26

話し合いを、とは言ったものの。互いに主張は変わらない。再契約を迫るガフ。断固拒否のアィーアツブスエイラ。譲歩すべき箇所も見付からない現状だ。

「ガフは、再契約して欲しいんだよね?」

「そうですね」

「それだけ?」

「ソレが契約に応じれば私はお役御免です」

セルビアはひとつ頷いて今度はエイラに向き直る。

「エイラは、還りたいっていうけど…還る場所が解らないんだよね?」

エイラは無言で肯く。

どうしたものかと沈黙の落ちる中。ガフはその要求を初めて認識したと言わんばかりに、ひとつ提案を投げ掛けた。

「異邦の種。なるほど。では『樹』に訊いてみると良いのではないですか」

「……世界樹、セフィロート」

エイラアィーアツブスは即座に察し、目を開いた。忌々しげに顔を歪め、震えるほど拳を握り締める。その動揺にセルビアは首を傾げた。世界樹のことは勿論知っている。この世界を支えると言われている大樹。暦の源。なるほどそれはこの世の全てを知っていてもおかしくなさそうだ。とはいえ。

「世界樹に訊くって……答えてくれるの?」

ガフはかぶりを振り、にっこりと笑みを返した。

「意思ある知性体ですが、樹ですからね。どうすれば良いかは、アィーアツブスには解っているようですが」

解っている。解っている。それが本当なら、そう、あの樹が同郷なのであれば、その記憶を辿る価値はある。ただその方法は…

エイラが続けられないその思考の先をガフは迷い無く口にする。

「契約を交わせば良いのです。貴女なら、その契約を辿って読み解けるでしょう」

ああそれをもっと先に気付けていたならば!

今回契約を逃れられたのはこれ以上ない、とんでもない奇跡だ。二度はない。全ての同胞アィーアツブスは使い果たしてしまった。

「ひとりでは、他者に頼ることを思い付けない。それは玄獣あなたたちの…強さ故の欠点ですね」

それは哀れむようにも嘲るようにも聞こえた。

例え還るべき場所を知っても。還る手段を得たとしても。契約に縛られていては叶わない。

「守護獣は、国から出られないのかい?」

「出られないということはないが、契約者から離れ過ぎると弱る。それに他国の守護獣は領域侵犯を酷く嫌がるから、結果それぞれの国域から自主的に出ることはない」

「なるほど」

苛々すると言っていたオルデモイデを思い出した。

「あれ?そう言えば…エイラって、どうなってるの?」

契約が切れたのなら、エイラとアィーアツブスは何故離れていないのか。今更ながらに気付いたセルビアにエイラはキョトンとした様子で答えた。

「アィーアツブスは私です」

「え?エイラは?」

「エイラも私です」

「??」

つまり、とフェディットが割って入る。

「エイラくんはアィーアツブスと融合して、玄獣になった。新たに契約を交わすなら、新しくエイラくんと契約を交わす相手が必要だ と、いうことかな?」

振られたガフは少し考えながらゆっくりと言葉にする。

「それが微妙なところで私にも解りかねるんだが…ひょっとしたら、エイラさんとアィーアツブスの契約は新規に有効かも知れない」

それは凡そ「代理契約者を必要としない」ことと等しい。これが通れば、守護獣が国に留まらなくてはならない理由を一つ潰せる。何せ契約者の更新が不要になるのだ。今までのような150~200年おきの寿命はもう来ない。

「通るかどうかは多少賭けですが」

守るべき人間ヨリシロも無いのだから、センターで極秘に閉じ込め保護しておく必要もなくなる。逆に『外』に居てくれた方が安心できるくらいだろう。新生したアィーアツブスには現状危険なものは何もない筈だ。

「ひとつ、国の呼び掛けには必ず応えることを条件に。貴女に行動の自由を与えましょう。どうですか」

嫌なら叩きのめして連れ帰って閉じ込めます、と溜め息混じりに吐き捨ててガフはエイラの返答を待つ。

条件は悪くない筈だ。ここらが折れ時だろう。この女は憎いが、故郷を知りたい思いは強い。

「……あの、私」

再契約に応じるにあたって、伝えておかなければならないことが一つ。

「センター、壊してきちゃいました」



センター上層階は修繕中の幕が覆い、エンジニアたちは必死にプログラムを修繕し、ガフとエイラは憤怒の司教に事のあらましを説明する──そんな地獄のような時を経て、センターは…イェソドは新体制への準備を整えていく。

エイラは再契約を了承し、賭けに勝った。自由を得たエイラは世界樹の記録を辿ったようで、「海の向こうへ行ってみようと思います」とフェディットに手紙を寄越した。

セルビアは竜を連れてマルジュへ戻った後、暫くしてエイラの元へ向かった。どうやら彼はエイラと共に生きるため、竜としての生を選んだようだ。砂の赤龍によく似た色の、立派な翼竜の姿だった。エイラに「どうして」と訊かれたセルビアの返答は「だって、ずっとひとりじゃ寂しいでしょ。竜は長生きなんだよ」だった。いや、続いた言葉があるが…それはこのふたりの秘密にしておこう。

ガフはウォートバランサー内が落ち着いた頃、静かに姿を消した。役目を終えて情報の海に還ったのだろう。



そして数年後。

フェディットは今塔に居る。意味は異なるが此処でも「先生」と呼ばれている。魔術師ではないが、学生たちに医療の知識と技術を教えながら病理の研究を続けていた。医師会からの心象を悪くした所為でケセドではやりにくくなってしまった故だ。あの時の魔術師に相談したら「それは大変だね」と塔に掛け合ってくれて今に至る。必要に応じて魔術のことも知識としては少しずつ学んでいるが、自分には扱えそうにもないと感じている。


竜の羽ばたきが聞こえ、フェディットは窓の向こうへ目を遣った。

「先生!」

目の前に紫煙が立ち込め、みるみる人の形に変化したかと思えば、明るく軽やかな声が降る。

「お久し振りです」

「いらっしゃい。どうだい、世界は」

「楽しいです!聞いてください、この前見たのは──」

エイラがアィーアツブスの目的を達したのかどうかは解らない。だが、最近は世界中を回っているのだそうだ。領域侵犯に関しては、「怒られそうになったら逃げてます!」と言っていた。

楽しそうに語るエイラの後ろから、竜が舞い降りる。その姿はなだらかに人間の形に変わる。

「エイラったら酷いんだよ、その時僕のこと置いてさ──」

「あっ、あれはセルビアさんが──」

わいわいと騒ぐふたりを微笑ましく見ながら、フェディットは三人分のお茶を用意する。

生活は以前とは随分変わってしまったが。それでも今が平和に在ることは間違いない。

手の施しようのない神秘を認め、その緩慢緩徐な滅びを見守る。今となってはそれもよしとする自分も居る。

目の前で世界の様子をキラキラと話すエイラも変わったが、フェディットもまた少なからず、旅を通じて変わったのだろう。

姿以外は相も変わらないセルビアは、今日も朗らかに笑っていた。


「ねえエイラ。今、幸せ?」

「なんですか急に!……まあ、悪くはないかな、と…思います」

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