09
東の端とはいえ、リディウムはリディウム。街の夜はそれなりに活気があった。懸念された夕飯問題も奇跡的にミンチ肉で事なきを得、揚げ物が多かったことで多少胃を凭れさせながら街を見て回った。
「ずっと座って食べて寝て…だと体に悪いからね」
「時間掛かってもいいなら歩いてもいいよ。ちゃんと着いてきてくれるから」
今までの速度で行けば明日には予定された道程の半分に到達する。多少休憩を挟んでもいい頃合いだ。
「折角のリディウムだしねぇ」
エイラからしてみれば何処も知らない土地で、「折角」の意味は解らない。
「一日…いや、二日掛かるかな。大湿地帯でも見に行く?」
「観測所に頼むと観光案内もしてくれるらしいけど、確か予約制なんだよねぇ」
「あそこは見たことない生き物いっぱいいて楽しいよ」
もうすでに周り中が見たことない生き物でいっぱいのエイラにはその感動は伝わりにくい。だがこの旅が…長く続くのは悪くはないなとぼんやり思えた。
湿地。それは海とも川ともまた違う、浅く水に浸かった地。広域を占める湿地帯は塔の監視下に置かれ、大部分で開発が禁じられている。
「塔…って、他国域ですよね。どうしてそんな干渉を」
「うーん。ザックリ言うと、昔君の国とゼクトゥズが喧嘩した時に、間に挟まれちゃったティフェレト域は大変でね。塔から援助を受けたんだ。その見返り」
エイラはふーんと軽い調子で聞いている。世界の南端と北端。接点など無いような立地で、二国は昔から仲が悪い。各国と付き合いのある分ゼクトゥズ寄りに解釈されがちだが、勿論エイラは当然のようにこう思うのだ。そんなに遠くても許せないと思うほどその国は悪い国で、自分の国は正義感のある尊い国なのだ、と。
「ボロボロだったもんね。今も賑やかにしてるけど、ティフェレト域はそこら中に戦禍の痕がある」
セルビアは悼ましい面持ちで街を眺めている。
「………」
祈りと平和の中で育ったエイラには戦争のことはよく解らない。漠然と『善くないことだ』とも思うし、反面、正義が悪を倒すのには武力が必要だとも思う。聖霊の写し身が悪を打ち倒す物語は昔から多く創られている。武力を用いた勧善懲悪はエイラに深く浸透していた。そして、イェソドの教えでは魔術は悪だ。ならば、魔術師たちの集う塔は悪の巣窟だ。つまり、そこへ助けを求めたこの国も、同情する必要のない悪なのだろう。……と考えることに、何故か今は僅かな抵抗があった。脳裏に煌めく金の髪が、屈託ない優しい笑顔が、とても悪には思えなかったからかも知れない。
エイラは考えるのを止めて足元の泥濘に意識を移した。この辺りは沢に似ている。岩に繁茂した藻類を食む蟹が見えた。爪で藻類を削ぎ落とす姿はなんとも愛らしい。もっとよく見ようとその場にしゃがみこむと、陰が出来たことに驚いたのか、蟹がピュッと水を吐いた。顔面に命中した雫を拭うと、もう蟹の姿はない。
「蟹が……水を……蟹ってそんなことしましたっけ?」
「さっきの蟹はするね~。威嚇行動のひとつだねぇ」
湿地にはそれぞれの固有種が多くいる。今の蟹もそのひとつかも知れない。探せば、まだ塔にも登録されてない未知の種がいるかも知れない。
「次は食べてやる…」
「エイラ、ワイルドだね」
ふたりのやり取りを笑って見守りつつ、……やはり釘は挿しておくことにした。
「湿地生物の採取および意図的な殺生は禁じられてるからね」
この娘はちょっと何するか解らない処がある。
「疲れました…」
「観光用の甘味処があるよ。寄ろうか」
「あぁいいねぇ」
湿原に敷かれた観光用の歩道を歩いてきたのだが、それが思いの外長い道程だった。渡りきった先には誂えの甘味処。観光客たちは当然のように吸い込まれていく。
甘味処にあったのは、冷えたフルーツジュースだった!エイラは感動に瞳を輝かせる。
「地下洞があるんだね」
「場所によっては鍾乳洞もあるみたいだねぇ」
セルビアとフェディットは店の壁に貼られた説明書きを読んでいる。ふたりの会話から、ジュースを冷やしているのは冷蔵庫ではないらしいと察しつつ、エイラは黙ってグラスを傾け続けた。なんでもいい。冷たいものは久し振りだ。正直味は微妙だが、冷えているというだけで美味しく感じた。
それにしても。リディウムに入ってから今まで以上にたくさん人がいるが、出会った誰もが角にも眼帯にも頓着しない。今までもそうだったが、エイラにはとても不思議に思えた。
その疑問を口にすると、セルビアが答えた。
「隣に先生立ってるからね」
「?」
首を傾げるエイラだが、ふたりともそれ以上説明する気はないようだ。言ってしまえば、ド派手なシャツを着たガタイのいい男性の連れにケチをつけるような人間はなかなか居ない、ということだ。
「人間なんて意外と何処でも一緒だよ」
「?」
あっけらかんとしたセルビアの言葉の意味も、エイラにはイマイチ解らなかった。
ひとときの休息…というよりは運動、を終えて、三人は再び竜車に乗り込む。竜が飛べない時間になる前にある程度軌道を修正しておかなければならない。
「どうだった?」
エイラが乗り込む際、御者台からセルビアが問いかけた。エイラは少し考えて
「たくさん歩いて、足が痛くなりました」
そう答えた。セルビアは「だよねー」と笑いながらエイラの顔を眺め、もう一度満足そうに満面の笑みを浮かべた。エイラがそれに気付くことはなかったが、エイラの表情は「楽しかった」と確かに伝えていた。
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