二四、あの日

「あれ、俺がやったんだよ」


 肩を組んで囁いたシバを、アサクラは見返した。

 ついに、この時がやって来た。

 そう理解するのに、しばらく時間が必要だった。


「要するに……」

「宣戦布告だよ」


 言い淀むアサクラに、シバがすかさず答えた。


「だ、だよな」


 アサクラは無理矢理引きつった笑みを浮かべた。

 誰が誰に対し、宣戦布告したのか。

 もう、訊ねる必要はなかった。

 フクイは〈クラブラザーズ〉に掌握されつつある。

 それをあるべき姿へ戻すために、〈フクイ解放戦線〉が動きだしたのだ。


「さて、俺たちも動くぜ」


 シバが立ちあがる。足許のショットガンを担ぎ直しながら。

 アサクラも席を立とうとした。

 その時、店の戸口が開いた。


「邪魔するぜェ」


 姿を現したのは、顔の下半分を髭に覆われた大男だった。

 大男はシバに目を留めるなり、岩のような拳を掲げた。


「よォ! やっと見つけたぜ、大将」


 シバは相手を見返し、人当たりの良い笑みを浮かべた。


「おう、モリヤマ。ニュース見たか?」

「見たぜ」

「さすがだな。戦いたくてウズウズしてんじゃねぇか?」

「……」

「お前もこれから出るんだよな?」

「だから迎えに来たのさァ。さっさと行こうぜ」


 モリヤマは答えながらアサクラを一瞥し、笑った。これから死地へ赴くもの特有の獰猛な笑いだった。強者がみせる弱者への嘲りでもあった。

 アサクラは睨み返そうとしたが、ぷいとそっぽをむくので精一杯だった。


 怖かったからだ。

 体術を教わる中、モリヤマから受けた苛烈なシゴキは痣となって身体中に刻まれていた。助けを乞う自分の声が、疼きとともに蘇ってくる。


 拷問吏。

 それが〈フクイ解放戦線〉の中で囁かれるモリヤマの二つ名だった。


「よし、行くか」


 シバの軽やかな声は、恐怖の記憶を束の間ぬぐい去ってくれた。


「でも、その前に」


 しかし続く一声の険しさに、アサクラはただならぬ緊迫を感じとる。

 シバが大股に踏みだし、モリヤマの前に立ちふさがったとき、その双肩からは空気が歪んで見えるような殺気が立ち昇っていた。


「外の連中はなんだ? お前の友達か?」


 シバの視線の先になにがあるのか。

 アサクラは恐るおそる立ちあがった。


「……ハッ! お前の言う通りさ、シバァ」


 粘ついた声が、シバの名を呼んだ。

 アサクラに向けたような嘲りの色が、モリヤマの双眸に宿った。


「あ、あれは……!」


 その肩越しに、店の外をうろつく幾つもの人影が見えた。

 ドレッド、コーンロウ、モヒカンなどの髪型で武装したチンピラだった。明らかに〈フクイ解放戦線〉の仲間ではなかった。


「アニキ……!」


 シバのジージャンの裾をひくと、鋭い視線が返された。

 お前は引っ込んでろ、とシバは囁いた。

 次の瞬間、モリヤマが引き戸を殴って吼えた。


「大将に紹介しなくちゃと思って急いで来たんだぜェ!」


 引き戸が吹っ飛び、店の戸口が倍に拡がった!


「ヒャッハー!」


 それを合図に、外のチンピラどもが動きだす!

 手に手に武器をかまえ駆け込んでくる!

 モリヤマはアーミーナイフを抜き、シバに切りかかった!


「早くひっこめ、アサクラぁ!」

「おごッ……!」


 後ろ蹴りに腹を打たれ、アサクラはカウンターの下に倒れこんだ。

 白む視界の中、シバとモリヤマが切り結んだ!


「うわああああああああ!」「きゃあああああああああ!」「ひえぇ……」


 店内は一瞬にして、阿鼻叫喚!

 アサクラは痛みを殺すように強く瞬いた。


「あ……ッ!」


 目を開くと、シバの姿が消えた!


「クソがァ!」


 唾を飛ばし、モリヤマが横に跳んだ。その目が見ているのは、アサクラの頭上だった。


「ごばァ!」


 間もなく重い銃声がとどろき、散弾がチンピラの身体を蜂の巣に変えた!

 頭上からポンプ音。アサクラの目の前に、排莢されたシェルが降ってくる。

 シバはカウンター上にいるのだ!


 だが、いかに高所の利を得ようとも、店内は狭くチンピラの数は多い。肉に群がるゾンビよろしく、次々と店外から雪崩れ込む!


 ダッ、ダッ、ダッ!


 頭上を足音が打ちつけ遠ざかる。銃声が轟き、チンピラの血と臓物と断末魔が散らばる。またぞろポンプ音と足音が遠ざかる。遠ざかる――。


「死ね、シバァ!」


 機を見て、モリヤマもカウンターの上に跳びあがった!

 足音が、怒号が、銃声が店内を駆けぬける!


「あびゃァ!」


 その時、流れ弾を受けたチンピラがアサクラの目の前でたおれた。その手から棒状スタンガンがすべり落ち、手許まで転がってきた。

 アサクラは恐怖をふり払おうと幾度も瞬いた。

 戦況はそのたびに移り変わった。

 死体が増え、客が破れかぶれにチンピラを殴り、客が死に、シバが叫ぶ!


「なんで裏切りやがった、モリヤマぁ!」

「気に入らねぇからだ! 何もかもがァ! クソったれな運命が、俺をこんなクソみてぇなところに連れて来やがった。俺は死ぬような思いを味わいながら生きてきたァ!」

「だから俺と一緒に生きろと言ったんだろうが!」


 銃声。

 しかし、モリヤマの憤然とした叫びは途絶えなかった。


「てめぇも気に入らねぇんだよ、シバァ! てめぇはいつも俺の上に立ちやがる。だが、そうじゃねェ。俺が! 俺以外のもんを踏みにじって上に立つ! 俺が世界の摂理になってやるッ!」

「誰もお前を踏みにじっちゃいねぇ。上とか下でもねぇ。みんな少しずつ近付いて隣を歩こうとしてるだけなんだ。それがどうしてわからねぇ、モリヤマ」


 シバの声は憐れむようだった。モリヤマを恨むわけでなく、ただひたすらにその心を案じているようだった。

 その時、カウンターが一際大きな音をたてた。

 アサクラは店全体が揺れたように思った。

 モリヤマが喚いた。


「黙りやがれェ! 俺は誰の指図も受けねェ! やりたいようにやる! 殴って、殺して、殴る! 俺以外のすべてを恐怖させ、支配するッ!」


 そしてカウンター上から落下したモリヤマは、転がって受け身をとった。その手にシバの腕を掴みながら。


「がは……ッ!」


 カウンターから引きずり下ろされたシバは受け身をとりそこね、したたか地面に打ち付けられた。


「アニキッ!」


 アサクラはようやく腰を浮かし、傍らのスタンガンを見やった。

 こいつがあれば。

 命を惜しまず飛び出せば、シバを救いだせる。


「てめぇだって支配してやる。この俺がァ」

「ひ……ッ」


 しかしアサクラは、シバに歩み寄る丸太のような脚を目の当たりにして委縮した。モリヤマから受けた理不尽な暴力を思い出し慄いた。


 飛び散る血液、遠のく意識、星の散った視界に浮かび上がる大男の残忍な笑顔――。


 足許から無数の恐怖の針がせりあがり、アサクラをその場に縫い付けた。


「俺はお前のつまらねぇ恐怖には屈しねぇぞ」

「黙れっつっただろうが、クソがァ!」

「うご……ッ!」


 モリヤマは、一方的にシバを蹴り飛ばした。

 シバは口端から血の糸を垂らしながら、身を起こそうとした。


「俺には、信じられる奴らがいるからな……。信じられる奴らがいれば、どんなに怖い思いをしても、未来を一緒に信じてやれるんだ。未来ってぇのは、自分一人じゃ切り拓けねぇもんだからな」

