第26話 奇妙な少年

 その館は、確かに広々とした豪華なものではあったが、この街一番の権力者が住む割には、周りの館と大差がないように思えた。

 役人は、庭仕事をしている召使いの女を呼んで、来訪を告げる。


 てっきり役人が、最後まで案内を務めるかと思っていたが、「私はこれで失礼します。後はここにいる方々がご案内をしますので・・。」とあっさりといなくなってしまう。

 役人のこの態度にはどうにもきな臭いものを感じた。まるで、一刻も早くこの場から立ち去りたいといった様子だったからだ。


 まさか、ここまできて、闇討ちなんてことはないだろうな。


 交渉にやってきた使節に危害を加えてくる街もあるにはある。だが、ケナスは今のところニザンにとってはまるで利害関係がない都市だ。

 それに、そういった使節を害する行為は、しょっちゅう戦闘行為を繰り返している都市の間でも、ご法度な行為とされている。


 つまり、いきなり襲われる可能性は限りなく少ない。もちろん、遠く離れた街に行く旅路で、使節が行方不明になることの方が多い。その原因が、事故か故意によるものなどかは調べようがないからだ。


 油断はしない、しかし、必要以上に恐れなくてもいいだろう。

 カイの直感はそう告げている。今のところ、違和感を覚えたのは、さっきの役人の態度だけだ。

 そういう不穏な気配を感じる能力には少しだけ自信がある。それだけ、場数を踏んできた。そして、こうしてまだ生きている。


「どうぞ。こちらです。」


 召使いの女が、うやうやしく頭を下げて、館の中へと案内をする。中は、そこらの貴族連中の館と対して代わり映えはしなかった。

 唯一気になることがあるとすれば・・・それは館にいる人間の種類だ。


 奉公人の若い男や女はいるのだが、護衛の兵は見る限りいない。

やけに警備が甘いな。油断しているのか、それともこの街では自分に逆らう者などいないと過信しているのか・・・

 襲われる可能性を考えて、慎重に身構えている自分がバカバカしくなってしまう。


 この街の指導者もしょせんはそこらにいる馬鹿な貴族の類なのかもしれない。

 あいつらは、自分の高貴な命は神に守られているから、簡単には死なない・・と、思い込んでいる節がある。だから、いつまでも、英雄譚に憧れるガキのように、チンケなメンツしか考えていないような危なっかしい戦闘を繰り返す。


 実際、そんな馬鹿でも、貴族なら、人質にすれば、金になるから、故意に殺されることは滅多にない。

 とはいえ、人は本当にあっけなく死ぬ。単なるかすり傷が原因で、何度も死線を生き延びてきた強兵が、数日後には、あっけなく死ぬ姿を何度も見てきた。

 はたまた視察に来ていた王族が、兵士連中に流行っていた病に運悪くかかって、そのまま天に召されるなんてこともある。


 どんな猛者も、高貴な血筋の者も、死は平等に容赦なくやってくる。それが、カイが戦場で学んだことだ。

 だから、そんな公平中立な死神から逃れるべく、カイは自然と慎重な性格になった。そんな、カイからすれば、ここの家主のような貴族連中は、随分と不用心で高慢に思える。


 食い詰めた輩が、強盗として押し入ってくる、あるいは・・・使節の中に、刺客が紛れている・・なんてこともあるのにな・・・


 十数人が食事を取れるほどの広々とした部屋に通される。中は、十脚ほどの椅子に大きなテーブルが中央に配置されたダイニングルームといったところだ。壁沿いに並べられた棚の上には高価そうな香辛料が入れられた瓶や調度品が数多く並んでいる。


「では、しばしお待ちください。」


 召使いの女がいなくなると、ニロと二人きりになる。


「さてと・・・ここの街の指導者連中はケナスの奴らよりはマシですかね?」

 と、壁にもたれかかり、おどけた口調で話す。


「・・・この街は、色々とおかしなところがある。お前は、無駄話などせずに、しっかりと周囲に気を配っていればいい。」

 カイの軽口を無視して、ニロは、顔色ひとつ変えずに、厳しい顔をしたままだ。


「・・・言われなくともわかってますよ。それが仕事なんですから。まあ・・大丈夫ですよ。確かに奇妙な街だが、少なくともこの館の奴らの態度には怪しい気配はない。いきなり襲われることはないでしょう。」


