二十、階段を探せ

 ガラス戸に手をかけると難なく開いた。ベニヤ板は蝶番が設けてあるのか、押せば滑るように開いた。どうやら入口を封鎖する目的で設置されているわけではないらしい。


 ならば、警告だろうか。

 薄気味悪いものを感じないではなかったが、三人に撤退の選択肢はなかった。


「お邪魔しまぁす……」


 先頭のマスナガに続き、ハシモトも校舎の中へ踏み入った。

 窓を塞がれている所為か、中はひどく暗かった。

 すぐ正面の木製の下駄箱、下に敷かれたすのこまではかろうじて見てとれるものの、奥に延びる廊下はまったき闇。かえって奥行きを感じられないほどに深い。


「暗すぎるな。こんなんじゃ進めねぇぞ」


 後ろでアサクラが悪態をついた。

 実際、この闇の中を進むのは無謀極まりない。罠を回避するどころか、周囲を把握することすら不可能だ。屋上へたどり着く前に、干物になるのがオチである。


「誰か懐中電灯持ってねぇのか?」

「スマホ、バッテリー切れました……」

「俺もなにもない」

「メガネ光らねぇのか?」

「多少は光るが、明かりには心許ない」

「早速つまづいたな……」


 まずは明かりから調達する必要があった。

 だがカツヤマは、恐竜都市であると同時に過疎地である。マッチ棒一本調達するにも骨が折れるだろう。

 酒屋爺の店まで戻れば、あるいは――しかし涙の別れのあとではそれも躊躇われた。

 三人は腕を組み、空を仰ぎ、メガネを瞬かせた。


「いや」


 やがて沈黙を破ったのは、ハシモトだった。

 その目が風呂敷の背負い袋からはみ出た酒瓶を見た。


「それ使えないでしょうか?」

「あん?」

「ランプにできませんかね。アルコールランプ」

「理科の実験で使ったあれか?」

「そうです! 近頃は学校でも使わないらしいですが」


 どうでもいい補足をしながら、ハシモトは勝手に希望を膨らませた。


「うーん……」


 一方、アサクラの反応は芳しくなかった。


「たぶん日本酒じゃ度数が足りねぇ。火はつかねぇぞ」

「そんな……」


 ハシモトは力なく肩を落とした。

 そこにマスナガが歩み寄ってきた。

 慰めてくれるのだろうかと思っていたら、酒瓶に顔を寄せ、待てと呟いた。


「どうした?」


 アサクラが首を傾げると、マスナガは酒瓶を引き抜いた。


「これ、日本酒じゃない」

「えっ!」


 ハシモトは横から酒瓶を覗きこんだ。ラベルの貼られていない瓶の表面には、マジックで文字が書き殴られていた。


「うぉ、っか……?」


 間違いない。『うぉっか』と書かれていた。

 ハシモトとアサクラは顔を見合わせ、どちらからともなく苦笑をもらした。


「地酒どころか、日本の酒ですらねぇな」

「謎ですね。でも、これなら」

「ああ、イケるかもしれねぇ」


 となると、火を熾す道具が必要になる。

 これも一部はマスナガが解決した。


 懐から〈なんらかの天然水〉とラベリングされたペットボトルを取りだしてみせたのだ。

 こんな胡散臭い代物、飲めと差しだされたら絶対に飲まないが、重要なのはそれが火を熾せる道具かどうかだった。中に揺れる液体は、正真正銘の無色透明だった。


「じゃあ、可燃物はオレに任せろ」


 アサクラはサムズアップすると、ポケットにあちこち手を突っ込み始めた。


 小銭、ゴム、ビニール袋――。


 もう枯れ葉でも拾ってきたほうが早いのでは、と思われたその時、ようやくシワだらけのチラシが現れた。

〈こわいトウジンボウ〉をはじめとする宣伝文句、お化け屋敷会場などの情報を赤字で記したそれは、黒を基調にしていて、よく燃えそうだった。


「早速、試してみましょう」


 三人は一度外へでた。日当たりのいい場所で腰を下ろした。

 アサクラとマスナガがチラシをちぎり、凸レンズの要領でペットボトルに光を集めさせた。

 その間ハシモトは、バールのようなものの先端で栓をあけ、ティッシュのこよりを作った。


「お、きたきた」


 紙から煙がたゆたい始めると、マスナガがその上に別の紙片を重ねた。真横に振って風を送りこみ火種を育てる。白煙が旗のようになびくのを眺めていると、突然、炎があがった。


