四、カニボルガ
小ぢんまりとした商店がならぶ片側式アーケード通り。
行き交う人々の身なりは、やはりアサクラのように奇抜ではないものの、武装している者が多かった。
高校生らしい制服の少年も、買い物袋を提げた主婦然としたおばさんも、当然のようにショットガンを負っている。雑貨屋の軒先には銃弾も売っていた。
恐竜が本物なら、銃器も本物というわけらしい。
フクイの殺伐とした日常風景を、きょろきょろ見回しながらハシモトは訊ねる。
「ところで、東口には何があるんです?」
「んー、特に」
アサクラは、ショットガンの動作確認に余念がない。
「フクイには目立つもんとかねぇからなぁ」
「……」
ハシモトには目立ったものしかないように思えたが、あえてそれを指摘することはなかった。
外の常識など、フクイではフクイでは通用しないのだ。
「さて、そろそろだぜ」
いつしかふたりは、頭上全体をおおう全天候型アーケードの下を歩いていた。
シャッターの閉まった寂れた通りだが、路地裏の剣呑とした雰囲気は感じられなかった。
あくびをしたり、腹を掻いたり、通行人は暢気な様子だ。中には、特撮ヒーローの変身ポーズを延々とくり返す若者までいた。
「ここだ」
やがて、『ボルガ』の看板がでかでかと掲げられた飲食店のドアを、アサクラが腰を曲げながらくぐる。ハシモトそのあとに続いた。
「いらっしゃいませ」
鈴を転がしたような声が、ふたりを迎える。店内に一人しかないウエイトレスに会釈しつつ、ハシモトは店内を眺める。
小さな入口に反して、中は広かった。
家族連れでも窮屈にならない、大きなテーブルが二十卓はある。窓が少ない分、開放感は制限されてしまいそうなのに、吊り下がった間接照明が、店内をより広く明るく見せていた。
壁には額縁に入れられた武将の絵画が並んでいて、どことなく高尚な印象を受けるが、マーブル模様の壁紙のおかげか敷居の高さは感じない。店の最奥の本棚に漫画がぎっしり詰めこまれているのも庶民的で好感がもてた。
ハシモトはアサクラの横顔をながめ腕を組んだ。
この人、店選びのセンスと服選びのセンスが反比例してるな。
「まずは食券買うぞ」
その声でハシモトは我に返る。食券の券売機というものを数年ぶりに目にして、感銘すら覚えた。社員食堂よりコンビニ弁当のほうが好きだったし、単身店に入るのは抵抗があって――食事に誘われることも滅多になかったからだ。
「金はあんのか?」
「ええ、多少は。ここって円使えますよね?」
「当たり前だろ、日本だぞ」
「あ、そっか。フクイって日本でしたね」
「……。ま、好きなもん選べ」
と言いつつ、アサクラは先に券売機をいじり始めた。
見たところ券売機はひとつしかないが。
「イラッシャイマセ」
その隣で、ロボットの目が青く輝いた。
それは頭部が米型になったロボットで、胸の前にタッチパネルを掲げていた。
「わ、かわいいな」
ハシモトはロボットの前に移動する。
「ワタシは当店の案内係を務めています。コシノ・ヒカリです。席につかれる前に、券売機かこちらのモニターで食券を発券してくださいネ」
愛嬌を感じさせる電子音声。
ハシモトは表情を綻ばせる。
「……」
そして、ふとロボットに見向きもしないアサクラを一瞥して、ここへ来る客の多くは、彼と同じように券売機を選ぶのかもしれない、とハシモトは邪推する。
毎日、健気に客を歓迎し、指紋のないパネルを掲げつづけるコシノ・ヒカリ――。
その姿があんまり容易く想像できたものだから、ハシモトは憐れみに目を伏せて、パネルをタップした。
「さっさと注文して」
その瞬間、コシノ・ヒカリの態度が急変した。
ハシモトは眉をひそめ、すべてを理解する。
「はやくして」
コシノ・ヒカリが急かしてくる。
ムカつくロボットだ。
ハシモトは顔をしかめながらも、注文画面に進んだ。一瞬のラグのあと、ずらりとメニューが表示される。
『普通のボルガライス』
『ドリア風ボルガライス』
『ホットドッグボルガ』
『鍋ボルガ』
『ボルガライス with おろしそば』
『一般的なボルガライス』
「……ふむ」
ご当地メニューは調査済みである。
ボルガライスが、オムライスの上にカツをのせた料理であることは承知していた。無論、おろしそばが、大根おろしをかけたり、つゆに混ぜたりして食べる蕎麦だということも。
だが、なんだこれは?
サイドメニューすらないのは、専門店ということで許すにしても、画像ひとつ表示されないせいで、どのような料理なのか判然としないのだ。
『ドリア風ボルガライス』は、なんとなく想像がつくかもしれない。『ホットドッグボルガ』は――まあ、わかるということにしてもいいだろう。
だがしかし『鍋ボルガ』とはなんだ? 一見して、その内容をイメージできる人間がいるか?