「ふん・・だといいが。まあ・・・お前のその勘とやらはそこそこあたるからな。」


 ニロは、そういいながら、椅子に腰掛けて、ふうと一息つく。

 しばらく待機していると、こちらに近づいてくる足音が聞こえてくる。

 そして、ドアが開き、先程の召使いの女が一人の男・・・随分と若い男・・・と共に部屋に戻ってくる。


「すいません。主人はいま用事で外に出ておりまして、大変失礼ではありますが、戻ってくるまで、わたしが、皆様方のもてなしをさせて頂きます。」


 カイは、その若い男をざっと観察する。身なりと口調、それに肌の色艶〜毎日欠かさず食べることができないとこうはならない〜からすると、それなりの身分のものだろう。

 この家に奉公として来ている近隣の領主の子息といったところだろうか。

 まだ、ガキと言ってもよいくらいの幼い顔立ちをしている。すっかり拍子抜けしていると、ニロも暗に見下した顔をしている。

 

 貴族のガキは、ニロの侮蔑の表情に気づいていないのか、遠い街からやってきた使節に興味津々といった素振りで、目を輝かせている。


「お二人は、ケナスからいらっしゃったのですよね?壮麗な建物が立ち並ぶ光景は一度見たら忘れられないほどだとか。そんな街の使節の方とお話できるなんて、光栄です。」


 演技でやっているなら、この坊主は将来たいした領主になるだろう。しかし、とてもそうは見えない。

 本当に心の底からただ他の街のことを知りたいだけだろう。

 領主の子息とはいえ、自分の小さな領内の外に出ることなど滅多にない。

 だから、外からの旅人の話はたいていどこでも歓迎される。


「うむ・・その・・なんだ。きみはこの街に来て、もう長いのか?」


 ニロが子供、とりわけ身分の高い子供と話すところなど、滅多に見られるものではない。

 力も知識もないのに、貴族のガキはたいてい、カイやニロのような下の身分の者に対しては、高慢な態度を取るものだ。

 

 ニロがどこまで、そんな態度に我慢ができるか見ものだ。カイは、内心吹き出しそうになりながら、ニロのぎこちない対応を見ていた。


「そうですね。この家で奉公するようになってから、もう数年ほどになります。ですから、この街のことでしたら、一通りのことは皆様にお話できますよ。」


 それにしても・・・奇妙なガキだ。

 この流暢なアクセント・・・ここまで訛りがなく、古代帝国語を完璧に話すには、幼少の時から教育を受けていないとまず不可能だ。

 つまり、このガキは、相当上等な家柄だろう。


 それにも関わらず、ニロやカイに対して、蔑みの表情を全く見せない。

 ニロの話す強い訛りのあるアクセントで、その属する身分はすぐにわかったはずだ。

 その時点で、自分と異なる者・・劣った者と判断して、軽蔑の態度を取るはずだ。


 この地方でも、とりわけ力を持った都市、ケナスから来た使節なのだから、表面上態度を取り繕っておいた方がよい・・・そういう計算は、そこそこ頭が働く輩ならばするだろう。


 だが、実際のところ、大の大人の貴族でも、それすらできない輩が多いことを、カイは、経験上よく知っている。

 まあ・・それでも、ニロに対してだけ、丁重な態度を取るなら、まだわかる。

 だが、このガキは俺を見た時も、表情を変えなかった。


 ニロも、顎髭を触りながら、目をわずかに広げる。どうやら、この偏屈な爺さんもこのガキに興味を抱いたようだ。


「ふむ・・そうか。では・・・いくつか聞きたいことがある。この街を今治めている方々、君の主人もその一人になるのかな・・どういう人たちが担っているのかね?」


 少年は、少し首をかしげて、考えた後、

「う〜ん。まず、方々というのは正しくありません。この街は今は、私の主人が一人で治めています。」

 と、柔和な笑みを浮かべながら、話す。


「ほう・・一人でかね。それは凄い。これだけの街を一人で治めることができるとは。君の主人は相当高貴な方なのだろうね。だが、実際に、この街を動かしている人たちはまた別にいるのではないのかね?」