「お」

「ハシモト、こよりこより!」

「あ、はい!」


 ハシモトは慌てて酒瓶を差しだした。

 瓶の口からは舌のようにこよりが飛び出している。そこに炎を近付けていく。

 問題は、ランプが機能してくれるかどうかだが。


「……点いた!」


 炎は見事燃え移り、こよりの先端で穏やかに揺れはじめた。

 しばらく観察してみたが、やや強めの風が吹いても消える様子はなかった。


「よし、今度こそ行こうぜ」


 アサクラのかけ声で、三人は校舎にとって返した。

 隊列は前衛二人、後衛一人。

 前衛は、アサクラとハシモト。後衛にマスナガが就いた。

 明かりはハシモトが持つことになった。


 気を付けないと……。


 酒瓶ランプで闇を払いながら、ハシモトは熱心に足許を見つめた。罠と言えば足許という先入観があったからだ。

 それが正しいかどうかはともかく、役割分担にはなったようである。

 アサクラは足許以外の場所に、マスナガは背後の気配に集中することができた。


「よい、しょ……」


 下駄箱のすのこから上がると、リノリウムの床が三方に続いていた。

 左右と正面。右側だけは、どん詰まりだった。トイレの隣に保健室の札がでており、その先が壁に塞がれていた。


 三人はまず保健室を調べることにした。

 当然ながら戸口は閉ざされていた。引き戸は厚い戸板で、引手だけが金属製だった。


「よし、開けるぞ」


 戸の表面に両手をおし当てたアサクラを見て、すかさずハシモトは訊ねた。


「なにしてるんですか?」

「普通に開けるわけにいかねぇだろ」

「え?」

「え、じゃねぇよ。電気かなんか流れてきたらどうする」

「うぇ」

「うぇ、でもねぇよ」


 ぞっとして引手を見下ろすハシモトの隣で、アサクラが戸板に力を加えた。鍵はかかっていないのか、引き戸はすんなりと開いた。


 ハシモトはすっかり怖気づいて、すぐには踏み込まず慎重に入口を観察した。

 罠らしきものは確認できないが、念のためにバールのようなものを差し入れてみて、何も起こらないことを確かめた。

 アサクラのゴーサインを受けると、目を瞑って踏みだした。


「……ん、生きてます」


 ぱちりと片目をあけると、もう部屋の中だった。

 だが、胸を撫でおろす気にはなれなかった。


「殺風景というか、不気味なところですね……」


 ベッドが二つ置かれているだけの空間だ。棚もなければ机もない。それどころか、窓にはカーテンすらもかけられておらず、外界を遮るベニヤ板が異様な存在感を放っている。


 だが、何より目を引いたのは床だった。

 入口周辺だけは廊下と同じリノリウムなのだが、他はすべて木のブロックで構成されているのである。

 さらにこのブロックは、リノリウムの上に後から設けられたもののようで、境界は小さな段差になっていた。


 土足厳禁の部屋とも解釈できるが、警戒のアンテナをビンビンに立てたハシモトたちには、それも踏んだら発動する罠のようにしか思えなかった。


「あっちの床は斜めになってるな。スロープか。手すりまで付いてやがる。周到な感じがするぜ」

「バリアフリーの演出でしょうか」

「かもな。ま、わざわざこんな部屋を探索してやる必要はねぇだろう。明らかになんもねぇし怪しすぎる。それともお前、あのベッドで休みてぇか」

「まさか……」


 ベッドはマットレスが破れ、スプリングが飛び出していた。毛布らしきものもなかった。


「次へ行こう」


 マスナガに促されるまま、部屋をでた。

 最初の地点にもどり、今度は左の廊下を進んだ。

 すぐに職員室の札が目に入った。

 先と同様の手順で罠の有無をたしかめ入室した。

 やはり何も起こらなかった。


「ここもほとんど何もないですね」


 デスクや棚の類はなく、隅にコピー機が一台放置されているだけだった。当然のごとく窓はベニヤ板で塞がれており、人の気配も感じられなかった。


 その後も三人は校内をまわった。

 二つの教室、理科室、理科準備室、体育館、運動用具倉庫をくまなく調べた。


 いずれもがらんどうだった。

 そして、それが校内のすべてだった。


