二五、決別

「……モリヤマは死んだはずだった」


 暗鬱とした過去を語り終え、アサクラは項垂れた。


「なのに、あの野郎、まだ……ッ!」


 シバとともに散ったはずの、あの男がまだ生きている。

 その事実は、アサクラがこれまで封じこめてきた悲しみや憎しみの堰を、たちどころに崩壊させた。


「……なるほど」


 だから、マスナガの呟きを聞いて。

 いつの間にか起きていた、ハシモトの痛々しい表情を見つけた途端。

 アサクラは、こう思わずにはいられなかった。

 こいつらにオレの何がわかる、と。


「……くそ」


 けれど、アサクラはふたりを睨みつける寸前、きつく瞼を閉じて己を戒めた。


 こいつらは、オレを心配してくれてんだ。それに、オレみたいな奴に誰かを責める資格なんてねぇさ……。


 これは自分自身の過ちが招いたことなのだ。

 シバがあんな事になる前に、勇気を出してとび出して行けば。

 自分自身の手でとどめを刺し、奴の死を確かめておけば――。


「……もういい」


 その時、アサクラの不毛な懺悔が聞こえていたかのように、ハツが吐き捨てた。


「とりあえず、あんたたちが信用に値する人間かどうかは、あとで然るべき儀式を執り行って確かめることにする」


 彼女を銃をしまうと、さっさと踵をめぐらせた。


「いいのか? 俺を殺さなくても」


 その背中をマスナガが呼び止めた。

 ハツは煩わしげに振りむいた。


「あんたを殺してなんになる」

「メガネを使って組織とやり取りしている可能性はあるだろう」


 ハツは相手のメガネを認め、目を眇めたが、ややあって乾いた笑いを笑った。


「そうかもね。だが、どうでもいいさ。あんたが情報を流して、奴らがここへ来るならそれもいい。フクイ市へ向けられる戦力が減るんだから」

「やはり、あんた〈フクイ解放戦線〉だな?」

「そうさ」


 ふたりのやり取りに、アサクラはまたも驚かせた。

 以前の抗争のあと、メガネイターが誕生し〈フクイ解放戦線〉は自然消滅的に解体されたはずだったからだ。


 だが、現在の〈クラブラザーズ〉の横暴を見ていれば、メガネイターの治安維持が行き届いていないのは明らかだった。

 だからこそ、こんな辺鄙なところまでやって来る破目になったとも言える。


「……」


 アサクラは、改めてハツの身なりに注目した。

 そして、タクティカルベストの胸部に刺繍された不死鳥のマークを見てとると、静かに目を伏せた。


 あれは戦災や震災といった災禍に見舞われながらも、挫けることなく立ちあがってきた、フクイ県民の努力を象ったものだった。

 それはつまり、〈クラブラザーズ〉という災禍に抗するべく立ちあがった〈フクイ解放戦線〉のシンボルでもあった。


「……なあ」


 アサクラは、かつての仲間としてハツに目を向けた。

 疲れているからか、老いたからなのか、返ってきた眼差しは、どろりと濁っていた。


「オレたちをここに匿ってくれねぇか」

「なんでだい?」

「考える時間が欲しいんだ」


 ハツが怪訝な目を向けたのは一瞬のことだった。

 むしろ、得心がいかない様子を見せたのは、ハシモトとマスナガだった。

 しかし交渉の邪魔になると懸念してか、ふたりは何も言わなかった。

 ややあって、ハツが嘆息をこぼした。


「あとで決めるって言ったはずだよ。アタシは、まだあんたたちを信用しちゃいない」


 そう言い残すと、今度こそ去っていった。

 教室には、三人だけが取り残された。


「……あの」


 おずおずとした様子で、口をひらいたのはハシモトだった。


「考える時間っていうのは?」


 アサクラはハシモトを見返した。

 次いでマスナガを見やった。

 一度ゆっくり瞬いてから、アサクラはふたりの正面に座り直した。


「オレたちの目的は〈オオノ〉へ向かうこと。そうだよな?」


 ああ、と答えたのはマスナガ。

 ハシモトもこくりと頷いた。


 ふたりの目を見返すと、胸の奥がちくりと痛んだ。

 アサクラの眼間まなかいには、もう〈オオノ〉の幻想は立ち昇ってこなかった。

 瞋恚しんいを滾らせた、どす黒い炎ばかりが、希望を舐めていた。


「戻るのか?」


 悠長な答えを、マスナガは待ってくれなかった。

 アサクラは苦い笑みを浮かべた。


「やっぱ、分かるか」


 ハシモトだけが目を白黒させた。


「え、どういうことですか?」


 どいつもこいつも、いつも通りだった。

 ひとりだけが、いつもと違っていた。


 オレだけが……。


 居住まいを正し、やがてアサクラは切り出した。


「オレは〈フクイ解放戦線〉に加わろうと思う」

「えっ……」


 明かりの希薄な世界で、ハシモトがはっきりと色を失くした。

 マスナガの眼差しが、心なしか咎めるように鋭くなった。


「すまねぇ」


 アサクラは頭を下げた。

 拘束されているのも忘れ、いきおい床に額を打ち付けたが構わなかった。


「サトちゃんが回復するまで、ふたりの事はなんとか匿ってもらえるよう話をつける。だから、すまねぇ。オレが一緒に行けるのは、ここまでだ」

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