 少年は、少し皮肉な笑みを含んで、

「いえ・・・この街を治めているのは、名目的、実質的にも私の主人ただ一人だけです。それに、主人は元は一介の傭兵だと聞いております。」

 と、ちらりとこちらを見る。


 これには、カイも思わず反応してしまい、わずかに姿勢が前のめりになる。

 傭兵団長が、街のゴタゴタに介入して、支配者に成り上がったという話しを聞いたことはあるが、この街もその類なのか。

 しかし、それにしては・・・


「なるほど・・・君の主人は力で街を治めているのか。だが、それだけでは長続きしないはずだ。ここまでの繁栄を謳歌するには別の力が必要になるはずだ。いったいどういう工夫をしたのかね。」


 ニロの言葉が、よほどおかしかったのか、少年は可笑しそうに笑う。

「申し訳ありません。笑ってしまって・・いえ、工夫も何もあなたの知恵を借りただけですよ。ニロさん。」


「なんだと・・・」


 ニロが唖然とした表情を浮かべる。

 言葉を取り繕う余裕もないほど動揺したらしい。ニロは、古代帝国語ではなく、庶民たちが使う言語を漏らしていた。


「そんなに驚くことではないでしょう?あなたは自分の統治理論を書物にされているではないですか。あれは、素晴らしいものです。橋や下水、たしかにそういったものに金をかける方が、長期的には街の利益になる。まさにこの街にもようやくその効果がでてきたところなんですよ。」


 少年は・・・いや男は、相変わらずにこやかな顔をしている。


「失礼な言葉を・・・申し訳ない。いささか驚いてしまったもので・・まさか、他の街の人間が私の書物を読んでいるとは思いもしなかったものでね。しかし・・あの本はせいぜい数冊しか写本していなかったはずだが・・」


「ああ・・確かに。入手するのが少し大変でした。それにしても・・・もったいないことです。あれほどの叡智が詰まった書物が、わずか数冊しかないとは。人が経験し、積み重ねてきた叡智こそ、何よりも重要なのに。我々は叡智の結晶であるそうした書物を集めることには、随分と力を入れているのです。・・・だからこそ、いまこうしてあなたと話すことできている訳です。」


 ニロはこれまで見たことがないほど、顔を大きく歪める。


「・・・どういうことです。あなたは・・いや・・・まさか、この使節の派遣も・・」

 種明かしをする道化のように、男は、両手を広げて、微笑する。


「はい。実は、ニロさん、あなたとこうして話をしたくて、色々と手配をしました。まあ・・思ったよりは簡単でした。あなたが仕える街の方々はなんというか・・・非常に人間的で、助かりました。」


 このガキは・・いやこの男はいったい何なんだ・・・

 カイの本能は、目の前の男に対して、最大級の脅威を感じている。

 間違いない。こいつだ。


 こいつが、この奇妙な街を治めている張本人だ。

 つまり、カイの目的の人物だ。

 傭兵は勝てる戦しかしない。負け戦か否かを見極める能力は極めて重要だ。


 その培ってきたカイの勘は、不穏なメッセージを自身に伝えてきている。

 大丈夫だ。この男が薄気味悪いほどに、こちらの思惑を把握していたとしても、俺は眼中には入っていない。


 俺の任務にはまるで支障はない。

 もし、俺の密命を把握していたなら、護衛も付けずに、こんな距離まで近づけるはずがない。


 いくら頭がキレようとも、最後にモノを言うのは単純な力だ。

 カイは、表情を変えずに、さも当然とばかりに驚くほど自然に懐に忍ばせた短剣に手をかけた。

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