天を穿つまでの邂逅



「人は死んだら星になるって、よく言うじゃない」


 まるで夢か現か幻想か。彼女との出会いから、一夜明けた。


 近くにあるという民宿で一泊した僕は、今日もふらりと例の崖へと足を運んでいた。昨日とは違うのは、日中に訪れたことだ。彼女にまた会えるだろうかと、絹のような淡く薄い一縷の期待もあったが、一人で考える時間が欲しかったのが一番の理由だ。


 僕の生きる場所、世界を覆う天蓋、月、そしてシャングリラ。


 あまりに多くのことが、昨日はあった。果たして僕が求めているものは何なのだろう。そして彼女はこうも言っていた、『見つからないのなら、シャングリラで待っている』、と。それは、彼女の後を追えということなのだろうか。


 昨日とは打って変わり、今日は晴天、雲一つない。青い絵の具をぶちまけたような空に、場違いなほど輝いている太陽だけが、そこにはあった。


 深夜では見えなかったものが、それこそ岩肌の一枚も草木の脈も、全てが確認できる。あれほど煩かった波の音も、今日はどこか心地よい。昨日と同じ場所だとはとても思えなかった。呆れかえるくらいの青空を見ていると、世界が天蓋に覆われているだなんて考えには一切至らない。


 だが、日が落ち、世界が暗闇に包まれた折、背後から聞こえたハープのように澄んだ声が、僕に天蓋と月の話を蘇らせた。


「あれ、正確には違うと思うのよね」


 彼女はそう言いながら、地面で胡坐をかいていた僕の横に腰かける。スカートを抑えて座り込む所作に女性らしらと気品さを感じ、しばし魅入ってしまう。


「星も月と同じ、天蓋に空いた極小の穴ね」

「星も」


 カラカラに乾ききった口をようやく開けたかと思えば、できたのは彼女の言葉を復唱することだけだった。


「そう、同じ。死んで天蓋の向こう――シャングリラに行った人はきっと、天蓋に小さな穴を空けてまだ生きている人を見守っているのよ。それが時代を経て語り継がれて、『死んだらお星さまになる』なんて話になったのね、きっと」


 彼女のシャングリラに関する持論を知らない人間からすれば、突拍子もない電波的な話と捉えられること請け合いだ。だが先日、彼女の持論に共感を得てしまった僕からすると、妙に合点のいく話であった。


 死んだ人が星になるのではない。死んだ人が天蓋に空けた穴こそ、星なのだ。この世界とシャングリラを隔てる巨大な天蓋を穿つ、亡者の思い。なるほど、こっちの方が論理的かつ幻想的ではないか、そう思う。


「素敵な持論だね」

「あら、光栄」


 僕がそう言うと、彼女は顔をくしゃっとさせて上品に微笑む。細い目と唇をした彼女が笑うと、その顔にはもともと何もなかったのではないかと錯覚してしまう。彼女という存在そのものが一つの芸術作品のように思えてくるから、なんとも不思議で魅力的な人だ。


「ねえ、君は――」


 名前なんと言うんだ、もうすぐ死ぬというのは本当か、死に場所はここでいいのか、シャングリラには行けるのか。聞きたいことが山ほどあり、言葉の続きが出てこない。首をかしげて静かに佇む彼女を見て、呼吸の仕方さえ忘れた僕がようやく言えたのは――


「明日も、来るかい」


 また彼女に会いたい一心で出た言葉、それだけだった。

 彼女にとってそれは意外な言葉だったのだろうか、切り口のようなその細い目を真ん丸に見開いてしばし僕を見つめていたが、やがて再び優しく細めた。


「ええ、死ぬまではね」


 その言葉は僕にとって非常に嬉しく、異常なまでに胸を締め付けた。

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