三、西口を突破せよ

「おっしゃあ!」


 気前よく手を打ち鳴らしたアサクラは、どういうわけか突然ストレッチを始めた。


「え、あの」


 風体もさることながら、この男の言動はいちいち不可解だった。

 だが、それはアサクラの特性というより、フクイの特性なのかもしれなかった。


「わっ、うわ……ッ!」


 突然、どこからかぞろぞろと人が集まってきたのだ。

 そして彼らは、皆一様に両腕を横にひろげT字の姿勢をとると、互いに一定の距離を確保し、アサクラのストレッチに追随し始めたのである!


「え、え?」


 わけが分からなかった。狂気を感じた。

 だが、狼狽えていても時間の無駄だ。次の瞬間には、何が起こるかわからない。また恐竜が現われでもしたら、おそらく自分のような人間が真っ先に死ぬ。ここは、そういう世界なのだ。


「ええい!」


 ハシモトは理屈の鎧を脱ぎ捨て、アサクラを手本にストレッチを始めた。


 こ、これは、もしかして……。


 すると、見えてくる景色があった。

 彼らの見ているものが、次第に理解できてきた。


 西口。恐竜の脚。駅の外――。


 それらがここから見える景色だ。

 つまりアサクラも、彼らも、あの恐るべき恐竜が闊歩する西口を突破するつもりなのだ。


 ならば、集団ストレッチの意味も導き出せる。

 ずばり、死亡リスクを分散するのが狙いだろう。

 ひとりで飛び出せば、とうぜん恐竜に踏みつぶされるリスクは高くなるが、集団で駅をでれば、恐竜のターゲットになるのは一部。他のスプリンターのリスクは軽減されるというわけだ。


 即ち、これは利己的な協力。

 蹴落とされた者が犠牲となる、一種の生存競争だ!

 ハシモトは身体が温まっていく感覚を味わいながら、恐竜の脚を注視した!


「お先ィ!」


 その時、ストレッチ集団の中から、ショットガンを背負った男がとび出す!

 スポーティングウェアを着た初老の女、〈コック龍〉とラベリングされた日本酒を呷る老爺が、たて続けにあとにつづく!


「……ッ!」


 ハシモトもすぐさまあとに続こうとする!

 しかし、その肩をアサクラが掴んだ。かぶりを振って、三人の背中にあごをしゃくってみせた。もどかしい思いに足踏みしながら、ハシモトは西口に目をやった。


「ハッ」


 ショットガンが急減速したところだった。

 一方、スポーティングウェアと日本酒はいきおいを緩めない! 

 ショットガンを追い抜き、駅を出る!

 恐竜などいないかのように直線を駆ける、スポーティングウェア!

 ところが、日本酒は酔っているのか足許が覚束ない!


「ブオオオオオ……」


 ほどなくして、ふたりの周囲に暗い影が落ちる。

 スポーティングウェアは、安定したフォームで直線コースをひた走るが、老爺は――!


「ガフッ、オロロロロ!」


 吐いた! 転げながら吐いた!


「うぎゃあああああああああああああああああああ!」


 そして、巨大な足の下に消えた!

 ショットガンが構外へとび出したのは、それとほぼ同時だった!


「今だ!」


 アサクラもまた叫んだ!

 ハシモトは、ハッとして地を蹴った!


 あれはフクイティタン。

 恐竜だ。途轍もなく大きな。矮小な人間からすれば、無敵の生き物と言っても過言でない存在である。


 しかし人間と同様、ひとつの動きをはじめれば、次の動きをとるまでに必ずタイムラグが生まれる。


 ハシモトにも、その意図はわかった。

 だが、このタイミングはショットガンには有利でも、自分たちには不利ではないか?


「……いや」


 ハシモトは漠然とした不安を抱えつつも、アサクラに己の運命を託すことにした。

 自分はしょせんフクイへ来たばかりのよそ者でしかないのだ。

 狂ってはいても、アサクラは命の危機を救ってくれた恩人なのだ。

 今はがむしゃらに付いて行くしかない。

 ハシモトたちは構外にまろび出た!



――



「……よし」


 ショットガンは、老爺をつぶしたフクイティタンの足を迂回したところだった。

 ここまで来れば、もはやフクイティタンからは逃げ切ったようなものだった。最大の難所は回避したと言えた。この辺りにはヴェロキラプトルが徘徊している恐れもあるが、小型ならショットガンでトマトだ。彼は銃の腕に並々ならぬ自信があった。


「ッ!」


 直後、彼は、異様な光景を目の当たりにした。

 腹に大穴を穿たれた、ポーティングウェアの死体を発見したのだ。


 なんだ?


