02

結局滞在期間は一週間ほどで、結論から言うと、問題なく出国出来た。

此処でバレたら諸共に処断されるぞと脅された魔術師が念入りに施した幻術は欠片も疑われる事なく、『難病の哀れな少女、手術の為国外へ』と世間を賑わせつつ正面から堂々と出立した。

ターミナルから転送を終えグナードに着いた一行は解散し、医師団は主国マルジュへ伝令を走らせた。エイラはマルジュからの迎えを待って輸送されるらしい。

一息吐いて幻術を解くと、魔術師はくたっとその場にしゃがみこんだ。

「つ~か~れ~た~!思ったより長かった!は~、保ってよかった」

「すみません、ありがとうございました」

よく解らないけれど疲れさせてしまったようだと感じ、エイラは申し訳なさから頭を下げた。

「あ、ううん!気にしなくていいとも。人を助けられたんだからね!」

人好きのする明るい笑顔に、エイラも少しだけつられ笑いを浮かべる。

「あの、この頭…見られてしまっても大丈夫でしょうか」

親があれだけ警戒していたのだ。見つかったら殺されるとまで言われていた。それを白昼から大っぴらにして、落ち着くわけがない。

「大丈夫だよ。見られても、変わった飾りを着けてる変な人だなぁって思われる程度さ。何せ角が生えた人間なんて聞いたこともないからね」

「そんなもの、ですか?」

寧ろ聞いたこともないから迫害されるのではないだろうかとエイラは思う。

「角だけならね。でも、目の周りの異変は見られちゃうとちょーっと煩いかもね」

無意識に、エイラの手は自らの左眼へと伸びた。今は眼帯を着けている。なるほど。幅広のこの眼帯は、目の周りを隠すためのものだったのだと気が付いた。

「この国は医療の国だから、興味持たれて付き纏われちゃうかも知れないよ」

いたずらに笑うこの魔術師は、必要以上に怖がらせないよう気を使ってくれているのだろう。エイラはそう察した。

魔術は悪魔に繋がる術だ。聖霊の奇跡を否定する。

詳しくは知らないが、エイラはそう聞いたことがある。悪いもの、胡散臭いもの、邪教のもの。だが御使いのような姿のこの魔術師は、どうにも悪い人には思えなかった。それに、エイラの恩人だ。

(―そんな風に考えるなんて、悪い子かしら)

自嘲気味に浮かんだ笑みに、彼はにっこりと再度笑みを返した。

「じゃあエイラくん、迎えが到着するまで君の事を頼まれてる。いい宿を用意して貰ったみたいだから、行ってみようか」

「はい。宜しくお願いします」



「イェソドは春だったけど、こっちは今初冬なんだ。っていってもこの国に冬はないようなものだから寒くはないと思うけど。大丈夫?」

「はい」

国を出たら季節が変わるなんて不思議だ。辺りの景色もまるで異世界。塀の内と外では、きっと世界が違うのだろう。

舗装されていない砂だらけの街。道には車もバイクも走っていない。見たこともない植物たちはなんだかトゲトゲしたものが多い。お医者様たちがそうだったように、行き交う人々は皆肌の色が褐くて、髪も藁のような色をしている。太陽はギラギラしていて、空の色も雲の形もイェソドとは違う。建物は頼りない土レンガや植物製だし、背の低いものばかり。何より、礼拝堂や聖堂が見当たらない。国を覆う壁が見えないのは、この国がとっても広いからなのだろうか。

そんな風に考えながら宿に向かう間、人々がエイラの事を特別気にする様子はなかった。宿に着いて手続きを待つ間、角の重みで少しふらついた時に、近くにいた老人に「その頭は重そうだものねぇ」と笑われたくらいだった。

