二二、変態と聞いて

 間もなく正面の通路から、アサルトライフルで武装した者たちが五人ばかりやってきた。ウォッカランプの明かりを弾いた暗視ゴーグルが、赤く光っていた。

 その明かりも、間もなく彼らの手によって消された。

 暗闇の中、三人は後ろ手に拘束された。


「ッ、てぇよ。優しく頼むぜ」

「黙れ。痛い目に遭いたくなければ、我々の指示に従って動くんだな」


 武装者はそう言うと、銃口でケツを突いてきた。進め、ということだろう。アサクラは大仰に肩をすくめると、大人しく歩きだした。


「おわっ、ぶね……ッ!」


 辺りが見えない所為で、何度もつまずいた。その度に、首根っこを掴まれ引っぱり起こされた。

 やがて、後ろの武装者が手をぷらぷらと振って悪態をついた。


「ったく。首のそれはなんだ。掴むたびにチクチクする」

「男の勲章みてぇなもんだ。我慢しろよな」

「わけのわからんことを。拘束する前に脱がしておくんだったな」

「生憎、そういう趣味はねぇぜ」

「俺にもないが、こいつにはあるかもしれんぞ」


 またぞろケツに銃を押しつけられ、アサクラは呻いた。


「勘弁してくれ。そんなもんぶっ放されたら、ケツがふたつに割れちまう」

「増えるのは割れ目じゃなくて穴だ」

「冗談通じねぇな、あんた?」

「それより、ここから先は階段だ。足許に気をつけろ」

「無茶言うなよ。こっちはなんも見えないんだぜ。怖いから、せめて手でも繋いでてくれよ」

「首なら繋いでやる」

「絞め殺すとかはナシだぜ?」


 アサクラは軽口をたたき続けた。

 そうしているほうがアサクラ自身安心できたし、見えないふたりの心も軽くなるだろうと考えたのだ。


 実のところ、アサクラはこのような事態がやって来ることを予見していた。階段が塞がれているのを見た時点で、潜伏者は単独ではないと確信していた。

 それは同時に、この集団がチンケな犯罪者の寄せ集めでないことを示唆した。恐れるものがあるとすれば、だからそれは警察メガネイターではなく〈クラブラザーズ〉と考えるのが自然だろう。


 どこか取り入る隙があるはずだ。

 アサクラはそれもまた確信していた。


「お、ちゃんとお前らも来てるな」


 階段をのぼり終えたところで、ようやく仲間たちの幽かな横顔が窺えた。

 窓際から細くひかりが射しこんでいた。

 雑多に積まれた学生机や人体模型が、薄らと浮かび上がった倉庫のような部屋だった。開け放たれた扉の外には、ぬらりと光をはね返すリノリウムの廊下が長くながく延びていた。