 明らかにフクイティタンの仕業ではなかった。

 喰い荒らされた形跡もなく、肉食恐竜の仕業とも思えなかった。


「フン、どうでもいい!」


 だが、ショットガンには並々ならぬ自信があった。

 その程度の謎を無視したところで、俺が危機に瀕するはずなどない。そう思っていた。


 バスロータリーの沿道を走り抜けるその横っ面に、床弩のごとき殺気を受けて初めて、彼は延髄に氷の杭をぶち込まれたような恐怖を味わった。


「ッ!」


 たまらず愛銃を抱え、ロータリーへ向けて構えた。

 大勢のメガネイターを乗せたバスが、ちょうどロータリーを出ていくところだった。

 その車体の後ろから、ぬうっと双角を携えた巨影が姿を現した。


「しまっ……!」


 それは、彼が逃げるか挑むかの決断を決めやらぬ間に、弾丸のごとく駆け出した。

 トリケラトプスだった。


「うぎゃあああああああああああああああああああ!」


 男の胸を、巨大な角が貫いた!


「ひぃッ……!」


 その後ろで、ハシモトは喉をひくつかせた!

 竦みあがる心臓を、アサクラの怒号が殴りつける!


「はしれええええええええええええ!」


 空を割らんばかりの絶叫に、思いがけずハシモトは奮い立つ!

 固まりかけた足にどっと血がめぐった!


「うおあああぁぁぁああぁあああぁああぁあああ!」


 自らも声を張りあげれば、自然と身体は前に進んだ!

 ハシモトたちは。急制動するトリケラトプスの背後を通過した!


「ブオオオオオオオオオオ!」


 そこに苛立ったフクイティタンのストンピングが襲いかかる!

 真後ろに質量の塊が振り下ろされ、大地が鳴動する!


「うああッ!」


 風圧が押し寄せ、バランスを崩すハシモト!

 死に物狂いで手足をバタつかせ、無理矢理まえに進む!


「横断歩道を渡った先は、もうあいつらの縄張りじゃねぇ! そこまでどうにか逃げ切るぞッ!」


 と言った背後から、旋回したトリケラトプスがまっすぐに突っ込んでくる!


「フゴオオオオオオオオオ!」

「まずいですよ!」


 その時、折悪しく歩行者信号が赤に変わる!

 信号待ちしていた車が、ブオンと見切り発車する!


「いち、に、さんで突っ込む! 一秒たりとも遅れんなッ!」

「わ、わかりましたァ!」


 なにを理解したのか、わからなかった。


「いち!」


 だが、とにかく前へ進むしかなかった。

 後戻りなどできなかった。


「にぃ!」


 運命を。アサクラを信じるしかなかった。


「さんッ!」

「うああああああああああ!」


 行き交う車の綾のなか、ふたりは身体をねじこんだ!


「フゴォ!」


 クラクションひとつない、ブレーキを踏む様子すらもない車両群が、トリケラトプスの進路を阻んだ!

 それがふたりの真後ろを突っ切り、鼻先をサイドミラーがかすめた!

 反射的に硬直しそうになる身体を、気力でぶっ叩き、壊れた機械のようにとにかく走った! ひたすらに、がむしゃらに駆けぬけるしかなかった――!


「ハァ……! ハァ……!」

「……もう、大丈夫だ……ッ」


 次の瞬間、ハシモトは倒れこむように膝をついていた。

 いつの間にか、車両の暴流を渡り終えていた。


 ガシャン!


 そこにショットガン男のものと思われるショットガンが落ちてきた。


「やったぜ」


 それを拾い上げたアサクラのニヤリと笑う様を見て、ハシモトはようやく胸を撫でおろし――。


「これで、ひとあんし……」


 キイイイイイィ、ドォム!


 耳を聾する破砕音に、たまらず飛びあがった。熱波が吹いて、じりとうなじを焼いた。

 慌てて振り返ると、ひしゃげた二台の車が炎をあげていた。それは間もなく、ボムと跳ね上がって爆発した。


「何事もなくてよかったぜ」


 しかし、そう言ってアサクラが額を拭うものだから、ハシモトはあまり気に留めないことにした。

 フクイの交通マナーはあまりよくないと言われている。

 爆発炎上事故くらい、きっと頻々に起こるのだ。

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