21

何も見えないまま、フェディットはセルビアの手を掴んで引かれるままに歩を進める。

「先生、こっち!」

セルビアはこの濃霧の中でも平然と竜の元まで辿り着いた。

「げほ、ごほ!」

大分吸い込んでしまったのか、フェディットは蹲って咳き込んでいる。換気の悪い車内に入れるのも良くないかも知れないが、セルビアにはこの大男を担ぐことは出来ない。たじろぐセルビアだったが、竜が動いた。フェディットを咥え、早く乗れと急かす。

「ありがと!」

緊急発進。羽ばたき一つで紫の濃霧を眼下へ圧し遣ると、竜はふたりを安全な場所まで運んだ。


「げほっ、けほ、──はぁ、はぁ。助…かった……」

紫霧に侵されていない清涼な空気を取り込み、体内の空気を入れ替える。後に残る毒性は無さそうだ。呼吸の度に体が楽になっていく。

「先生大丈夫?」

「うーん、なんとか」

落ち着いてくると、身体についた竜の涎が気になってくる。それで助かったのだから文句を言うつもりはないが、とにかく臭いので洗い流したい。幸い竜は川辺へ運んでくれたので、もう少し落ち着いたら沐浴をすることにした。



「エイラ大丈夫かなぁ」

「………そうだね」

沐浴後の濡れた髪を乾かしながらそれだけを返す。彼女にとっても悪くない選択だった筈だ。だが、言い知れぬ後味の悪さが胸に残る。

「………セルビアくんは、あの霧が平気そうだったね?」

誤魔化すように話題を逸らした。

「僕だけじゃないよ」

そう言ってセルビアは竜に目を遣った。なるほど確かにとも思うが、竜と人を比べて良いものか悩む。

「あれは人間に対する呪詛みたいなものだったから、竜には効かなかったんじゃないかな」

「ん?」

「僕、もう半分竜のようなものみたい」



竜は砂漠で赤子を拾った。人間に特に思い入れも好意もなかったが、それがただ必死に生きようと喚いているのを、なんとなく放って置けなかった。

ミルクの代わりに玄力を混ぜ込んだ水を飲ませ、暑さや乾燥から守るために玄力を纏わせ、気付いたらそのこどもは少し『人間』から離れていた。

竜は慌てて、まず容を調えた。こどもが溜め込んでしまった力を奪い、人間の群れに放り込んだ。おとうさん、と泣いて戻ってきてしまう我が子に、何度も何度も言い聞かせた。

『一緒に居ては人間から外れてしまう。おまえがどちら側で生きるかの選択は、おまえが自分でしなくてはならない。幼心で偏った選択をしてはならない。自分の命は自分の為に使いなさい』

幼子は全く意味が解らなかったけれど、何度も何度も言われる内に、諦めなくてはならないらしいということだけは分かってきた。

『もう、おとうさんにあえないの?』

竜は優しくかぶりを振った。

『それでも、私はおまえの父であろう。助けを求める時は駆け付けよう。ただその度におまえはこちら側に寄ってしまう。頻繁に呼んではいけないよ。本当の本当にどうしようもない時、命の危機にある時、そんな時だけ呼びなさい。何処に居たって駆け付けるから』



「あの時助けてくれた竜、僕の父さんなんだ」

「戦闘機に追われた時の?……父さん?」

フェディットは頭が痛そうだ。

「……母親は?」

「知らない」

旅の仲間がふたりとも人外であった衝撃に眩暈を覚えながら、フェディットは濃い目に入れた炒豆茶に口をつけた。一度落ち着きたい。

「僕は人間だったんだけど、父さんに力を借りる度に竜に近付いちゃうんだって」

助けを求めたのはこれまでに二度。一度目は片方の瞳の色が金に変わった。二度目の変化はまだ解っていない。だが、あの時助けを求めていなければあの霧もまだ効いたかも知れない。

「次は鱗でも生えてくるかも知れないねー」

軽い調子で口にしてから、

「……そしたらエイラに嫌われちゃうなぁ」

少し俯いた。

「どうだろうね」

もう会うこともないだろうが、敢えて口にすることでもない。

「それで先生、どうするの?帰る?」

「そうだなぁ~。ターミナル登録だけ済ませちゃおうか。そしたら一旦帰ろう」

「そうだね」

ターミナルさえ使えればまた来られる。この長旅も、無駄足だったということはない。



「いやあ、ハイテクだった」

「凄かったね。話には聞いてたけど」

草むらにポツンとある四角いだけの建物。一見入り口もないその遺跡は、戸の開閉もなしにすんなりと旅人を招き入れる。まるでイェソドにあるような機械を操作して存在登録を済ませ遺跡を後にしようとすると、ターミナルは目映い光に包まれた。誰かが転送されてきたらしい。やがて光も収まると、そこにはひとり、呆っとした様子で立ち尽くす人物が居た。

「………ここ、は」

転送直後で朦朧状態なのか、ゆっくりと手を持ち上げ、目の前で閉じたり開いたりを繰り返している。

「先生?」

───美人だ。

目を奪われたまま動かないフェディットの袖をセルビアが軽く引く。

「あ、あぁ」

行こうか、と無理矢理に顔を背けて一歩踏み出すと、

「あの」

涼やかな声に、フェディットの足は再び止まった。

「いきなりすみません。貴方たち、アィーアツブスをご存知でしょうか」

紅潮から、蒼白へ。

背を冷や汗が伝っていった。

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