14

金縛り一歩手前の寝苦しさで意識が浮上した。両脇から両腕をホールドされているらしい。そっと引き抜き、上半身を起こす。ふたりを起こさずに済んだことに一息吐いた。

カーテン越しに早朝の仄かな明かりを感じる。寝直す必要はないだろう。セルビアはいつもは眠りが浅い印象だが、珍しくぐっすり眠っている。よっぽど疲れていたのだろう。それも当然だ。気楽な道行きだった筈がとんだ目に遭ってしまったものだ。

抱き枕を失った所為か、微かな吐息と共にエイラが目覚めの兆しを見せる。ぼんやりと覚醒を待つ間にフェディットはざっと自らの髪を整えた。

「………おはようございます…」

目を擦りながらエイラも上半身を起こす。

「おはよう。早いね」

エイラは寝惚け眼のままひとつ頷き、うんっと大きく伸びをした。

「顔を洗ってきます…」

「いやちょっと待って。セルビアくんも起きてから皆で行こう。深くない場所とはいえアッシャーの山脈だ。何が出てくるか解らないからね」

止められて、エイラはタオルケットに顔を埋めた。寝起きの顔を異性に見られるのは酷く恥ずかしい。が、その動作中に腕に角が触れてふと冷静になった。そうだ。こんな角と左目をしていながらそんな事を気に掛けるなんて笑い話だ。タオルでささっと顔を拭いて、開き直って顔を上げる。すると、丁度今起きたばかりのセルビアと目があった。

「…おはよう…」

「  」

不明瞭にあいさつをするセルビアに、エイラは口を開いたまま声が出ない。藤色の左目と、金色の右目。セルビアの眼帯は外れていた。

ふああ、と大きな欠伸をしながら髪を乱し、もう片方の手で手近な場所をてしてしと探る。そうして見付け出した眼帯を嵌めて事も無げに立ち上がった。

「んじゃ、水場に移動しよっか」


朝の山林は瑞々しく少し肌寒い。川辺ともなれば尚更で、朝霧が立ち込めていた。

「わあいかにも出そう」

「やめてよセルビアくんが言うとホントに出かねないから」

火を起こし水を煮沸する。そのまま飲めそうなくらいキレイに見えるが念の為だ。エイラは特にお腹が弱い。竜は下手で川からガブガブ飲んでいる。

フェディットが飲み水を用意している間にエイラは洗顔を終え朝の祈りを捧げていた。川水は冷たかったが目を覚ますには丁度良かった。

熱心に祈るエイラを邪魔しないように眺めていたセルビアだったが、祈り終わったエイラと目があってヒラヒラと指先を振って見せた。

「エイラ今日機嫌いいの?」

「え?はあ。悪くはないです」

何せ夢見が良かった。なんと畏れ多くも聖霊を夢に見たのだ。その威光たるや言葉にも出来ず、ただただ尊く耀かしかった。夢見の原因はセンタービルを見たからだろうとは解っていても、我らが聖霊はこんな私でも見棄ててはいないと思う事が出来た。その嬉しさは朝の祈りをいつもより更に念入りにさせた。

うんうんと頷くセルビアは洗顔後で、今も眼帯を外している。そのオッドアイに驚いたものの、例えばエイラの左目のような痛々しさやおぞましさはなかった。

「……眼帯。どうして着けてるんですか?」

「皆驚いちゃうからね」

エイラの振り絞った質問にもセルビアはあっさりと答えた。

セルビアの金の右目は怪我でも病気でもなく、機能も至って正常だ。眼帯をファッションとして好んでいるというわけでもない。因みに眼帯はよくよく見れば小さな穴が幾つも開いていて、装着していても内側からは見える仕組みになっている。装着の一番大きな理由は『他人の好奇心から身を守るため』だ。

「……そうですね」

察したエイラはそこで話題を終わらせた。

見ればとっくに湯は沸いていたらしく、フェディットは悠々とお茶を飲んでいる。朝靄も薄らいで、鳥たちも囀り始めていた。



「山脈沿に南下する?」

「エイラくん。あれは遠隔操縦だって言ってたけど、どのくらいの範囲とかあるのかな」

「すみません、詳しくは…」

意見を求められるのはとても嬉しいのに、応えられず気落ちする。とはいえ、どう足掻いても戦闘機に興味を持つような生活はしてこなかった。仕方ない。

陽の届き始めた川辺で地図を囲んでの朝食タイムだ。パンを囓りながら進路を確認している。

エイラは馴染みのない世界地図を不思議な気持ちで眺めていた。ウォートバランサーが小さな小さな点でしかない世界地図。今まで自分の全てだった世界がこの小さすぎる点なのならば、此処まで旅してきた世界はとてつもなく広い。たった数日で移動してきたことも信じられないほどに。初めて世界地図を見た時は完全に縮尺を疑った。

「よし。じゃあ山脈の西側を行こう。ちょっと回り道だけど、あれは恐かったからねぇ」

「じゃあ迂回の為に少し戻るよ。流石にこの山脈は跨げない」



内陸から今度は西側の海岸線を行く。眼下には切り立った崖も見えるが、打ち寄せる波に、例えば塔のお膝元ワーナー程の荒々しさは感じない。

「あれ!先生、見てください鳥が海を泳いでます!?」

「あぁ、ホド域からマルクトにかけて生息する鳥だね。海を泳げる代わりに空は飛べないし、陸上での歩行も覚束なくてね」

へぇ、と素直に感心するエイラに、フェディットは確かに変化を感じていた。遠慮が取れてきたというか、外の世界に馴染んできたというか。こどもにしては頑迷で思考が凝り固まっていたエイラも、段々と『こどもらしさ』を取得しつつある気がする。良い変化だと思いたいが、フェディットとしては心配でもある。

帰る日が来たら。『外』に馴染んでしまった場合、またあの檻で生きていけるのだろうかと。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る