十九、校舎要塞

〈ゆめおって〉から学校までは、五分とかからなかった。


 古民家の連なりを、ふいに断ち切って、グラウンドが現れたのだ。

 背の高い雑草に埋めつくされたグラウンドは四角く、一見すると広大な空き地か、六条大麦畑のように見えた。

 しかしその二辺は、窓の多い白っぽい壁に囲まれていた。表面は蔦が伝っていて、壁材は遠目にも著しい劣化こそ見てとれるものの、紛れもない校舎のそれであった。


「どれどれ……」


 アサクラが手で庇をつくり屋上を見上げた。

 ハシモトも一緒になって観察してみた。

 いわゆる自殺防止用フェンスはなく、屋上を囲っているのは、例の重機関銃の砲身だった。そのシルエットは絡んだ蔦によって歪み、さながら死した怪物の指先を思わせた。


「あれ、動くんでしょうか?」

「どうだろうな。だが、目当てのもんがあるのは間違いなかった。動かなかったときのことは、そのとき考えりゃいいさ」


 その時、茂みがガサガサと音をたてた。

 見れば、すでにマスナガが動きだしていた。やや腰を落とし拳銃を構えたその後ろ姿が、茂みの中へ消え行こうとしていた。


「行こうぜ」


 ふたりもさっさと話を切り上げ、あとに続くことにした。

 アサクラはショットガン、ハシモトはバールのようなものを手に、茂みをかき分けていく。


 ガサ、バササ!


 乾いた草葉は僅かに触れただけでも、いやに大きな音をたてた。手を振る子どものように激しく震えもした。

 ハシモトは、汗ですべる手に力をこめた。


 ここはカツヤマ市。どこに恐竜が潜んでいても不思議はない。


 大人しい草食ならともかく、肉食がこの茂みの中に紛れていたらと思うと、ハシモトはまともに息もできない。

 一歩、また一歩と踏みだすたび、目を皿のようにして辺りを警戒した。平時よりずっと短くなった歩幅に、もどかしさを募らせながら。


 あとどれだけだ……?


 ハシモトは茂みの隙間から、校舎を覗き見た。

 塗装が剥がれささくれ立った壁までは、もう十メートルと離れていなかった。

 だが、その距離は近いようで、ひどく遠く感じられた。

 ハシモトは真正面に目を戻してから、ふと隣を見た。


 そして、緊張しているのは自分だけでないと理解した。

 アサクラが口を細くすぼめていたのだ。

 同じことをもう何度も繰り返していたハシモトは、その意図を理解した。こぼれそうになる吐息を抑えこんでいるのだ、と。


 その様子が、かえってハシモトの心を軽くした。

 アサクラと目が合うと、同時に踏みだした。


 ザザッ。


 その時、前方の草叢が動いた。

 マスナガとアサクラが銃口を跳ね上げた。

 一時の緊張の緩みはどこへやら、ハシモトもへっぴり腰で武器を構えた。


「キュオ、オオ……」


 突然、声がした。

 三人は一様にそちらへ目をやり、茂みの間隙にのぞく二つの黄金を見てとった。

 思わず声を上げそうになったハシモトは、口に手をあて声を殺した。


「オッ、キュキュ……」


 警戒心と好奇心に見開かれた双眼が、順繰りに三人を見つめた。

 三人は、ただそれを見返すしかなかった。


 やがて黄金の双眼の持ち主が、好奇心にかきたてられたのか草叢からゆっくりと顔を出した。

 丸みを帯びた頭部があらわとなった。皮膚はびっしりと鱗に覆われて、巨大なトカゲを思わせた。しかし半開きになった丸く短いクチバシは、まるでオウムのようだった。


「……草食だ」


 アサクラが肩の力を抜き、次いでマスナガが銃口を下ろした。

 ハシモトもほっと胸を撫でおろした。


「キ、キュン」


 こちらに敵意がないと安心したのか、はたまた単に興味を失くしただけなのか、恐竜はふいに踵をめぐらせた。尻尾がしなやかに波打った。先端に生えたヒレのような突起が生えていた。それが小刻みに震えた。


