三十、籠城戦

 朝焼けに色づいた空は、またたく間に鈍色の雲で覆いつくされようとしていた。

 まるで、血腥ちなまぐさい抗争の音が招き寄せた魔物のように。


 間断なく響きわたる銃声が。

 屋上を転がる薬莢が。

 破滅的な音色を奏でるたび、暗雲は空を握りつぶし、赤い稲妻を閃かせて笑う。


 だが、どうして引金にかけた指を、ボルトを引く腕を止めることができようか。


「クソがッ。キリがないね」


 照準器の中に押しよせる軍勢を見ながら、ハツは毒づいた。

 撃てども撃てども敵の勢いが衰えることはなかった。

 如何せん、数が多すぎる。

 隊列に乱れを生じても、ほんの一瞬で修正されてしまうのだ。

 これでは、水面に延々と石を投げ込んでいるような気になってくる。


「金髪リーゼント、アンプル所持! 角度修正――!」


 その時、銃声でひりついた鼓膜を、隣の狙撃メガネイターの声が叩きつけた。市街に潜伏した観測手からの情報が伝えられたのだ。

 ハツは即座に息を殺し、雑音を切り捨て、視覚と指先の感触だけに意識の糸を張り渡した。

 照準十字線レティクルに、アンプルを呷るリーゼントチンピラが重なった。


 銃撃ファイア


「ッ!」


 反動とともにハツの意識の糸は解れた。

 照準器の中の命の糸もまた断ち切られていた。

 スナイパーライフルの貫通力をもってすれば、カニ人間の甲羅も脱皮したてのズワイガニズボガニのように脆かった。


 とはいえ、カニ人間を倒すことができても殲滅にはほど遠い。戦況にほとんど変化はなかった。


「ったく。年寄りにはきついね。こちとら肩もあがりゃしないのにさ」


 ハツは額の汗を拭った。

 空の魔物は、その行為を嘲笑うかのように一滴のしずくを落とした。

 深いしわの隙間に冷たい感触が沁み、薬莢のうえを新たなしずくが流れた。

 間もなく、葉を、油揚げの実を、雨粒が揺らし始めた。


「チッ、いよいよ降ってきやがったね……」


 すぐさま後衛部隊が屋上にまろび出、菜園の支柱に雨除けの幌を架け渡したものの、狙撃手にとって恨めしい環境であることに変わりはない。

 一方、照準器の向こうでは、チンピラたちが天に拳を突きあげていた。


「ヒエアアアアアアアアアアア!」

「ホオオオオオオオオオオオオ!」

「ピュキイイイイイイイイイイ!」


 わずかに遅れて快哉が届いた。

 次の瞬間、狭隘きょうあいな視界に、錆色の残像が駆けぬけた。

 カニ人間だった。

 まるで水を得た魚。

 否、水を得たカニである!


「ブジュウウウウウウウウウッ!」


 数瞬の後、平屋の陰からカニ人間がとび出した!

 屋根瓦を蹴れば、高々と跳んだ!

 その距離、およそ五十!

 狙撃手たちは、ただちにアサルトライフルに武器を持ち替え、屋上のへりから身をのり出した!


 ダダダダダダダダダ!


「ブジュアアア!」


 空中でくるくると回りながら、カニ人間墜落!


「ヒエアアアアアアアアアアア!」

「ホオオオオオオオオオオオオ!」

「ピュキイイイイイイイイイイ!」


 しかし狙撃の手数が減れば、当然、敵はその間隙を縫って距離を縮めてくる!


「奴ら、もうグラウンドにまで来やがった!」


 早速、南で狼狽の声があがる!


「チッ! 平地を攻められるのはまずいね……ッ」


 ハツはすぐに事態の深刻さを理解し、南に持ち場を移した。


「ヒエアアアアアアアアアアア!」


 茂みをかき分け、チンピラたちが迫りくる!

 その手には釘バット、バールのようなもの――そして案の定、梯子が見てとれた!

 梯子チンピラは凄まじい膂力を駆使し、単身壁に梯子を立てかけようとする!


「キュロオオオオオオオオンッ!」

「オゴッ!」


 その横っ腹に、プシッタコサウルスが強烈な跳び蹴りをかました!

 勇敢な姿にハツたちは奮い立った。


「「「うおああああああああああッ!」」」


 屋上から身をのり出し、アサルトライフルを斉射した!

 飛び散る血液が雨と混じり、グラウンドの茂みを濡らす!


