十三、誰かが無茶をした先に

「どうして、こんなところにプテラノドンが?」


 ハシモトはショットガンを構えたまま、マスナガを一瞥した。


「わからない。病気か、縄張り争いに負けたか。あるいは昨夜の閃光の影響で墜落したのかも」

「この子、助かるでしょうか……?」

「さあ。とりあえず、餌でもやってみるか。メシが食えれば、もち直す望みはあるかもしれん」

「たしかに。一度もどりましょう」


 ふたりはバケツを回収すると、ふたたびプテラノドンの下にまでやって来た。


「……グァ」


 ぐり、と目が動いた。しかし威圧する力も残っていないのか、それ以上は動かなかった。


「どうやって食べさせましょうか」

「投げてみたらどうだ?」


 試しにハシモトは、へしこを一尾投げてみた。

 するとプテラノドンは、クチバシを閃かせた。意外な敏捷さだ。へしこは見事に、クチバシの中におさまった。


「やった、って、あっ……」


 が、いざ呑みこもうとすると、へしこはクチバシの隙間から落ちてしまった。活きのいいへしこは、アスファルトの上でぴちぴちと跳ねた。


「ダメか……。もう一回!」


 ハシモトは、もう一度へしこを投げてみる。

 プテラノドンはクチバシを開くが、やはり呑みこむまでは至らないようだ。へしこが落ち、糠を散らす。

 そこにマスナガが言う。


「たぶん体勢がよくない。鳥は魚を丸のみにするだろう。その過程ですこし顎を上げるが、あいつは屋根にめりこんでいるから上を向けないんだ」

「プテラノドンも鳥と同じように魚を食べるんでしょうか?」

「わからない。でも、ペリカンに似てる」


 ペリカンはともかくマスナガの推理が正しいとして、どうやって餌を与えるべきか――。

 一考の末、ハシモトは糠水の張ったバケツを見下ろし、〈コック龍〉の馥郁ふくいくたる香りを思い起こした。


「……酒屋のおじいさんは、どうでしょう?」

「というと?」

「梯子とか脚立とか、持ってませんかね?」


 マスナガが珍しく眉間に小さなしわを寄せる。


「まさか、直接食わせるつもりか?」

「奥の方まで腕を突っこめば、呑みこめそうじゃありません?」

「危険すぎる」

「ペリカンに頭から食べられて遊んでる人の動画見たことありますよ」

「あいつはペリカンじゃない。クチバシだって硬そうだ」

「でも、もし獲物を丸のみにするなら、咀嚼の必要ないですよね? 鋭い牙とかあるんでしょうか」


 クチバシは磨かれた象牙のようで少し硬そうだが、咬合力に優れているようには見えない。

 しかし、マスナガはそこまで楽観的ではないようだ。腕を組み、プテラノドンを見上げ、最後に瓦礫の散乱した地上に目を落とす。


「仮に、あいつ自体は安全だとしよう。だが、足場が悪い。足を滑らせれば、最悪死ぬぞ」


 現に、冬場は除雪のために屋根にのぼって命を落とす者が多い、とマスナガは付け加えた。

 それらの言い分は至極真っ当だったにもかかわらず、ハシモトはなおも食い下がった。


「じゃあ、あの子を見捨てるんですか? これはチャンスでもあるんですよ。あの子を助けてあげれば、〈オオノ〉まで行けるかもしれない」


 わざわざカツヤマまでやって来たのは、プテラノドンを手懐け天空城〈オオノ〉まで飛ぶためだ。

 ハシモトとて危険は冒したくない。だが、どこかで勇気をだしてジャンプしなければ、地面の割れ目を越えることなど決してできない。ノーリスクで前へ進めるほど、フクイがやさしい世界でないのは、すでに承知済みだった。


