二一、トラバーチンの眼

 保健室のブロックを踏むのは躊躇われた。

 ハシモトにバールのようなものでブロックを叩かせ、罠の有無をたしかめつつ進んだ。隅々まで調べ終えた結果、罠は一つも確認できなかった。


「ただのボロいベッドにしか見えねぇな」


 三人は次いでベッドを調べた。

 見たところマットレスが敷かれているだけで、毛布や布団、枕すらも置かれていなかった。

 ベッドの下に目をやり、なんの仕掛けもないことを確認してから、床のブロックを押してみたが、返ってくるのは硬い感触ばかりだった。手応えなしである。


「ここはどうだ……?」


 飛び出したスプリングの隙間にも指をつっこんでみたが、錆びた金属のザラザラとした感触が肌を掻いただけだった。


「うーん」


 三人はいったん保健室の調査を諦め、職員室へ向かった。罠だとばかり思いこんでいたコピー機が、今は上階へ行くための唯一の希望だった。


「うーん、動きそうにはねぇよな」


 一見しただけででも、コピー機に電気が通っていないのは明らかだった。職員室にはコード類が一切なく、コンセントの差込プラグはどこも空だった。中には埃が溜まり、蜘蛛の巣まで張られていた。

 アサクラはコピー機の前に屈みこんで、明かりを掲げたハシモトに得意げな眼差しを投げた。


「こういう時はな、下から調べるのがいいんだよ」

「いや、ふつう上からじゃないですか」

「言ったな? 下になんかあったら三回まわってワンだぞ」

「いいから早くしてくださいよ」

「せっかちだな。わかったよ。いくぜ?」


 アサクラは給紙トレイに手をかけた。


「ん、開かねっ!」


 が、引きだすことすらできなかった。奥でなにか引っかかっているのかびくともしない。


「おかしいな、おい!」

「三回まわってなんとかって言ってましたけど」

「忘れろ。とりあえず、ここは後回しだ」


 結局、アサクラは立ちあがりコピー機の頭、原稿カバーに手をかけた。


「よいしょい、って、あん?」


 そして、驚きに息を呑んだ。


「なんですか、これ?」

「わかんねぇけど、ビンゴっぽいな」


 そこには、本来あるはずの原稿ガラスが張られていなかったのだ。

 機械部分も取り外されていた。底板の四隅からは、先端が上に折れ曲がったつまみのような板が、僅かにとび出していた。


「一応、周囲に警戒してくれ」


 アサクラはマスナガに呼びかけ、つまみを調べてみた。先端部に指をかけ、押してみたが変化はない。


「んっ」


 ところが、引いてみるとつまみはスライドし長さを増した。他の三つのつまみも底板の中央に向けて伸長した。


「いいぞ!」


 手応えを感じさらに引いてみると、排紙トレイからガラガラと音がした。

 ハシモトが排紙トレイを照らした。

 つまみを引きながら、アサクラも覗きこんだ。


 すると、つまみが引き出されるのに合わせて、排紙トレイの天板がゆっくりとスライドし、内部に巻き込まれていくのがわかった。


「ビンゴ、ビンゴ、ビンゴだぜ……!」


 やがて、排紙トレイのあった箇所から現れたのは穴だった。コピー機の内部は空洞になっていたのだ。

 給紙トレイが開かなかったのは、この所為か。

 さらに明かりを近付けてもらい中を覗くと、底に光るものが窺えた。


「今度こそ罠かもしれません。注意してくださいよ」

「おうよ」


 ハシモトの忠告を受けて、アサクラはポケットからチラシを取りだした。『きれいなトウジンボウ』と書かれたそれで手を包み、慎重に中をまさぐった。


「……ん?」


 底は平らになっているが、やはり何かある。摘まみ上げてみると鎖だ。先端に輪っかがついている。


「引っぱれってことか……?」

「かもしれませんね」


 輪を握り、手前に引いてみた。鎖が伸び、中でカラカラと音がした。

 すると、一番下の給紙トレイがゆっくりと口を開いた。


「なにかありますよ」


 中に把手のような物体があった。


「また引っぱるのかねぇ」


