19
「………」
認識が違いすぎて、どうにも巧く纏められない。ケセドに限らず殆どの人間は守護獣の真の存在意義など知りはしない。各国の聖霊や当の守護獣ですら半数以上が知らない事だ。居なくなったら国が成り行かないなどと言われても、想像も出来ないし到底信じられない。フェディットにしてみれば守護獣の実在が既にギリギリだ。比較的神秘に近い処で生きているセルビアがアィーアツブスに同情的なのは解らないでもないが、正直早く解放されたい。武器を突き付けられずに済む神秘の少ない日常に戻りたい。その為なら玄獣に寄生されたというレアな患者を手放すのも致し方ない。
「実際、ケセドの守護獣は数年前に一度消失の憂き目を見ていますね。あぁ、ご存知ない?」
知るわけがない。実在さえ信じていなかったのだから。
「さてお喋りはもういいでしょう。他所の国の事に首を突っ込む前に、自国の心配でもなさい」
返す言葉もなくフェディットは息を吐いた。
「エイラくん」
「先生…セルビアさんも…お世話になりました」
ペコリと頭を下げるエイラをふたりは
最初にそれに気付いたのは、竜。次にエイラとセルビアだった。
ゴウッ、と風が不吉に吹き抜ける。
やだ やだやだ
だめ だめだめだめ
せっかく帰ってきたのに 帰ってきたのに
ぼくらのおうさまを 連れていかないで!!
「なんだ…?」
紫色の靄が沸く。辺り一面に霧のように薄く。或いは
「ひっ、」「うわ…っ!」
三人を取り囲んでいた騎士たちから悲鳴が漏れる。しかし、紫の霧は今や濃く立ち込め、その姿は視認できない。
「これは……」
おうさま、おうさま!
いかないで いかないで
どうしよう どうすれば
にんげんが ああ そうか
にんげんが にんげんが
いなくなればいい!!
最後の叫びはその場の全員に聞こえた。歌のようだったその声は度々エイラに聞こえていたあの声だ。たくさんの幼いこどもが同時に喋っているようなバラバラの音。それがピタリとひとつになった。
エイラは青褪める。これもまた悪魔の声だった。よくわからない声が聞こえるなんて、我ながら何故不気味に思わなかったのだろう。今明確に人間の排斥を意識したこの声に、どう行動すればいいのだろう。
「司教さま…! ……司教さま?」
電波妨害。紫の霧は通信を遮断する。音も映像も繋がらない。あちこちから騎士たちの呻き声が聞こえてくる。霧が人体を害し始めているのは明らかだ。竜が翼で強く風を起こしても紫の霧はそよぎもしない。近くに立つ筈のふたりすら影になり、慌てて伸ばした腕を誰かに掴まれた。
「っ!?」
「エイラ、逃げよう!」
セルビアが手を引く。
「駄目だよセルビアくん」
セルビアの腕をフェディットが掴んだ。
「このままだと皆死んじゃうよ!」
「ここでエイラくんを連れて逃げたら、我々も終わりだ!」
恐らくこの霧はエイラには害がない。霧が立ち込め始めた時から衣服で口鼻を覆いなるべく吸い込まないようにしていたフェディットにもまだ害はないようだ。今の内に離れるべきだ。
「エイラを置いていくっていうの?」
「……そうだ」
もしも騎士たちが全滅していても、すぐに第二陣が迎えに来るだろう。フェディットとセルビアがその場に居合わせれば恐らく殺されてしまう。エイラを連れていけば間違いなく国際指名手配犯になってしまう。ふたりだけで逃げるのが得策だ。
「エイラくんはどう転んでも助かるが、我々は今逃げないと死ぬ。例えば君がここに残れば、僕は移動手段も荷物もなくなる」
「……それは……」
「セルビアさん、行ってください。私を置いて。早くしないと、霧が」
実際フェディットはもう大分辛そうだ。エイラは普通に呼吸をしているが、身体に異常は感じられない。セルビアは平気そうにして見えるがいつまで保つか解らない。
エイラは考える。よく解らないし恐いし少し悲しいけれど、司教さまのお墨付きで悪魔と断じられた身だ。恐らく、多分、大丈夫。
『おうさまを連れていかないで』
彼らはそう嘆いていたのだから、着いていったらふたりがより敵視されてしまうかもしれない。
濃霧は既に煙のように。掴まれた手すら見えない程に濃くなっている。
「お願い、早く!」
エイラは掴まれた腕を振りほどいて、闇雲に突き飛ばす。
「…エイラ」
「私は国に帰ります。『私』は帰りたいの!お父様とお母様にまた会いたい…!」
──だから大丈夫。来てくれる筈のお迎えを待つ。霧が晴れたら、司教さまと通信が繋がるかもしれない。そしたら事情を説明して、ふたりのことも見逃して貰って、
だめだめだめだめだめ!!!
そんなの いやだ!
「…ぇ…」
エイラは目を見開く。何かがゾロリと這い上がり…いや、何かにズブリと沈み込み──エイラの視界は一面の紫から一面の黒に変わった。
ふたりが霧から抜け出せたのかどうかは、エイラには解らない。
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