ボルガライスとおろしそばを一緒にする意図は? 食べ合わせに問題があるのでは?
そもそも『普通のボルガライス』と『一般的なボルガライス』に違いがあるだろうか?
試されている、のだろうか?
「いや」
単にバカにされているだけだ。
カスみたいなファッションの男が選んだ店など、やはりこの程度なのだ。
フクイのご馳走にありつけると期待していたハシモトは、怒りでわなわなと震えだした。
なにがボルガライスだ。
なにがメガネイターだ。
なにが恐竜だ。
なんだ、このふざけた世界は――!
「さっさと選んで」
コシノ・ヒカリが火に油を注ぐ。
握りしめた拳がメキと音をたてる。
ハシモトは拳骨を振りあげ――。
「うぼあ……ッ!」
吹っ飛んだ!
突如、蹴破られたドアがぶつかり、ピンボールのように弾き飛ばされたのだ!
「オラァ! 金だしやがれ!」
一回り大きくなった戸口から、頬にカニの刺青を刻みつけたドレッドヘアーの男が姿を現す!
「「「ヒエアアアアアアアアア!」」」
間髪入れずその後ろから、カニ刺青のチンピラたちがなだれ込んでこんできた! 客が悲鳴をあげてテーブルの下に頭をつっこんだ!
「クソが。近頃、この辺りも荒らしてるとは聞いてたが……!」
ひとり悪態をついたのは、アサクラだった。
ハシモトはその声を隣に聞いて、痛む頭を振るった。目の前の星が散ると、どうやら、ここがテーブルの下らしいとわかった。
「いってて……。一体、なにが」
「細かい話はあとだ。とにかくヤバいことになった。絶対、ここから出るなよ」
アサクラの低い声に、チンピラの奇声と客の悲鳴が重なる。なにか大変なことが起きていることだけは、かろうじて理解できた。
姿勢を低く保ったまま、アサクラがショットガンを構えた。
次の瞬間、腹の底を銃声が揺さぶった!
ドム!「うぎゃあああああああああ!」
店内にあふれたチンピラたちに血の華が咲く!
「出ていけッ!」
しかし、撃ったのはアサクラではない。
ショットガンをポンプしたのは、厨房から現れたコック帽の男である!
「危ないので、迎撃します」
さらに、コシノ・ヒカリが迎撃態勢に入った。
青い目が、赤に切り替わった!
米型頭部がおよそ中央から二分され、中から現れた銃口が火を噴く!
ボム!
「うぎゃあああああああああああああああ!」
なおも店内に雪崩れこむチンピラたちの胸に、風穴がうがたれる!
「俺たちの店から出ていきやがれェ!」
厨房からまろび出る、新たな三人のショットガンコック!
ウエイトレスも懐に隠し持っていた拳銃を抜いて応戦する!
「「「ピュキイイイイイイイイ!」」」
それでもチンピラの勢いは衰えない! 暴力の悦びに両目を爛々と光らせ、耳障りな奇声を上げながら店内を蹂躙する!
椅子を投げ飛ばし、テーブルを薙ぎ倒し、ボルガライスを食い、やがて無抵抗の客まで襲いはじめた!
「「「うぎゃあああああああああああああああ!」」」
阿鼻叫喚の地獄絵図!
つられて悲鳴をあげるハシモトの口を、アサクラが押さえ込む!
「ウゥ、ッム! ムゥゥ、ンッム!」
「静かにしてろ! バレたらオレたちも襲われる!」
ハシモトは恐怖に涙ぐんだ。
だが、ハシモトはまだ真の脅威を知らなかった。
この恐るべき暴力集団が〈クラブラザーズ〉と呼ばれる、その所以を。
――
「チッ……!」
真っ先に破壊的入店をはたしたドレッドヘアーの男は、手下どもの不甲斐ない姿に舌打ちした。
コックたちが銃器を持っているとはいえ、まだ店側の人間をひとりも排除できていないのだ。
「ま、あいつらばっか責められる立場でもねぇか」
倒れたテーブルの陰で片膝をついたドレッドヘアーは、赤いものの滲んだ脇腹を見下ろし苦笑した。さっさと金と女を奪ってトンズラするつもりが、このザマだった。
「あんま使いたくなかったが、仕方ねぇ……」
ドレッドヘアーは小さく息を吐くと、ふいにカッと目を見開いた。
激情に剥いた目が見下ろしたのは、ジーパンに縫い付けられた恐るべきカニのアップリケだった。そして、彼は懐から一本のアンプルを取りだしたのだった。
「ナメたことしやがって……俺たちに逆らったらどうなるか、思い知らせてやる」
アンプルを目の前にかざすと、中で濁った緑の薬液が揺れた。
それを目にした瞬間、ドレッドヘアーは自分が神になったような全能感に満たされ、口の端をにぃと吊り上げた。
「ハッ!」
次の瞬間、彼はアンプルを首に突き刺していた。アンプル内のシリンダーが回転し、薬液が自動注入される。
ドクン。
店内全体に彼の鼓動が鳴り響いた。
「いいぜ、いいぜ、いいぜェ!」
怒りと昂揚とが、血に融け合って熱を発するようだった。
ドレッドヘアーの顔つきは、もはや凄絶な笑みへと変わっていた。
「皆殺しにしてやらァ!」
獰猛に吼えたその肉体が変化に震えだした。
肌が泥の色に染まっていく。
眼球が眼窩をとび出し、毛髪が奇怪に蠢きはじめる。
そして、それらは例外なく硬質な光沢をおび、メキメキと肥大化していった――!