 肩をぐるりと回し、把手を引いてみれば、今度は把手とコピー機を繋ぐ、太く頑丈そうなワイヤーが現れる。


「ん、っ!」


 しかし引き続けていなければ、ワイヤーはコピー機の中へ戻っていくようだ。アサクラは、負けじと把手を引き続けた。


「ん、んん……ッ!」


 ワイヤーが伸びれば伸びるほど、抵抗は強まった。だが、暖簾を腕押すような虚しい感覚はなかった。床下からは、ゴゴゴと重苦しい駆動音が轟き始めていた。


「手伝ってくれ、ハシモト……!」

「はい!」


 ランプを床に置き、ハシモトも把手を握った。

 見えざる仕掛けとの綱引き勝負がはじまった。


「せーのッ!」


 ふたりは渾身の力でワイヤーを引いた。

 筋肉がブチブチと悲鳴をあげ、関節がメキメキと軋んだ。

 急速に押し寄せる体力の限界を感じながらも、ふたりは一メートル、二メートル、三メートルと、ワイヤーを引っぱりだしていく――。


「ファイトオオオ!」

「もういっちょおおお!」


 コピー機の奥でストッパーと思わしき音がキンとなり響いたのは、ワイヤーが五メートルにも達しようかというときだった。


「ハァ……! ハァ……!」


 床下の駆動音も止まり、ふたりは勢い後ろに倒れこんだ。その荒い息遣いが残響のように闇を震わせた。


「マスナガ、どうだ、なんか……変化あったか?」


 額の汗を拭い、マスナガに期待の眼差しを向けた。しかしその首は、無慈悲に横に振られた。


「……わからん。少なくともこの部屋には何もなさそうだが」


 廊下の様子を見に行かせても、やはり首を傾げて戻ってきた。


「視界が悪いせいもあるかもしれんが、この辺りに何か変化があった様子はない。校内を調べ直してみるか?」

「そうするしかなさそうだな……。ハシモト、行けるか?」

「だ、大丈夫、です……」


 隊列、装備、そして息を整え、三人はふたたび校舎内を歩きだした。

 まず例の不自然な壁を調べてみたが、変化はなかった。二教室、理科室、理科準備室、体育館、やはり何れも変化なしだった。

 しかし保健室の中に光をかざしたとき、マスナガまでもが一様に目を瞠った。


「おいおい、ベッドが消えてんぞ……」


 先の仕かけが作用したとみて間違いなかった。

 ベッドのあった場所には、見覚えのない梯子が置かれていた。

 近づいて観察してみると、脚は床に固定されているようだった。

 そのままの長さではアサクラの背丈と大差ない。が、横にはスライドがついていた。どうやら伸縮式らしい。スライドをもち上げると、ゆうに天井まで届いた。


「うーん、しかし天井に穴はねぇぞ? どうなってやがる」

「まだ仕掛けがあるんでしょうか」

「とりあえず、天井を直接調べてみたらどうだ?」

「おう、じゃあちょっと見てくる」


 率先してアサクラが梯子をのぼった。

 天井はトラバーチン模様だ。

 へこみが影となって、無数の目のように見える。本能的に肌が粟立ち、胸をザラザラした指にまさぐられるような心地がした。


「槍とか出てくんなよ……」


 アサクラは天井を直視しないようにしながら、恐るおそる触れてみた。

 胸をまさぐる感触と似たような、ザラザラした感触が返ってきた。すると、恐怖の正体に触れられたような気持ちになって、アサクラはすこしばかり大胆に天井を押しこんだ。


「おっ」


 その瞬間、天井がビンゴと声をあげた気がした。わずかに浮き上がって音をたてたのだ。

 思い切って天井を押し上げてみると、扉のように横倒しに開いた。


「やったぜ」


 半身をのり出し、天井裏を覗きこんでみた。

 しかし闇はふかく、とても見通せそうになかった。

 アサクラは一旦、地上に引き返した。


「やりましたね!」

「ま、オレにかかればこんなもんよ」


 興奮するハシモトの肩を叩き、アサクラは笑った。

 が、すぐに神妙な顔つきになって腕を組む。


「さて、ここで問題がある。ランプの運搬とマスナガの腕だ」


 ハシモトは、すぐに言わんとすることを察したらしい。表情を曇らせた。

 ところが、当のマスナガは涼しい顔だった。