「ホオオオオオオオオオオオオ!」


 にもかかわらず、後続がすぐさま茂みを踏みちらす!

 倒れた梯子を立てかけようと足掻く!

 ベニヤ板ごと窓を叩き割る!


「死にくされ、クソどもがァ!」


 ハツは悪罵の叫びで同志たちを鼓舞しながら、引金をひき続けた!



――



 とおく窓が割れ、板の砕ける音が聞こえてくる。

 ここは保健室の天井裏。

 板張りの通路の只中。

 正規ルートからやって来る敵を迎え撃つ、最前線。


 蟻の巣のごとく設けられた無数の横道には今、侵入者を一網打尽にするべく兵士たちが息を潜めている。

 その最奥、二階にいたる小階段の前で、マスナガは拳銃のスライドを引いた。


「……」


 戦いの予感は、マスナガを冷静にさせた。

 汚い汁を吐きだすスポンジのような不安は、次第に乾きつつあった。


 俺はなんのために戦う?


 マスナガは自問した。


 俺として生きるためだ。


 マスナガは自答した。


『もう誰も失いたくねぇんだ』


 そして、星空のもとで過ごした、あの時間の貴さを想った。


 あの時、俺は間違いなくあいつらとの繋がりを感じた。


 ずっと望まず敷かれたレールの上で、孤独を生きてきた。

 マスナガには信じられるものがなかった。

 教育係の期待した力は身に付かなかったし、暴力で切り拓きたい目標もなかった。メガネを埋めこまれると、漠然とした未来を思い描く気力さえ失せてしまった。


 けれど、終わりが近いからと足掻いて。

 あのふたりに出会って。

 ともに進むことを選んで。


 俺は、独りではなくなった。


 マスナガは静かに目を伏せ、やがて笑った。


「……ふっ」

「げ、なに笑ってんだよ」


 すると、隣のバンダナ少年が顔をしかめた。


「てか、あんた笑えたんだな。ずっと人形みてぇな顔してたけど」

「心の中ではそれなりに笑う」

「真顔にもどって言うことじゃねぇよ」


 バンダナは呆れつつも笑った。

 こいつもなかなか気持ちの好い奴だと思った。

 だが、悠長に親睦を深めている時間はなかった。

 足許で物音がした。


「……来るぜ」


 ふたりは表情を引き締め、暗視ゴーグルで不自然に色づいた闇の奥を見据えた。

 バコンと天井が開け放たれた。懐中電灯の人工的な光がノイズを発した。モヒカンが這いあがってきた。


「ま、とりあえず、お互い生きようぜ……!」


 真っ先に発砲したのは、バンダナだった。

 相槌代わりに、マスナガも引金をひいた。モヒカンに続いて現れた三人を、狙い過たず撃破した。


「なんだよ。心強いな、おい」


 闇が呟きを呑み込んだ。

 早くも、ぴたりと侵攻が止まった。

 しかし敵が絶えたわけではなさそうだった。


「――」


 何事かを話す声が聞こえるのだ。

 マスナガは構えを維持し続けた。


 一時は弛緩した様子を見せたバンダナも、声に気付いて小銃を担ぎ直した。

 そのこめかみから汗が流れた。

 バンダナが肩で首の汗を拭った。

 その時、凍裂した樹木のような破砕音が轟いた。


「マジかよ!」


 またぞろ破砕音が響きわたり、床に穴があいた!

 銃口を向けると、飛び出したバールのようなものが床下に引っこんだ!


「クソッ!」


 伏兵たちがすぐさま反撃に出るも、敵はいまだ死角だった。

 無暗な発砲は、むしろ穴の拡大を助けてしまう。

 たちまち倍にまで拡がった穴に、新たな梯子が架けられた。

 姿を現すチンピラの数もまた倍!

 とはいえ、まだ十分に迎え撃てる数だ!


「ぐえあッ!」

「いん……っ」


 たちどころに浴びせかけられる弾雨!

 チンピラたちが蜂の巣と化す!

 ところが、ゴルフクラブチンピラが崩れ落ちる瞬間、得物が弧をえがいて通路の一部を叩き割った!


「木だ!」


 階下から声!

 通路の脆さに気付かれたのだ!

 チンピラはさらに穴を拡げ、新たな梯子をかけ、銃撃を受けないギリギリの位置から通路を破壊しはじめた!


「ちくしょうッ!」


 マズルフラッシュが闇をなぎ払うも!


「ヒエッハァ!」


 依然として敵は天井の下だ! 撃ち抜くことはできない!