「プシッタコサウルスだ」


 と、マスナガが言った。

 ハシモトには馴染みのない名前だった。

 が、特にふたりからの補足はなく、マスナガは壁面を這った蔦に触れ、アサクラは校舎を観察しはじめた。


「入れそうなところはないな」

「窓をぶっ壊すわけにもいかねぇ。表に回ってみるか」


 やや軽くなった足取りで、三人は連絡通路へ向かった。


「やっぱダメか」


 校内へ繋がる鉄扉は施錠されていた。ショットガンを構えたアサクラを、マスナガがかぶりを振って制止した。


 さらに歩いて。


 昇降口にたどり着いた。

 ほんの三段ばかりの階段とスロープ。その上に、ガラスの引き戸がずらりと並んでいた。

 ハシモトは、すぐ異変に気付いた。


「なんでしょう、これ……。中が見えない」


 ガラス戸の向こうが赤茶けた板に遮られているのだ。


「ベニヤ板だな。あっちの窓にもはっつけられてた」

「そうだったんですか?」

「中にはバリケードもあるんじゃねぇか。誰か住んでる可能性は高いな」


 とアサクラが話す間、マスナガは屈みこんでガラス戸の桟を観察していた。

 何かわかるんですかと問えば、無表情の頷きが返ってきた。


「擦った痕がある。新しい汚れも付いていない。最近使われたのかもな」


 指差された箇所に目を凝らすと、たしかに一部ほこりや砂利の擦れたラインが引かれていた。


「じゃあ、中に誰かいるのは間違いない……?」

「だろうな」

「〈クラブラザーズ〉に先回りされたんでしょうか?」


 ハシモトは最悪の想像に肝を冷やしたが、それはすぐに否定された。


「奴らが奇襲をかけるつもりなら、草叢の中だってよかったはずだ。ここには機関銃もある。銃器を嫌って使わなかったのだとしても、窓辺に寄ったとき、物を落とすくらいのことはしてきてもおかしくなかった」

「仮に連中が先回りしてたとしても、窓という窓を塞ぐだけの時間があったかは微妙なところだ。元々、住んでる奴がいるのかもしれねぇ。一人って可能性もあるな」


 アサクラの補足に、ハシモトは首を傾げた。


「複数人で住んでるなら、見張り役くらい立てそうなもんだ。城は入られねぇに越したことねぇから、オレたちが見えてりゃ攻撃してきてもおかしくなかった。〈クラブラザーズ〉じゃないなら銃撃も厭わねぇだろうし。機関銃じゃなくても」

「ちょっと待ってください」


 ハシモトは一旦アサクラを黙らせた。彼の物言いに違和しか感じなかったからだ。


「見張りなんて、どうして必要なんです? 攻撃だって……。アサクラさんの口ぶりだと、その何者かは、まるで追われる身みたいじゃないですか」

「こんな所に住みつくのがまともな奴だとでも思うのか? オレたちみたいに〈クラブラザーズ〉にケンカ売ったか、犯罪でもおかしたか。そういう奴だよ、ここにいんのは」


 犯罪の響きに、ハシモトの肌は粟立った。


「じゃあ、危険人物かもしれないってことですか!」

「そうじゃなくても用心深い奴だ。中は罠だらけに違いねぇ。慎重に行かねぇと最悪死ぬぞ」


 死の響きに血の気がひいていく。


「死ぬって……。そんなハイリスクなところなら、他の潜伏場所を探しましょうよ」

「できりゃそうしたいが、サトちゃんのこと考えたら遠くには行けねぇ。ここがベストなんだ」

「でも……」


 ハシモトは反論の抽斗をありったけ開いてみたが、中はいずれも空だった。

 パチンコ攻防での危うさが、記憶にこびりついていたからだ。

 古民家や小さな店を拠点にして襲撃を受ければ、今度こそ殺されるかもしれない。危険を冒してでも堅固な要塞を確保することが、最終的には自分たちの安全に繋がるのだ――。


「……他に手はないんですよね」

「中の人間と協力できる望みもある」


 懊悩で満たされた暗い部屋のドアを、マスナガは開けてくれた。

 アサクラは何も言わなかったが、黙って背中を叩き、ともにいることを教えてくれた。


 そうだ、ぼくは独りじゃない。こうして一緒にのり越えてきた。


 ハシモトは俯きがちな顔をあげた。

 残る不安は、空っぽの抽斗にしまった。

 そして、おもむろに頷いた。

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