 罠が作動することもなければ、潜伏者の息遣いを聞くこともなく、三人はただ闇の中に立ち尽くした。


「ここ誰も住んでないのかもしれませんね」


 ハシモトは強いて明るい声をだした。

 しかしマスナガはかぶりを振り、アサクラにいたっては険しい顔で睨みつけてきた。


「お前、おかしいと思わねぇのか?」


 ハシモトは委縮しただけで、反論は口にしなかった。

 解っていた。

 この学校は明らかに異常だった。


 物が少なすぎること、窓をベニヤ板で塞がれていること――。

 それらも間違いなく異常だが、何よりおかしなことが他にある。


 ぼくたちは……。


 校内を一通り探索し終えたのだ。

 これまで巡回した場所が、校内のすべてだった。

 ハシモトは観念して言った。


「……で、でも、こんなことあり得ますか? なんて」

「普通ならあり得ねぇが、現に見当たらなかったぜ」


 上階がない。そんなことは、絶対にあり得ない。

 外から見たとき、窓は三段あった。屋上もあった。古びた重機関銃の姿を確かに見た――。


「やはり、ここには誰かが潜伏していると見て間違いなさそうだな」

「ここまで手の込んだことすりゃあな」

「とりあえず……もう一度調べてみましょう」


 三人は気をとり直し、探索を再開した。

 すると、廊下がおよそロの字を形作っていることがわかった。角にはそれぞれ短い廊下が続いているものの、体育館へ繋がったもの以外は行き止まりになっている。内ふたつは外へ通じているのか意図的に塞がれた痕跡があった。

 依然として二階へ通じる手がかりは見つけられなかった。


 しかし――。


「ん……?」


 周回五度目になろうかというその時、ハシモトが違和感に気付いた。

 職員室前の廊下を曲がったところだった。

 そこは、職員室前とおよそ同じ幅の廊下である。

 ところが、ほんの少し進むと、不意に道幅が拡がっているのだ。


「ここ不自然だと思いませんか?」


 その指摘に、ふたりも同意を示した。

 廊下の幅を縮めた不自然なでっぱりに明かりを寄せながら、沿うように歩いてみた。

 すると、拡がった廊下の壁面とでっぱりが垂直に交わった地点で、壁の色がわずかに異なっているのを見つけた。


「なんだこりゃ、信じられねぇ……」

「道理で階段が見つからないわけだ」

「……さすがに階段を取り壊したわけじゃありませんよね?」

「たぶん違う。階段の周りに壁を作ったんだ」

「じゃあ、この壁を破壊すれば上へ行けるってことですか?」


 その問いにはマスナガが答えた。


「行けるかもしれないが、やめたほうがいい」

「どうしてですか?」

「相手が平和的解決を望んでいるからだ」


 不可解な状況にすっかり怯えていたハシモトは、その一言に虚を衝かれる思いがした。


「ここまで罠はひとつも確認できなかった。いたずらに侵入者を排除するつもりはないんだ。だが、これは間違いなく警告だ。あっちはその気になれば、敵を迎え撃つ準備があると言っている。つまり、こちらが強硬な手段にでれば、もう手段を選んではくれないだろう」

「じゃあ、ぼくたちは相手を刺激しないように校舎を攻略して、交渉の余地を残しておく必要があるってことですね……?」


 頷きながらマスナガは、それにと付け加えた。


「ここを拠点にと考えるなら、手を加えるべきじゃない」

「わかりました。でも、そうなると、どうやって校舎を調べればいいんでしょう……」

「それが問題だな。誰か住んでいるなら、上に行き来する手段がなにかあるはずだが」

「それなんだが」


 と、ここでアサクラが手を挙げた。


「もう一度、保健室と職員室を調べようぜ」


 ハシモトは訝しんだ。

 どちらも、調べは終わったはずだからだ。

 しかし、すぐにそうでないことに気付いた。

 まだ手の付けていない箇所が、確かにあるのだ。

 やがて、その目に確信的な光を湛えアサクラが言った。


「……ベッドとコピー機だ」

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