 得物だけが現れては消え、現れては消え――板壁を叩き壊す!

 そして、新たな梯子を架けわたす!


「……!」


 マスナガは恐るべき集中力で、露出した梯子の一部を狙撃!

 だが、それも一時しのぎにしかならない。

 梯子はすぐに架け直されてしまう。


「行けェ!」


 穴の下から怒号が響いた。

 すべての梯子がガタガタと音をたて始めた。


「ヒエアアアアアアアアアアア!」

「ホオオオオオオオオオオオオ!」

「ピュキイイイイイイイイイイ!」


 幾人ものチンピラが天井裏にまろび出た!


「撃てェ!」


 ふたたび銃撃が迎え撃つ!

 チンピラたちは無様なダンスを踊る!

 血煙があたりにたちこめる!


「チッ! 裏に入られた!」


 しかし敵の数が増えれば、当然、打ち洩らしもでてくる。

 破壊された壁にチンピラが侵入するのを、マスナガも認めた。だからと言って、無暗に引金をひけば、仲間を撃つ恐れがあった。

 己の射線に入った敵だけをポイントしていくしかなかった。

 無論、それは仲間たちも同じで。


「ヒエアアアアアアアアア!」


 壁の裏に侵入されれば、なす術がない!


「うおあッ! 南通路崩壊!」


 同志の狼狽が響きわたると同時、通路に粉塵と木っ端が乱れとんだ!


 ダダダッ! ダダダッ! ダダッ!


 視界にノイズがはしり、銃撃のリズムが狂い始める。

 間もなく、北通路でも木っ端が舞った!


「ちっくしょ……ッ!」


 マスナガとバンダナの狙いも次第に狂っていった。

 徐々に、じょじょに敵の息遣いが迫る!


「くっそ! くたばりやがれぇ!」


 その時、マスナガたちの両脇に延びた通路からマズルフラッシュが閃いた。

 伏兵を務めていた男が駆け込んできたのだ。


「あっぶね……ッ!」


 その肩をアイロン台がかすめた。


 パン!


 マスナガの正確無比な一撃が、アイロン台チンピラの額を撃ち抜いた。


「ここはもうダメだ! 後退する! 後退!」


 そして、マスナガは男の指示に従った。


「ホオオオオオオオオオオ!」

「うるせぇ! 黙ってろ!」


 追手を撃ち殺しつつ、バンダナとともに小階段をのぼった。

 倉庫のような場所に出た。拘束された際にも通った、人体模型などが放置された小教室だった。


「急げ! 急げェ!」


 伏兵たちが腕を回し、後続を引きあげる。

 マスナガはバンダナとともにざっと同志を数え、逃げ遅れたものがいないことを確認。それをリーダー格の同志に告げた。すると、すぐさま号令が出された。


「次の作戦に移るぞ!」


 作戦の概要はバンダナから聞かされていた。

 マスナガは、人体模型を抱えあげる同志の中に混ざって、それを運んだ。


「ピュキイイイイイイイイ!」

「せーのっ!」


 そして、階段を駆け上がるチンピラに向けて、投げつけた!


「うおあああああああああああ!」


 不気味なボディアタックが決まった!

 内臓を鉛に取り換えられた人体模型は、チンピラたちを階段の下へ叩き落としていく!

 その口に咥えられているのは破片手榴弾フラグメンテーションである!

 間もなく爆散!


「「「うぎゃあああああああああ!」」」


 無数の破片が飛び散り、チンピラの肉を切り裂いた!

 血煙が湧き立ち、饐えた臭いが鼻をつく!

 マスナガたちは心を鬼にし、学習机や椅子を放りこみ敵の進路を塞いでいった。


 ギィンッ!


 その音が闇を慄かせたのは、最後の机を押し込んだときだった。

 マスナガの側にいた男の頬と歯が、ばらばらと床にこぼれ落ちた。

 机の天板を、鉄の物入れを穿って、カニのハサミがとび出していた。


「ジジッ!」


 次の瞬間、ハサミが横に振りぬかれた。男の鼻から上が切り飛ばされ、血が天井まで噴きあがった。


「まずい!」


 マスナガたちは慌てて、その場からとび退った。

 倉庫をとび出し、扉を閉めた。

 即座にフォーメーションを組み、各々の火器を構えた。

 倉庫の中から奇怪な声が聞こえてきた。


「……ブジュウウウ」


 扉にはめ込まれたすりガラスに、カニのシルエットが浮かび上がった。

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