第27話 奇妙なメイド

 正に体を動かそうと、力を入れようとしたその瞬間、カイの斜め後ろに突然風が吹いた。

 なぜ部屋の中で風が・・・そう脳裏をかすめた時、カイは地面に前のめりに倒れていた。


 それが、ようやく人の仕業だと気付いたのは、背中に痛みを感じた時だった。

 誰かに後ろから、のしかかられて、両手を押さえつけられているのだ。

 「うぐぅ・・」と情けないうめき声を上げて、なんとか首を斜め後ろに回すと、カイは思わず自分の目を疑った。


 女だ。さきほどこの部屋まで付き添っていた召使いの女だ。

 信じられないことに、カイの長身をすさまじい力で、押さえつけているのは、ひとまわり以上、小さいこの若い女だったのだ。


 相手が少女だとわかり、カイは、再びありったけの力を全身に入れるが、まるで動くことができない。

 ちょっと小突けば、吹っ飛びそうなほど華奢な体の少女のどこにこれほどの力があるのか。


「タリさん。ありがとうございます。彼はタリさんのカンに触ったのかな?」


「・・・影人様。ご存知だったのでしょう。この男が刺客だったことは。それなのに、わざわざこんな芝居を・・・私を試したのですか?」

 

 少女は、心外だとばかりに、主人を不機嫌そうにジッとにらみつける。

 そんな少女の視線に男は、バツの悪そうな顔をして、苦笑いを浮かべる。


「誤解だよ。試したかったのは、タリさんではなくて、カイさんの方だよ。タリさんの能力の素晴らしさはもう十分わかっています。」


「・・・なら、よいのですが・・・それで・・・この愚かな男はどうされます?」


 少女は、主人に褒められたのが、よほど嬉しかったのか、思わず顔をほころばせる。だが、その視線をカイに向けた時、その笑顔は一変する。

 

 まるで路地に巣食うネズミを見るような冷たい表情をしている。その目には、一片の哀れみもなく、主人の命令があれば、即座にカイを排除するという明確な殺意が込められていた。

 

 カイは、少女に睨まれたその瞬間、情けないことに心底震え上がってしまった。脳裏に浮かんだのは、強烈な「死」のイメージだ。


 戦場でも、死を意識したことは何度なくある。だが、今この瞬間ほど、死ぬ可能性が高いと心がけたたましく騒ぐのは初めてだった。


「タリさん・・・そろそろカイさんを離してくれませんか?このままでは、会話もまともにできません。」


 男は、この状況に似つかわしくないほど、穏やかな笑みを浮かべながら、少女に視線を向ける。


「・・・承知しました。ただ、わたしは、万が一に備えて、この場に留まらせていただきます。」

 少女は、カイから、ナイフを取り上げて、背中から離れる。


 助かった・・・のか・・・


 ようやく自由になった体を引きずり、心の底から安堵して、ヨロヨロと立ち上がる。

 その時・・・少女の方をチラリと向いた時、カイはまた、死の奈落に叩き落されることになる。

 もう十分だ・・勘弁してくれ・・・あんたの主人には手を出さない・・それでいいだろう。


 カイは心の中で、少女に懇願していた。

 なまじカイのように、経験を積んでいる場合、わずかな攻防で彼我の能力の差を正確に把握できてしまう。

 この少女には、どう足掻いても勝てはしない。戦っても死ぬだけだ。だから、自ら戦いを仕掛けることなどしない。


 そうカイは既に結論を下している。

 だが、少女はダメ押しとばかりに、凶悪な殺意を込めた視線をこちらに向けて、恐怖を・・死を・・・再度カイの心に植え付けてきた。


 カイの心はこのわずかな間に、嵐に巻き込まれた小舟のように、上下に激しく揺れ動かされた。

 生への希望と死の絶望というとてつもない振れ幅にかき回されてしまい、すっかり精神がまいってしまっていた。

 激しいめまいがしながらも、なんとかその場に踏みとどまり、かすれた目で、ニロの方を見る。


 ニロは、少女、男、カイ、三者のやり取りを呆然と見ている。

 いつもの老獪な賢者の威厳は吹き飛び、呆けた老人のように口を半開きにして、呆気にとられている。


「さて・・・前置きはこれくらいでいいでしょう。ニロさん。そして、カイさん。本題に入りましょう。単刀直入に言います。お二人とも、この街のために、働いてくれませんか?」