 マスナガは、ハシモト以上にこの世界の理不尽さ理解しているはずだったが、目を伏せ、メガネフレームに光を流動させると、やがて疲れたようにこう吐きだした。


「とりあえず、アサクラの意見も聞いておこう」



――



 炭と脂の香りただよう焼き鳥屋〈オータムよし〉。

 カウンターに頬杖をつきながら、アサクラはぼんやりと天井の隅に光るテレビを眺めている。


「オジョウさんいらっしゃぁぁぁいッ!」


 戸口に老婆が姿をあらわし、店員たちのけたたましい声があがっても、アサクラは意に介した様子もなく首を斜めに傾けていた。

〈オータム吉〉では、この騒々しさが日常なのだ。店に通い慣れていれば、老婆がオジョウさんと呼ばれるのも、浮浪者がシャチョウさんと呼ばれるのも気にはならなかった。


「どうしたよ、アサクラ。ボーっとして」


 そこに、隣からシバが話しかけてきた。

 アサクラはシバを一瞥したものの、すぐにテレビへ向きなおってしまう。

 真昼のニュース番組が流れていた。キャスターの胸元を隠すのは、『カニエキス流出か』のテロップ――。


「これからどうなんだろうなぁって」


 アサクラはぽつりとこぼした。


「なにが?」

「フクイがさ」

「なんだ、若い奴が立派に将来憂えてんのか?」

「だってさ、県庁乗っ取られちまったんだろ?〈クラブラザーズ〉の、いでっ」


 言い終える前に、脇腹を小突かれた。

 ハッとして周りを見ると、客だけでなく店員までもが瞠目してアサクラを見ていた。


「ったく。軽々しく連中の名前口にすんな。下っ端の一人でもこの場にいてみろ、面倒なことになんぞ」

「わりぃ、気を付けるよ……」

「ま、それはともかく、フクイのことなんて、どうにでもなんだろ」


 シバは一転あっけらかんと言った。

 そんなわけないだろ、と抗議の声をあげようとしたとき、テレビが俄かに騒々しくなった。キャスターとは別の声がボソボソと聞こえ、画面の外から真新しい原稿が寄越された。


『え、あっ、緊急? 緊急ニュースをお伝えしますっ!』


 ただ事でない雰囲気を感じとったのか、焼き鳥に夢中だった客たちもテレビを見上げた。

 シバまでくいと顎をあげた。

 キャスターが、しどろもどろに原稿を読み上げる。


『た、ただいま入った情報によりますと、カツヤマっ、カツヤマ市にあります、フクイ県立第二恐竜養殖場で、だ、大規模な爆発が発生した模様で」


 原稿を読み終えぬ間に、映像が切り替わった。

 それは県境にそびえ立つ壁からの記録映像で、ほぼ森といって差し支えないカツヤマの緑を俯瞰したものだった。

 山々に囲まれた窪地には街が見てとれたが、カメラがフォーカスしたのは、そこからやや離れた山の中腹だった。そこに黒煙が立ちのぼっていた。


 カメラがズームすると、画面いっぱいに、放射状の層を成した巨大な焦げ痕が飛び込んできた。そこここに、赤い旗のような炎が翻っていた。その傍らに、川が流れていた。その水は元々透明で濁りひとつないはずだったが、今は泥水そのものだった。


「……マジかよ」


 アサクラは驚いて、近くにあったジョッキを呷った。


 真偽は定かでないが、恐竜養殖場で得体の知れない化学物質が使われているというのは、よく聞く話だった。

 これだけ大規模な爆発が起きたのなら、得体の知れない化学物質はまず間違いなく方々に飛散しただろう。その影響は計り知れない。なにか得体の知れない事態を引き起こす恐れがあった。


「やべぇじゃん」


 アサクラは、興奮のあまりシバの皿から純けいを奪いとった。そして、串に刺さった肉を一口で引き抜いた。〈オータム吉〉の不文律に則った豪快な作法も、この混乱の中ではやや滑稽だった。


