三一、そこにいる誰か

「撃ちまくれェ!」


 バンダナたちは引金をひいた。


 ダダダダダダダダダ!


 夥しい数の銃弾が吐きだされ、扉を吹っ飛ばした。

 暗視ゴーグルの視界に、血煙と肉片のノイズが拡散した。


「待て!」


 誰かが叫んだ。誰が叫んだのかわからなかった。

 バンダナは一瞬、銃撃をやめようとしたが、狂ったように喚きつづける銃声につられて引金をひき続けた。


「死にくされェ!」


 あっという間に弾倉は空になり、血煙ばかりが膨れあがった。

 弾倉を排出リリースし、バンダナは引きつった笑みを浮かべた。


「やったか……?」

「まだだ」


 きっぱりそう言い放ったのは、マスナガだった。

 それを一瞥してバンダナは、ぎょっと目を剥いた。

 暗視ゴーグル越しにも明らかだった。

 あれはカニ人間の血肉ではない。人の血肉だ。

 階段のバリケードを破壊し、後続を囮に使ったのだと、ようやく気付いた。


「カニみそじゃない……?」


 同志も、異変を感じとったようだった。

 皆一斉に新たな弾倉をぶちこみ、ノイズじみた粉塵に銃口を向けた。

 小教室の戸口から、パラパラと木片が降りそそいだ。


「伏せろッ!」


 次の瞬間、バンダナはマスナガに押し倒された。

 闇にひとつ発砲音が弾けた!


「ッ!」


 と同時、殺人泡が斜めに飛来し、マスナガの背中をかすめた。

 教室の天井付近では、カンと銃弾をはじき返す音。


「上だッ!」


 同志たちの銃口が上向き、弾丸を吐き出した!

 粉塵の中、黒くおぼろげな塊が落下した!


「おわァ!」


 その時、一丁のアサルトライフルが運悪くコックオフ!

 その隙を見逃すカニ人間ではない!

 弾雨に生まれたほころびを縫うように、異形の影がとび出した!


「どけッ!」


 バンダナはマスナガを突き飛ばし、膝立ちに射撃した!

 ジグザグ走行する影を弾幕が追い詰めた!

 頭部の欠けたカニ脚が、さらに欠けた!

 防御に掲げたハサミも、たちまち千切れ飛んだ!


「ブジュアアアアアアア!」


 だが、絶命には至っていない!

 半身になって銃撃を受ける面積を減らし、恐るべき高速横歩きで、瞬く間に接近!

 向きなおる勢いそのまま、真横にハサミを振り抜く!

 それはバンダナとマスナガの頭上を通過したものの、


「ゲハ……ァ!」


 同志たちを強か打ちつけ吹っ飛ばした!


「ジュジュ」


 カニ人間の黒々とした目が、バンダナを見下ろした。

 貧弱な少年を嘲笑うように、その口器ががぱりと開いた。中でぶくぶくと泡が弾けた。

 バンダナは銃口を上向けた。

 しかし、弾倉はすでに空だった。


「ちく、しょう……!」


 バンダナは己の死をさとった。

 まなじりを涙が濡らし、視野が歪んだ。


 そこに幼い子どもの姿が映りこんだ。

 恐竜の犠牲者の懐をあさる貧しい子どもだった。

 臓腑の喰いちぎられた骸の前に、彼は屈みこんでいた。

〈クラブラザーズ〉に両親を殺されたからだ。

 他に生きる術など知らなかったのだ。


『逞しいね』


 そこに女がやってきた。彼女はハツと名乗った。

 名を訊ねられても、彼は答えようとしなかった。


『ガキはガキらしく生きるべきだよ。アタシが面倒みてやる』


 付いて来な、と彼女は言った。

 彼は僅かに身を引いた。

 どこの馬の骨とも知れぬ相手だ。警戒しないほうがおかしい。

 だが女をめつけた目は、つと彼女の肩から提げられた小銃に縫い付けられた。


『こいつが気になるのかい?』


 彼は顔をしかめたが、恐るおそる返事をした。


『なる。それ、なんだ』

『うーん、アタシの魂みたいなもんかね』

『たましい?』

『アタシをアタシにしてくれるものさ』

『それは、つよいってことか?』

『強い? さあ、そう言えなくもないが。どうして、そんなこと訊くんだい?』

『お父さんとお母さんが言ってた。大きくなって強くなったら、自分たちを守ってねって。たましい手に入れて強くなれるなら、またふたりに会ったとき、今度こそ守れるだろ』


 彼がそう言うと、ハツは目を伏せて微笑んだ。

 もしも付いて来るなら、これの使い方を教えてやると言った。これが強いかどうかは、使い方を理解してから考えろとも。


 彼は不思議な気持ちになった。

 煤けた世界に、色が差したような気がしたのだ。

 ふと傍らの骸に目をやると、バンダナの黄色が眩しかった。

 それを拝借して、彼は立ちあがった。

 強さを学び、今度こそ両親を守るのだと誓って。


 ――ハッ、夢から覚めるときが来たのかよ。


 だが今はもう、二度と両親に会えないことくらいわかっている。

 だから、せめて手の届く相手くらいは守れる人間であろうと努力してきた。

 そうして生きることが、バンダナのたましいだったのだ。


 いよいよ、ここまでか。


 少年は黄色いバンダナに手をやった。

 これも、あの頃あさっていた品々のように、血に染まり朽ちていくのかと思ったら哀しかった。


「クソったれえええ!」


 思わず叫んでいた。

 自分がここにいたこと。

 誰かが自分とともにあったこと。

 それをこの闇の中に、刻みつけようとでもするように。


「あああぁああああぁぁああああぁあああぁぁあッ!」


 そして、叫びは届いた。

 目端で誰かが立ちあがったのだ。

 両者の視線を、それが断ち切った。

 カニ人間の口に銃身が突っ込まれた。


「おまっ……!」


 マスナガが静かな怒気を湛え、そこにいた。

 三発の銃声が轟いた。

 カニ人間が三度ふるえた。


「ジ、ジュ……ッ!」


 しかしそのハサミは、なおマスナガを抱きこもうとした!

 バンダナは、溢れかけた涙を気力で押しとどめ動いた!

 ありったけの力で、銃床を振り抜いたのだ!


「っりゃああああああああああああああッ!」

「バジジ……ッ」


 膝を砕かれ、カニ人間がバランスを崩した!

 ハサミは虚しくマスナガの頭上を通過した!


「うらァ!」


 もう一方の膝にも銃床を叩きつけると、カニ人間の巨体は後ろに倒れた。


「ブ、ブブブ……!」


 カニみその混じった泡があたりを汚した。カニ人間は痙攣しながら、ゆっくりとハサミをもち上げた。


「楽にしてやれ」


 そこに復帰した兵士たちが駆けつけ、介錯の斉射をみまった。

 カニ人間の甲羅は千々に砕け、今度こそ動かなくなった。


「う……ッ」


 マスナガが膝をついた。


「大丈夫かっ?」


 バンダナがその肩に手を置くと、マスナガは表情なく立ちあがった。


「問題ない。背中がすこし痛むだけだ」

「無理すんじゃねぇ。もうダメだと思ったら後退しろ」

「まだ戦える」


 弾倉を入れ替え、スライドを引くと、マスナガは弾痕おびただしい倉庫に目をやった。

 バンダナもまた同じ闇を見据えた。

 敵はまだ来ていない。

 だが、いつ次が来るとも知れない。

 自身のアサルトライフルを一瞥し、バンダナは誰ともなしに呟いた。


「……そんじゃ、もう少し暴れるか相棒」

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