 まるで、聖職者が、巡礼者をねぎらうように、男は、実に爽やかにそう言い放った。


 いったい何が起こったのか。

 ニロは目の間で起きた出来事にまだ頭が追いついていなかった。

 カイが地面に倒れて、召使いの女が突如として目の前に現れた。


 そして、耳に入ってきた言葉から判断するに、カイはどうやらこの場で、暗殺まがいの行為をしでかそうとしていたらしい。なぜ・・・という言葉が頭に渦巻いている。


 そもそも、この男は、いったい何者なのだ。

 口ぶりが察するに、この若い男こそが、この街の・・ニザンの指導者だというのか。


 この若さで、いったいどうやって・・・

 いやそれよりも、なぜ私のことを知っているのだ。

 それに、この街で働くだと・・何が目的だ。


 ニロは、状況を整理するのに、さっきから必死になって、頭を働かせている。

 だが、まるで濃霧の中の深い森林を彷徨い歩ているように、男の思惑はようとして見えてこない。


「ニロさん。そんなに難しい顔をしないでください。少し説明が不足していましたね。既にお気づきでしょうが、わたしが、現在この街を治めているものです。

 本来なら最初から正体を明かすべきなのですが、どうにもトラブルが多くて・・・ですので、最近ではもっぱらこの館の奉公人ということで通しているのですよ。

この外見だと皆様もたいていは信じてくれますからね。」


 男がやれやれと苦笑した表情を浮かべると、召使いの女が、カイを睨む。

 カイは先ほどから、血の気の引いた青い顔をして、うつむいている。

 どんな状況でも涼しい顔を浮かべて、飄々としている屈強な傭兵が、少女に完全に気圧されている。


 その有様は、現に目の前にしても、にわかには信じられなかった。

 ニロは、当惑した顔をしながら、ただ男の話しを黙って聞くのがやっとだった。


「さて・・・単純な話しです。わたしはニロさん、あなたの能力を非常に評価しているのです。

 あなたは知恵を持ちながらも、既存の枠組みから逸れた面白い発想ができる。

 そういうことができる人間は稀です。そして、わたしは何よりも人の知恵を評価する。どうですか?ニロさん。この街であなたの能力を活かしてはくれませんか?」


 ニロは戸惑っていた。男は世辞を混じえてはいるが、おおむね嘘を言っているようには思えない。

 それに・・・こちらに対する悪意も感じなかった。

 ニロには、行政官の経験を通じて、天使のような顔をしながら、腹の底では悪魔のごとき企てをしているような輩と長年渡り合ってきた経験がある。


 だから、そういう気配には人一番敏感なのだ。

 つまり、この男は、いやこの発展著しい街の指導者は、この私の能力を正当に評価してくれているという訳だ。


 眼前の男に、公然と嘘をつかれて、あげくに護衛の傭兵も容赦なく叩きのめされたにも関わらず、奇妙なことだが、ニロは内心喜びを感じていた。

 ニロの行政官としての経験は、人の機微を察知する能力だけでなく、日々接する指導者たちの資質を見抜く能力も育んだ。


 そして、ニロの心は、目の前の男の器を、これまで会ったどの指導者たち〜王族、貴族、聖職者、少数の成り上がり者〜よりも優れているのではないかと告げている。

 少なくとも、今仕えているケナスの若い貴族とは比べ物にならない。

 力がある人間に、自分の力が認められるということは、何よりも満足感を覚えるものだ。


 たとえ、その人物の性格が嫌いであっても、力があればその者に認められたいと願う。

 ましてや自分が好む人間であれば、その欲求はなお強まる。

 ニロは、この不可思議な男のことを気に入っていた。


 単純な力ではなく知恵を好む人間は、とりわけ指導者の中では珍しい。

 知恵を武器とするニロとしては、そうした道理がわかる者の元に仕えたいと思うのは当然だろう。

 

 この時点で、既にニロの心は半ば決まっていた。

 生まれ育った街〜ケナス〜に対して、多少の忠誠心はあるが、それは王国の騎士たち同じ程度〜より条件がよい君主がいたら、そちらに乗り換える〜のものだ。

 それに、ニロには家族がいない。数年前の流行り病で、妻も子供も全員神の下に召された。

 

 だが、老人というものは、厄介なもので、内心思っていることを素直には吐露できない性質がある。

 聖職者たちは、酒を飲み、豪華な料理を食べる際に、そのことを正当化するために、聞いているだけでうんざりしてくるような複雑な論理を駆使して、神の法と自己の欲求との辻褄を強引にあわせる。

 それと同じように、ニロも大義名分を必要としていた。


「そのような言葉・・・わたしのような知恵しかない老体にとってはありがたいことです。ですが・・・私には仕えている主人がいる。おいそれと裏切る訳にはいかない。」


 まるで、祭りの際に行われる安っぽい芝居で、大道芸人が大声で喚き散らす棒読みのセリフのようだ・・・

 ニロは、口上を並べ立てながら、自身の言葉の薄っぺらさに思わず苦笑いを浮かべてしまうとこだった。


 当然、男にだって、ニロの態度が上っ面だけだと十二分にわかっているはずだ。

 男はやれやれとため息をつきながら、


「ええ・・それはそうでしょう。ただ・・・あまりあからさまなことは言いたくないのですが、あなたがこの場にいる時点で、既に主人はあなたのことを裏切っています。わたしからすれば、随分と安い金と引き換えに、主人はあなたを売ったのです。それでも、忠誠を尽くすと?」