「やべぇよな、これ?」

「ああ、やっべぇぞ」


 シバも興奮しているようだったが、その顔つきを見て、アサクラは背中にうすら寒いものを感じた。

 口端の吊り上がったその笑い方が、少々気味悪く思えたのだ。


「なんだよ、気持ちわりぃな」


 その態度を咎めると、シバは何故か莞爾と笑みを深めた。

 そしてアサクラの肩に手を回し、ガキ大将が子分とイタズラを共有するように、こう耳打ちしたのだった。


「あれ、俺がやったんだよ」



――



「ちくしょう、もっと早く気付いてれば……」


 アサクラが過去の幻影ゆめから覚めると同時に、パチンコ台のバリケードが押しのけられた。カッと射しこむ光を、たまらず腕で遮ると、マスナガの声がした。


「起きてたのか」


 適当な相槌をかえすつもりでいたアサクラだったが、もう一人が忙しなく駆け寄ってきて、その機会は失われた。


「大変です! 大変ですよ!」


 寝起きの頭に、金切り声がぶっ刺さった。その慌てようが、いつかのニュースキャスターのようで、アサクラは余計に苛立った。


「なんだよ、うるせぇな。追手でも来たのか?」

「違います! 恐竜です! 恐竜が屋根で、頭が上がらなくて、餌が!」

「落ち着け。意味わかんねぇよ」


 アサクラが目頭を揉むと、ハシモトは初めて自分が冷静でなかったことに気付いたようだった。胸に手をあて、深呼吸すると、やがてこう言った。


「プテラノドンを見つけたんです」

「あん? マジかよ」


 苛立ちを驚愕がばくりと呑み込んだ。

 マスナガを見ると、無表情の頷きが返ってきた。


「いや、でもその慌てよう、なんかあるな?」


 冷静に問い返すと、ハシモトが早口にまくし立てた。


「そうなんです。病気なのか怪我なのか、とにかく弱ってるんですよ。餌をあげようとしたら反応したので食欲はありそうなんですけど、うまく呑み込めないみたいで。このままじゃ死んじゃうかもしれない」

「それで、ハシモトが直接餌を与えようと言いだしたから止めたんだ。アサクラ、何かいい考えはないか?」


 アサクラはまたぞろ目頭を揉んだ。ふたりを交互に見ると、目を伏せた。

 いい考えはないかと訊かれても、そう容易くでてくるものではなかった。フクイ暮らしこそ長いとはいえ、アサクラは恐竜の専門家でなければ医師でもないのだ。


「メガネでの検索は試してみたか?」

「弱ったプテラノドンに餌を与える方法はヒットしなかった」

「だろうな……」


 恐竜を飼育しようとするのは死にたがりか、よほどの変態しかいないだろう。介助も然りだ。


 じゃあ、どうする……。


 アサクラは途方に暮れTシャツの胸もとを掴んだ。シバが好んで着ていたそれに触れれば、力が湧いてくるような気がしたのだ。


 それは実際、アサクラの胸を熱くさせた。

 けれど、思い出されるのは、『ソースカツ丼』の炎が燈ったシバの背中だけではなかった。


 ハシモトの叫びや、マスナガの眼差しがあった。

 憧れてきた標を失い、腐り切って孤独になったはずの人生に、ふたりの足跡がはっきりと刻まれているのに気付いた。


 馴れ合うつもりなどなかったのに。

 放ったところで、誰に責められることもなかっただろうに。

 アサクラは少しずつおかしな選択をして、いつしか自分の人生に、彼らの足跡が残ることを許していた。


 そして彼らに助けられていた。

 だから、今日まで生きてこられた。

 きっと彼らは、シバに似た存在だった。


 誰かが無茶をした先に、オレがいるってわけか……。


 胸の熱がいや増した。

 ふり返れば、後悔と向き合うことになるはずの人生を、久々に誇らしく感じた。


 いつまでもビビってらんねぇな。


 アサクラは顎をあげた。パチンコ台からもれる光の、その眩しく細い道を見据えた。

 おもむろに立ちあがると、仲間たちの肩にそれぞれ手を置いて、数歩前にでた。


「……ハシモトの言った方法、実践してみようぜ」

「おい、アサクラ」


 詰め寄るマスナガに、背中を向けたままかぶりを振った。

 荒い鼓動を打つじぶんの胸に親指を突きつけ、ただしと強くふり返った。


「今度はオレが無茶する番だ。絶対にプテラノドンを手懐けて、三人一緒に〈オオノ〉まで辿り着く」

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