「さほど深刻な傷じゃない。時間はかかるかもしれんが梯子くらい上がれる」


 こめかみを叩いて、ランプも運べるとまで言いきった。


「なんかメガネで調べるのか?」

「もう調べた。とりあえず、武器だけでも上にあげてしまおう。その後、ロープを使ってランプを引き上げる」

「ロープね……了解した」


 ふたりはロープで武器を背中に固定すると、まずそれらを天井裏に置いた。

 それから地上にとって返し、マスナガの指示を受けながらロープを結んでいった。


 その手順は、悩んでいたのが馬鹿らしくなるほど単純なものだった。十字に交差させたロープで酒瓶の底をささえ、それらの両端を馬結びにした輪へかけるだけだ。

 輪からのびたロープを上から引けば、輪は自ずと締まって安定した。瓶の口がやや斜めになるので、炎が燃えうつる心配もなかった。


「回収できました!」


 ロープを引いていたハシモトが快哉を叫んだ。


「最後は、マスナガさんですよ!」

「ああ、頑張る」


 肩を負傷したマスナガも、時折うめき声をあげたが、その都度ハシモトに励まされ、着実に上へのぼっていった。動きが止まれば、アサクラが下から腕を伸ばし背中を支えてやりもした。

 やがて荒々しく息を吐きながらも、天井裏に到達する。


「大丈夫か?」


 相変わらずマスナガに表情はないが、額の上には脂汗が浮いていた。負傷した肩には手を添えていた。それでもマスナガは急ごうと暗闇へ向けて顎をしゃくった。


「わかった。ゆっくり急ごうぜ」


 矛盾したアサクラの言葉を、ふたりは和やかに受けいれた。

 今度は三人、横並びになって進んだ。

 疲弊したマスナガが中央だ。

 その分、アサクラ側の光は弱くなるものの、そもそもあまり広い空間ではなさそうだった。天井裏は板で仕切りがされていて、さながら通路の様相を呈していたのだ。


「ん」


 最初は一方向にしか続いていなかったが、中途でアサクラ側に横道があるのに気付いた。


「待て」


 アサクラはふたりを制止し、不要なものがないか訊ねた。


「あります」


 すると、すぐさまハシモトが返事を寄越した。そして、パック詰めされた、へしこエナジードリンクを取りだした。


「いいな、それ。横道に向かって投げてみてくれ」

「はい」


 べちゃ。

 特になにも起こらない。


「問題なさそうだな」


 ふたりの首肯が返ってくるのを待って、ふたたび歩き出した。

 ところが、横道の前のへしこエナジードリンクを回収しようと屈んだときだった。

 例のザラザラとした恐怖が、ふいに首筋を撫でたのは。


「止まれ」


 突如、闇の中からザラついた声が響きわたった。


 ……なるほどな。


 その瞬間、アサクラは理解した。

 天井に目をやったあの時から感じていたザラザラとした恐怖が、殺気であったことに。


「……」


 アサクラはろくにショットガンを構えもせず、横道に向きなおった。


「止まれと言っている!」


 すると今度は、右斜め前方から怒鳴り声が響いた。

 正面の通路にも、枝分かれした道があるようだった。


「わかった……」


 アサクラは答え、横道を見据えた。そして、そこに佇む人影を認めた。その手許から伸びた銃口が、明かりを照り返すのが幽かに見えた。


 相手はふたり――いや、それ以上だろう。


 他にも横道があると考えるのが自然だった。

 この通路自体が、侵入者を包囲するための罠だったのだ。


「まあ、落ち着けよ。オレたちに害意はないぜ」

「では、武器を下ろせ」

「わかった」


 アサクラは大人しく銃のストラップを解除して床に置いた。曲げた腰を上げると、頭の後ろに両手を組んだ。


「……お前らも構えを解け」


 仲間たちにも降伏を促した。

 そのために視線を交わすことさえしなかったが、拳銃とバールのようなものが床に落ちるその音は、はっきりと聞こえた。

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