エイラにはとても信じられなかった。

「この角、恐くないですか…?」

そうエイラに訊ねられた老人は「これはしまった」と一度額に手を当てて仕切り直した。

「おぉ恐い!恐いとも。なんて禍々しい角なんだ!」

「………」

どう反応を返していいか解らないエイラが複雑な顔をしていると、手続きを終えて宿の案内係と魔術師がやってきた。エイラはこれ幸いと老人に一礼してその場に背を向ける。

「あのくらいの年頃は扱いが難しいねぇ」

後に聞こえた老人の呟きに、エイラは少し頬が赤くなるのを感じた。



「迎えが来るまで、多分三~四日くらいだと思うけど、此処が君の部屋だ」

案内されたのはこざっぱりとした開放的な部屋だった。白っぽいクリーム色の漆喰。窓にはガラスも柵も填まっておらず、壁に穿たれた四角い穴でしかない。階層は2階。窓の向こうに見えるのは砂地と変な形の木。一人用にしては少し広い部屋。ベッドも少し大きめだ。大きな枕とふかふかの布団。

「僕は隣に部屋を取ってるから、何かあったら呼んでくれたまえ。あとこのホテルは医者が駐在してるから、その点も安心して」

外見の変化以外特に異変を感じないが、―強いて言うなら頭の重さと首肩の凝りは酷いが―、お医者様たちは病気と判断して連れ出してくれたのだから、そういう配慮も当然なのだろう。

そう考えたエイラは魔術師に頷きを返して、改めて部屋を見渡した。もっと軟禁に近い扱いをされると思っていたので、落ち着かない気持ちでいっぱいになった。



コンコン。

夕方の薄暗い部屋に、ノックの音が響く。

「エイラくん、入っていいかい」

どうぞと招き入れる声はどこか元気がない。

「夕飯だけどー…」

言いながらドアを開けると、ベッドに顔面を埋めているエイラが見えた。

「どうかした!?具合悪くなった?」

慌てて駆け寄る魔術師に、エイラの方もまた慌てた。

「ごめんなさい、大丈夫です。ただちょっと、その、眩しくて…」

見ると、エイラは眼帯を外していた。長いこと封じていた所為だろうか、光が眼に滲みるらしい。

「視力にも影響があるのかも知れないね」

「国に居た時も、少し眩しいような気はしていたのですが…でも」

眩しそうに目を細めて、エイラは魔術師を見据えた。

「お医者様たちも貴方も、とても『眩しい』から」

外の人たちは、輝いて見えた。目が痛い程に。

「?そりゃあ僕は美しいけど」

臆面もなく口にされる言葉に、エイラの方が真っ赤になる。

「ええと、そうですけど、そうではなくて…!」

「うーん、よく解らないけど、後でお医者さんに伝えてみよう。それで──」

ぐるっと部屋を見渡して

「眼に障るから灯りはつけてないんだね」

「あ…。その、電気のつけ方が解らなくて」



夜。ベッドサイドのランプに教わった手順で火を点して、エイラは盛大に枕へ顔面を沈めた。怒涛の異文化コミュニケーションはエイラの精神力をガリガリと削り取っていた。

電気がない。話に拠ると無いわけではないらしいが、とにかく普及していない。電話もテレビも無ければメールも出来ない。電話に似た通信機はあるにはあるらしいが、普及していないのならば無いも同義だ。トイレも、辛うじて水洗ではあるものの限り無く落ち着かない。外食ではサービスの飲料はお酒だった。冷たいお水は有料なんて、信じられない。未成年なのでお酒は飲めませんと断ると、とても不思議そうな顔をされた。角を見た時より変な顔をされたのが全く納得いかない。

そんなこんなで疲れ果ててベッドに突っ伏していると、みるみる眠気がやってきた。

ああ、でもお陰で──

この身の不幸を嘆く隙はなかった。心が落ち着いてしまったら、きっと身体の事に意識が集中してしまう。不安になるような事を考えてしまう。だから、良かった。

灯りを消すのも間に合わず。エイラが外国で過ごす初めての夜は、そうして静かに幕を降ろした。

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