テーブルの陰から、のそりと立ちあがるそれを、ハシモトとアサクラが見ていた。
「ブハッ! なんですか、あれェ……!」
アサクラの腕を払い、ハシモトは身をのり出した。
ショットガンを構え直したアサクラは、しかし引金に手をかけたところで動きを止め、忌々しげに顔をしかめると言った。
「パンプアップしたんだ」
「パンプアップ?」
「見りゃわかるだろ」
わかるわけがなかった。
あれは二本の足で立ってこそいるが、明らかに人間と異なる存在だった。
キチン質の肌、とび出た複眼、扉状の口。
両腕は巨大なハサミへと変貌し、ドレッドヘアーだったものは八本の尖った足と化している。
「パンプ、アップ……」
ハシモトは、その言葉を舌のうえに転がした。意味は依然として理解できなかった。
それでも、ただひとつ解りかけてきたことがあった。
カニだ……。
頭部の形状が、カニに酷似しているのだ。
いや、似ているのではない。
間違いなくカニだ。
だが、あれは二本足で立っている。
そんなカニはいない。いるわけがない。
だとしたら、あれは――?
そう自問したとき、ハシモトは気付いてしまった。
「……そうか、あれは、あいつは」
本能的に、異形の正体を理解してしまったのだ!
「カニ人間だッ!」
「ブジュウウウウウウウウウッ!」
その叫びに呼応するかのごとく、カニ人間がチンピラたちの頭上を跳びこえ、口器から泡鉄砲を吐き出した!
「うおあ……ァ!」
それが、身構えたコックの手からショットガンを弾き飛ばした!
パン!
銃声が響いたのは、その直後。
カニ人間が着地するのと同時だった。
「ブジュ!」
弾丸が命中し、カニ人間がよろめいた!
「よし!」
ウエイトレスは額の汗をぬぐい笑った。
しかし、すぐにその笑みを凍りつかせた。
「……ジ、ジジッ」
殺した、と思っていたカニ人間が、突如肩を揺らし笑いだしたのだ。
それもそのはずだった。
カニ人間の甲羅は、わずかに凹みこそしたものの、カニ汁一滴垂らしてはいなかったのである。
「ブジュ……」
頭部の八本脚をぶるりと震わせたカニ人間が、ぐるりとウエイターに狙いを定めた。
「うわあああああああああ!」
ウエイターは恐慌状態に陥り、むちゃくちゃに銃をぶっ放した。
カン、カン、カン――!
いずれも結果は同じだった。
致命傷を与えることはできなかった。
ショットガンコックの一人が、カニ人間に銃口を向けるも、
「ブジュ!」
吐き出された泡に狙いを逸らされてしまう!
「ジュアッ!」
カニ人間が地を蹴る!
ウエイターはさらに引金をひく!
カチ、カチ。
拳銃の返事は残酷だった。
いまさらスライドが後退していることに気付いて、ウエイターはその場にくずおれた。
カニ人間が容赦なくハサミを振りあげる――。
「ああっ……!」
一部始終を見ていたハシモトは、ウエイターの運命をさとり悲痛のどを引きつらせた。たまらず顔に手をやった、その時だった。
ドム!
隣から重々しい銃声が轟き、カニの甲羅に大穴を穿ったのだ!
「ブッジュウウウウウウウウウウウウウ!」
無敵にも思われたカニ人間が、断末魔の叫びをあげる。
「ブブ、ジュウウ、ッア!」
ハサミを掲げたまま、よろよろと後退る。その虚ろな眼から、なお生気が失せていく。
砕けた甲羅からは夥しいカニみそが飛散し、店内を汚していった。
一部は卓上に放置された『普通のボルガライス』に混入した。新メニューの完成だった。
「……やったぜ」
絶命し、ゆっくりと倒れるカニ人間から片時も目を離さず、アサクラがショットガンをポンプする。
ハシモトは、その手が震えているのに気付いた。
「アサクラさん……」
恐竜と対峙してさえ恐れを見せなかったアサクラが、今、はっきりと慄いていた。
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