 と、ニロが望む言い訳を提供する。


 それはそうだろう。先程の話しの中で、そんなことだろうと概ね察していた。

 だから、このやり取りは、単なる儀式なのだ。

 ニロはわざともったいつけて、間を開けて、


「・・・・今の主人に必要とされなくなった以上は、別の主人が必要になりますな。」

 と、芝居の続きをする。


「納得いただいて幸いです。ところで、カイさんはどうですか?」

 男は、カイの方に目をやる。


「・・・まさか、俺にも選択肢が与えられるとはね・・でそれは、死に方を選ばせてくれるという訳ではないんだよな」


 カイは、いつもの軽快な口調で返すが、顔が引きつっているのは明らかだった。


「ええ。もちろん。あなたのような経験豊富な傭兵は貴重ですから。各地の街の守備状況や兵力の実態をよくご存知でしょう。わたしは、単純な武威よりもそういった情報を求めているのです。」


 男は、余裕たっぷりにニッコリと微笑する。


「俺みたいな傭兵が虜囚の身になったにもかかわらず、処刑されずに、生きることができる。しかも、新しい食い扶持も貰える。ケナスの守護聖人だって、ここまでのことをしてくれないだろうさ。答えなんて聞くまでもないだろう。」


 カイは、大きなため息をついて、ようやく顔に僅かながらの笑みを浮かべている。

 そして、後ろの方をおそるおそる振り返りながら、


「ただ・・・一つ頼みがある。あんたの忠実な部下にこれ以上俺を睨むのを辞めてくれるように言ってくれないか。さっきから生きた心地がしないんだ・・」

 と、顔をこわばらせている。


「・・・・ということだそうですよ。タリさん。いい加減許してやってください。カイさんにその気がないのは、さっきからもう十分わかっているでしょう。」


 男は、苦笑しながら、少女の方を見る。


「・・・こういう輩には、とことん恐怖を味わさせた方が今後のためになるんです。傭兵というのは、物分りが悪い奴らばかりですから。今までもそれでうまくいってるではないですか」

 と、再びカイの方を睨むと、途端にカイの顔はみるみる青く染まっていく。


「まあ・・・それはそうなんですけど、カイさんは、傭兵の割には大分頭が柔軟だと思うので、そこまでしなくても大丈夫でしょう。」

「・・・わかりました。」


 少女は、ふっとカイの後ろから離れて、主人の横に移動する。カイは、体をよろめかせて、前のテーブルに手をついてしまう。

 ニロの目には相変わらず、男の隣にいる少女は、ただの小娘にしか見えない。


 目立った特徴といえば、外見が街娘の身分の割には随分と綺麗なことくらいだ。

 もし、他の街で、領主の隣にこのような少女を見かけたならば、なるほどこの街の領主は、女好きなのだなとせいぜい思うくらいだろう。


 だからこそ・・・思わず体が震えるくらいに、不気味なのだ。


 外見はただの少女にも関わらず、カイのような傭兵を怯えさせるほどの力があり、現にカイは、あっけなく少女に組み伏せられていた。

 理由がわからないことほど人を畏怖させるものはない。


 そして、その少女は、男に忠実に付き従っている。

 この少女のような存在は、一人だけなのか。それとも・・・

 ニロは、まるで悪魔に魅入れたかのように、この少女から目を話すことができなかった。

 そのあからさまな不審な視線に気付いたのか、「みな・・最初は、そんな目でタリさんを見るんですよ。」と、男は意味ありげに微笑する。


「これは・・失礼を・・」

 と、ニロは、少女から慌てて視線を逸らす。


「まあ・・・タリさんは特別ですから、驚くのも無理からぬことです。ただ・・・これから一緒に働くことになるのですから、互いになるべく理解を深めていた方がよいでしょう。」

 男はそう言うと、一呼吸置いて、椅子から立ち上がり、

「この館を案内がてら、少しこの街のことを含めて色々とご説明させていただきます。ニロさんのような方であれば、必要な知識を与えられれば、疑念もすぐに晴れるでしょう。」

 と、扉の方に手をやる。


 村の農民どもが話している異教の魔術や迷信など本気にしたことなどなかった。

 いや、内心では、教会が繰り返す話す聖者が為した奇跡の逸話すら、ニロは信じていなかった。

 もちろん、そのような、背教心を表に出すほど、愚かではない。

 

 知識がない者ほど、そうした迷信の類に騙されるものだ。

 自分のような賢者は、そんなエセ魔術に騙されるほど、愚かではない。

 だが、この少女を見ていると、そうした魔女の類の話しを思わず信じたくなってしまう。


 現に男が案内するその手の向こう側には、何やら神秘、魔術めいた何かが隠されているような・・・そんな不可思議な気分に陥ってしまう。

 ニロは、そんな心を振り払うかのように、自分に言い聞かせる。

人は理解できぬ現象に遭遇した時、魔術や奇跡を持ち出して、単純化し、理解した気になる。


 私は、そんな愚かではない。

 しっかりと、この眼で、見極めるのだ。

 この男の正体を。先程の直感のとおり、本当に仕えるべき名君なのかを・・・

 ニロは、老いた足腰に力を入れて、ゆっくりと立ち上がる。

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