 間もなく三人は、手近な部屋の中に押しこめられた。


「しばらく、ここで大人しくしていろ」


 外から錠をかけられる音がした。


「大人しくしねぇでナニするってんだよ」


 アサクラは毒づきながら部屋のなかを見渡した。

 廊下と同じように、僅かばかりの明るみが残る空間だった。窓を塞いだ板と板の間から一筋の光が射しこみ、闇を一直線に断ち切っていた。


「あぁ、クソ。目がチカチカする。暗いのか明るいのかわかりゃしねぇな」


 光のなかを舞う埃のスパークルが眩しかった。牢獄にしては広すぎる闇の中から、それはふわりと現れては消えていった。


「ところで、大丈夫かよ、ハシモト?」


 一方、ハシモトはすっかり色を失っていた。壁にもたれ俯いた横顔は、薄暗い室内でも見事な蒼白だとわかった。


「おい」

「……」


 肩で肩を小突いてみたが反応はなかった。薄らと目を開けてはいるものの、どうやら気を失っているようだった。


「そっちはどうだ?」


 マスナガからは、問題ないとの返答があった。


「それより、ここの連中は何者だろうな。心当たりはないか?」


 と、問い返しまでした。

 おそらくマスナガも、こうなることを予測していたのだろう。


「ねぇな。逆に、メガネで情報は得られねぇか?」

「検索を続けているが、目ぼしいものはなにも」


 その時、早くも解錠音がカシャと鳴り響いた。


「……ッ」


 戸口が開かれた途端、アサクラたちは顔をしかめた。ハシモトまで呻き声をもらした。

 懐中電灯で顔を照らされたからだ。


「変態が現れたなんて聞いて来てみたが、なんだい、おかしな奴は一人だけじゃないか」


 ハスキーな声が眩い光の奥から発せられた。それは、ツカツカと足音を鳴らしながら近づいてきた。


「ふぅん」


 ハスキーボイスの人物は、三人の前に立つと、改めてその顔ぶれを光で照らした。

 アサクラは毅然と相手を見上げた。

 無論、眩しさで顔立ちは判然としなかったが、もとより相手の正体を確かめようという気はなかった。ただの意地だった。


「ホハハ! 捕まってるってのに、強気だねェ。なるほど、そんな恰好してるわけだよ」


 相手はひとしきり笑うと、その場に腰を下ろした。懐中電灯が床に置かれ、その顔の半分を照らしだした。

 ハシモトは恐ろしさのあまり再失神したが、アサクラは挑戦的に相手を睨みつけた。


 女だった。肌に刻みこまれた無数のしわが、経験の豊かさを物語っていた。

 アサクラが大きく目を剥いたのは、その頬のT字の傷を認めたときだった。


「あ、あんた、まさかハツか……!」


 相手の顔を穴が開くほど見つめていると、ハツと呼ばれた女は、やがて目をほそめ膝を叩いた。


「やっぱり、あんたアサクラかい。老けたねェ」

「ハッ! あんたに言われたかねぇ。すっかりババアじゃねぇか」


 ふたりは親密に睨み合った。

 そこへマスナガが知り合いかと訊ねた。


「ああ。〈フクイ解放戦線〉知ってるだろ?」

「もちろん。県知事抗争で〈クラブラザーズ〉と戦った」

「このハツってババアは、その元構成員だ。オレも昔、連中には世話になってた」

「そう、昔はね」


 懐古に弾んだアサクラの声を、突然、ハツのハスキーボイスがひき裂いた。


「……ホハ」


 そして彼女は、咳払いでもするように乾いた笑いを笑った。

 その目がひとつ瞬けば、薄っぺらな感情は拭い去らされた。


 アサクラは思わず息を呑んだ。

 昔から男より逞しい女ではあったが、その眼光が、以前にも増して研ぎ澄まされていたからだ。まるで、瞳の中に一流の刀匠を宿しているかのようだった。


「生憎、アタシは旧交を温めるつもりはない。あんたの口から聞きたいのは、今のあんたが何者なのか。それだけだよ」


 顎の下に垂らした暗視ゴーグルを弄びながら、ハツがいっそう眼光を鋭くした。

 すると、廊下側の窓の向こうで、人型のシルエットが揺れた。


 案山子、なわきゃねぇよな。


 アサクラは、ここへ至るまでの軽口は封印しようと心に決めた。

 乾いた唇を舐めると、正直に打ち明けた。


「……オレらは追われる身だ。〈クラブラザーズ〉から逃れて、ここまで来た」

「なんで、この校舎を選んだ?」

「学校なら設備が整ってるだろうと考えたのさ。連中が攻めてきても迎え撃てるかもしれないってな」

「ここに住みつくつもりでいた?」

