染まっていた。
それを認めた瞬間、世界が息をとめ、景色が色を失くした。
真っ暗闇の中に、ハシモトは放り出された。
背後に気配を感じ、ハシモトはふり向いた。
「……」
そこにアサクラがいた。
横たわって虚空を見つめた、友が。
彼が息を吹き返すことはもうない。
どんな激励の言葉もかけてはくれない。
けれど、友の存在を感じただけで、ハシモトの胸にぼんと焔が爆ぜた。
景色が浮かび上がり、闇に色が灯った。
鮮明な血の色を、ハシモトは見た。
それはハシモトとアサクラを繋ぐ、赤いあかい血の足跡だった。
「ブジュ、アアアアア!」
ハシモトは吼え、地面にハサミを叩きつけた。その反動で、無理やり立ちあがった。脇腹から汁が溢れた。痛みすら胸の炎にくべ、土塊が爆ぜるほど強く地を蹴った!
まだ、ぼくは前に進める!
ふみ出すたびに足跡が刻まれる。アサクラの血が火の粉のごとく飛散する!
「邪魔だ、おらァ!」
モリヤマの振りかぶったハサミが、トラックの車体とコンテナを切り離した。トラックはバランスを崩し、土を抉りながら横転した。
だが、その一瞬、ハシモトの前に無防備な背中がさらされた。
「ブジュウウウウウウウウウ!」
ハシモトは感覚の乏しい足で、なおも地を蹴った。
勝てるだろうか。勝てないかもしれない――うるさい。
悲観的な気持ちは、脇腹からこぼれ落ちる身とともに捨てた。
ハサミを構え、赤い未来を刻んだ。
ぼくに力を貸してください、アサクラさんッ!
声にならぬ声を叫びながら!
「ガガアアアアア!」
それが天にまで届いたか!
突如、RPG痕の炎を突き破り、片翼のプテラノドンが姿を現した!
そして、不死鳥のごとき炎をまとったまま、両足で極カニ人間の頭を掴んだのである!
「おああああああああッ!」
滑空するプテラノドンに引きずられ、モリヤマとの距離が急速に縮まっていく!
ハシモトは土を舞いあげながら急制動をかけた!
脇腹の横にまでハサミを引いた!
全身が軋み、踏みしめた大地を蜘蛛の巣状に割った!
プテラノドンがモリヤマを投げ放った!
「ブジュウウウウウウウウウ!」
刹那、ハシモトはハサミを突き出した!
それは紅蓮の炎を帯び、モリヤマの甲羅と
いきおい欠けた破片が火花と化し、衝撃波が丸く膨れあがる!
「ブジュアッ! て、てめぇッ!」
無様に足掻くモリヤマの後ろで、ハシモトは自らの足跡を抉り、さらに深くハサミをねじこんだ!
「ジュバ……ァ! や、やめろォ、このクソ野郎!」
その瞬間、いつかの記憶が去来した。
夜のパチンコ店の光景が、眼前の光景と重なり合った。
あの時、この手にはバールのようなものがあった。
しかし今、この手はハサミだ。
すなわち、てこだ!
「ジュアアアアアアアアアアアアアアアッ!」
ハシモトは膝をたて、そこにハサミをのせて全体重をかけた!
支点! 力点! 作用点!
てこの原理が!
モリヤマの甲羅を!
こじ開ける!
「ジュバァ! ババババババババババババァ!」
絶叫とともに、夥しいカニみそがまき散らされた!
甲羅は地面をバウンドして転がった。
残された身体は、ハサミを遮二無二ふり回した。風を裂く音が、ビュンビュンと空しくなり響いた。
それも次第に勢いを失くし、やがて途絶えた。
カニみそ溜まりにバシャリと倒れた。
ハシモトもまたカニみその中に両膝をついた。
「ジュア……ジ、ジジ……げはッ……」
咳きこんだ身体から、虹色の膜が剥がれ落ちた。
まるで脱皮のようだったが、その輪郭は急速に縮み、人のそれへと戻っていった。
ハシモトは脇腹から滲みだす血を、ひび割れた両手の指で押さえつけた。
「……死ぬ、のかよ。ちくしょうが」
無念の悪態は、転がった甲羅から発せられた。
ハシモトは、その眼球を睨みつけた。
「お前の野望は、潰えた」
「みてぇだな、クソが。だが、てめぇらも道連れだ」
「なに?」
訝しんで目を眇めたハシモトを、モリヤマはおめでたい野郎だと嘲った。
「俺を倒してシステムを守り切ったことにはならねぇんだよ。お前らとおっぱじめる前に、〈メガネーズチルドレン〉はフクの井へ向かったぜ。カニ人間と一緒になァ」
甲羅の眼球が細まり、ガラガラと耳障りな笑い声を上げた。
「そろそろシステムにアクセスし始めた頃だろうぜ。じきに、お前らの仲間だと思い込んでたメガネイターが市民を襲い始める。恐竜だって暴れだすかもしれねェ。お前らの守ろうとしたもんが、ことごとくお前らに牙を剥くのさァ……!」
またぞろモリヤマは笑い声をあげた。ハシモトの胸をかきむしるように。
やがて、その声も途切れた。
甲羅の眼球から光が消え失せた。
「みん、な……」
ハシモトはフクの井の方角を見やった。
そこで体力が底をついた。
焦燥に胸を炙られながら、ハシモトは意識を失った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます