二三、育成計画

 アサクラは驚きのあまりマスナガの横顔を振り仰いだ。


「やっぱり、そうかい」


 ハツの返答にも耳を疑った。

 状況をうまく呑み込めなかった。出かかった声を呑みこむので精一杯だった。


「いちおう訊いておくが、その根拠は?」

「三ヶ月ほど前になるか。組織のかしらから命令を受けた。県庁襲撃の旨を、各地に点在する構成員に連絡しろと」

「三ヶ月……なるほどね」


 その数字はハツのもつ情報と合致したようだった。彼女の眼差しから疑いの色がわずかに薄れた。

 アサクラにも心当たりがあった。

 フクイ駅周辺で〈クラブラザーズ〉の横暴が激化したのは、三ヶ月ほど前だと記憶していたのだ。


 とすると、『ボルガ』が襲撃を受けたのも、県庁襲撃の兆候だったということになる――。


「なんで、あいつらは市民を襲い始めた?」


 たまらずアサクラは、二人の会話に割って入った。

 ハツは一瞥を寄越しただけで、なにも言わなかった。

 マスナガは淡々と答えた。


「市民に恐怖心を植えつけ、戦意を削ぐためだ。県庁襲撃の際に、市民に武器をとられてはたまらないからな」

「きたねぇ野郎だぜ……」


 アサクラは顔をしかめ毒づいた。

 すると、マスナガも珍しく表情を歪ませた。


「まったくだ。昔からろくでもない組織だったが、頭の椅子を奴が奪ってからは、さらに悪くなった」

「頭の椅子を奪った?」


 すかさずハツが訊ねると、マスナガは忌々しげに頷いた。


「当代の頭モリヤマは、先代を殺して新たな頭として君臨したんだ」

「あ……?」


 アサクラは突然、キツネにつままれたような顔をした。


「モリヤマって言ったかい……?」


 茫然としたのはハツも同じだった。


 モリヤマ。

 ふたりは、その名を知っていたからだ。


「おい」


 アサクラは床に膝を擦りながら、マスナガに詰め寄った。


「そいつ、ガタイのいい大男だったりするか?」

「そうだが」

「じゃあ、ひでぇ怪我をしてたりは?」

「半身がひどい火傷で爛れている」

「んだと……ッ?」


 アサクラは凄まじい剣幕で唸った。今にもマスナガの首にかじりつかんばかりだった。拘束された拳が軋み、やがてわなわなと震えだした。


「……そうかい」


 一方、ハツは疲れたように吐息をこぼした。

 おもむろに銃口を下ろすと、その顔も床を見下ろした。

 冷たい怒りの空気が張りつめた。

 気絶したハシモトがぶるりと震えた。


「そのモリヤマってのは、どんな奴だい?」


 マスナガは戸惑ったように、ハツとアサクラを交互に見た。

 だが、その戸惑いはすぐに彼の中のなにかに揉み消されたようだった。


「……恐ろしい男だ」


 やがて答えたその声は、僅かに揺らいでいた。

 重苦しい怒りの気配の中で、マスナガは語り始めた。


「組織は幼い子どもをさらってくることがあった。組織の教えを叩きこみ、優秀な人材を確保するためだった。俺はその子どもの一人で、教育係と呼ばれる師の許で育てられた。肉体の鍛錬に励む一方で、カニの知識を頭に叩き込まれた。カニを茹でるのは鬼畜の所業だとか、そんなことを」

「カニはともかく、その教育係がモリヤマ?」

「いや。教育係は厳しくもあったが、行動に芯が通っていて男気のある奴だった」


 過去を懐かしんでか、マスナガはゆっくりと瞬いた。

 アサクラは複雑な思いで、その横顔を眺めた。〈クラブラザーズ〉はフクイの毒でしかない、そう思っていたからだ。

 マスナガはその視線に気づいていないのか、虚空に目をやりながら言葉を紡いだ。


「憎んだこともあったが。教育係は俺を強く育てることに熱心だった。まっすぐ道を歩くためには、邪魔なものを力で押しのけるしかない。それが教育係の信念だった。お前もいつかまっすぐに道を歩めるようになる、だからともに努力しろ。事あるごとに、教育係はそう言って俺を励ました」


 そこでマスナガは一旦言葉を区切り、小さく身動みじろぎをした。


「……だが、俺はその期待に応えられなかった。いくら鍛えても技は身に付かなかった。俺も教育係も途方に暮れ、いつの間にか俺は十五になろうとしていた。そんな時だ。モリヤマが頭の席に就いたのは」


「それがさっきの簒奪だね」


「ああ。早速、奴は組織に改革をもたらそうとした。そのひとつが〈メガネーズチルドレン〉育成計画。以前の抗争の敗因は、県知事システムを掌握できなかったことだ、と奴は考えたんだ」


「そういえば、第二恐竜養殖場を作らせたのも、恐竜を兵器として利用するってのが目的だったね」


「だが、メガネが誕生した今、大それた施設を起ち上げる必要はなくなった。メガネを用いれば、システムをクラッキングして直接フクイ支配を実現できるからだ。もちろん、メガネ移植者は通信役としても機能する」


「……」


「奴は俺たちの前で、それを語った。教育係は反対した。〈クラブラザーズ〉は力を重んじる組織だが、構成員は等しく家族。その家族を貶めることがあってはならない、と。モリヤマは、そんなきれいごとを受け入れなかった。躊躇なくカニエキスを飲み干すと、教育係を殺した。肉片がサイコロのようになるまで切り刻んだ」


 胸の悪くなる話だった。

 だが、アサクラもハツも意外には感じなかった。

 ふたりの知るモリヤマはそういう男――支配欲にとり憑かれたケダモノだったからだ。


「……すまねぇ」


 あまりにも自然に、その言葉はアサクラの口からこぼれ出た。

 それはマスナガに向けた謝罪であると同時に、あの日シバを喪い、未来の色を失くした自分への謝罪でもあった。


「すまねぇ」


 それはすぐに後悔へと変わった。

 そして、憎しみと融け合って粘ついた炎を燃え上がらせた。


「オレが」


 モリヤマが〈フクイ解放戦線〉を裏切ったあの日。


「オレがあいつを殺しておけばよかった……!」


 シバに襲いかかった、あの時に。

 アサクラの意識は飛翔した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る