「まさか。オレたちは〈オオノ〉を目指してんだ」


 ハツは怪訝そうに目を細めつつ、先を促した。


「プテラノドンに乗って飛ぶつもりだった。プテラノドンは運よく手懐けられたが、怪我しててな。その怪我が治るまで、ここでじっとしてるつもりだったんだよ」

「あんた夜は寝てんのかい?」

「信じてくれ。カツヤマ橋からちょっと行ったところにパチンコ屋がある。プテラノドンはその近くの民家の屋根にいる」

「まあいい。アタシらのことは知らなかったんだね?」

「もちろん誰かいるとは思ってたぜ。だが、正体は知らねぇ。あんたこんな所で何してんだ?」

「……」


 ハツは答えない。

 その眼差しは依然として疑いの色に暗い。

 しかし、その目はあっさりとアサクラから離れ、ふいに隣に留まった。

 ハツの瞳に、メガネを埋めこまれた男の顔が映りこんだ。

 そして彼女は、アサクラに向けたものより、一段も二段も低い声音でこう言った。


「ところで、あんた少し雰囲気が違うね」


 それは、まぎれもないマスナガへの誰何すいかだった。

 アサクラは心臓を鷲掴まれたような心地がした。

 ヤバい流れになった、と額に汗を浮かせた。


 今のハツが何者かはわからない。

 だが、彼女はかつて〈フクイ解放戦線〉の構成員だった。

 シバが彼の組織を起こしたとき、ハツはもうそこにいたのだ。

 県庁を乗っ取られた際、我が子のように育ててきた弟や妹を殺された彼女は、復讐の鬼と化したのだという――。


 ハツはおそらくその仇のにおいを、マスナガから感じとったに違いなかった。

 急場しのぎの嘘では、寿命を縮めることになりかねなかった。


 アサクラは相手の嗅覚に恐れを抱きながら、マスナガと視線を交わした。

 感情の窺い知れない眼差しが、そこにあった。

 今はその無機質さが心強く感じられた。

 アサクラは顎を引いた。

 マスナガは告白した。


「俺は〈クラブラザーズ〉の元構成員だ」

「……へぇ」


 相槌は、煙を吐くようにゆったりと返された。


 ……ガチャ。


 しかし、その声が鼓膜を震わせるより早く、マスナガの額に銃口が吸いついていた。

 アサクラはたまらず、ふたりの間に割って入った。


「見ての通り、こいつはメガネを埋めこまれてる」


 ここが正念場だ。弱みを見せちゃいけねぇ。後ろめたいことなんてねぇんだから。

 早鐘の音を聞きながら、アサクラは必死に言葉を紡いだ。


「自我が崩壊するまで、もうあまり時間がねぇ。こいつは連中に利用されてきたんだ。あんたも聞いたことあるだろ、〈メガネーズチルドレン〉」

「うるさいよ、アサクラ」


 ハツはにべもなかった。

 余計な口をはさむなら、まずはその頭を吹っ飛ばす。

 彼女の目はそう言っていた。


 だが、弾がまだ吐きだされていないところを見ると、こちらの言い分を聞く意思はあるらしい。

 アサクラは口を噤むしかなかった。

 三人の運命は、今度こそマスナガに委ねられた。


「元構成員って話だが、どうやって〈クラブラザーズ〉を抜けた?」

「追われていたアサクラたちを助け、一緒に逃げてきた」

「なんで助けた?」

「組織への反意を表すのに、手っ取り早い方法だと思ったからだ」


 マスナガの答えは実に簡潔で淡々としたものだった。

 そして、いつか〈エチゼンれーるうぇい〉車内で語ったのと似た内容をハツに聞かせた。


「……」


 ハツは得心が入かない様子で、眉をひそめ、目を眇めた。

 ややあって、ハツはこう言った。


「あんたが〈クラブラザーズ〉と袂を分かったって言うなら、知ってることを全部教えな」


 やはりそう来たか、とアサクラは思った。

 この答え次第で、自分たちの運命は決すると確信した。

 と同時に、不安が胸に渦巻いた。


 マスナガは〈クラブラザーズ〉の内部事情をどの程度理解しているのか?

〈メガネーズチルドレン〉の一人として利用されてきた以上、必要最低限の情報以外は、何も知らされていなかったのでは?

 だとしたら、ハツの疑いを晴らす方法などあるだろうか――と。


 しかし、それは杞憂に過ぎなかった。

 マスナガは、しっかりと自分の切るべきカードを握っていた。

 抑揚に乏しい声で、彼は答えた。


「じきに第二の抗争が起きる」

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