「わけのわからねぇことを」

「わからねぇだろうな、お前には。誰も信じず、相手を恐怖させ支配することしか頭ん中にねぇんだからよ」

「うるせぇっつぅんだよォ!」


 ようやく立ち上がったシバの腹を、モリヤマが真正面から蹴りつけた。シバは呆気なく吹っ飛ばされ、店の壁に打ち付けられた。


「わけのわからねぇことばっか言いやがって……わけのわからねぇ恰好しやがってよォ」


 モリヤマはシバの髪をつかみ、無理やり立ちあがらせた。


「……やめろ」


 アサクラは焦燥と恐怖が綯い交ぜになった目を見開いた。

 そして、言い聞かせた。


 まだ間に合う。まだ間に合う。

 今すぐ飛び出せば。

 あいつの背中に電流を撃ち込めば――。


「おらおら、どうしたァ!」


 けれど、動かない。動かない。

 指一本、指先ひとつ。

 怖くて。

 痛めつけられるのが、死ぬのが、すべて、怖くて、動いてくれない。


「死んどけ、シバァ!」


 モリヤマが叫んだ。

 その腕が、後ろから前へと振り抜かれた。

 手中の刃が、冷たい光を放った。


「やめ、ろぉ……!」


 ナイフがシバの腹を破った。


「うがあぁ……ァ!」


 内臓を抉り、血を吐きださせた。


「あ、あぁ、あにき……」


 アサクラは戦慄した。

 目の前で繰り広げられた暴力に。


「声出してんじゃねぇよ、アサクラ……」

「待って、待ってくれよ、あにきぃ……!」


 シバが死のうとしていることに。

 自分がここにいることに。


「ぐは……ッ! 待てやしねぇよ。俺の背中なんか見てんじゃねぇよ。お前は、信じられるものを見つけて、そいつと隣り合って歩いてくしかねぇんだよ」


 シバは自らが逝こうとしている時にも、毅然と胸を張っていた。

 モリヤマに殴られ、唾を吐きかけられ、またぞろ腹を抉られても、しゃんと背筋を伸ばし立っていた。


「てめぇの足跡を数えろ。歩んできたことを誇れ。そうすれば、必ずまた前に進める」


 そして次の瞬間、

 どしゃ。

 崩れ落ちた。

 はらわたがこぼれ、血とともに床を汚した。


「あ」


 アサクラの中で何かが折れた。ぽきんと虚しい音が鳴り響いた。

 モリヤマは、それを確かめるようにカウンターの下を覗きこんできた。


「……ハッ」


 アサクラを見ると笑った。便所に流れるクソを見るような侮蔑的な目つきで。


「シバの舎弟なんざ気に食わねぇが……。アサクラァ、お前、殺す価値もねェな」


 そう言い残せば、チンピラを引き連れて踵をめぐらせた。

 その背中に、一矢報いることもできたはずだった。

 スタンガンは放置されたままだったし、アサクラには十分な動機があった。


「……」


 それでも、アサクラには何もできなかった。

 最期の瞬間まで、前に進み続けたのはシバだけだった。


「待て、よ」


 息絶えたかに見えたシバが、ふいにむくりと身を起こしたのだ。


「俺も連れてけ……ェ!」


 モリヤマ目がけ突進すると、相手の腰にがっちりと腕を回した。その手から手榴弾のピンがこぼれ落ちた。


「て、てめ――!」


 次の瞬間、シバが紅蓮の華を咲かせた。それは狼狽の声ごと、ふたりを呑みこんだ。


 ――その後の記憶は断片的で。

 気付くと、シバの焼け痕のまえに座りこんでいた。


「おい、こりゃ、どうしたんだい……。どういうことだい、アサクラッ!」


 そこに駆けつけてきた女が、アサクラの肩を揺すった。


「あぁ、あ……?」


 それがハツだとわかって。

 シバを捜していることに気付いて。


「ああ、あ、ぁぁあぁああぁぁあああぁぁああぁああぁあああ!」


 アサクラは狂った絶叫を吐きだした。

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