第25話 奇妙な街

 街に入ろうとしている連中の列に並び、順番待ちをしている間、カイは周囲をぐるりと見回す。

 なるほどな・・・確かにこれを見せられれば、さしものあの傲慢な爺さんも思わずうなっちまう訳だ・・・


 門の前には、遠方からはるばる来た商人の隊列、そして、巡礼者とおぼしき質素な服装を身に着けた者たちで、ごった返している。

 これほどの人が集まってくる都市を、カイは数えるほどしか知らない。そういう大都市でも、たいてい人が集まるのは限られた期間だけだ。


 季節ごとに行われる市や、諸侯や司教、権力者たちが集まる会議や即位式、そうした祭りがある時に限られる。

 もしかしたら、ニザンもそうした祭りの最中なのかもしれない。どちらにせよ、たいした繁栄ぶりであることには間違いない。


 カイは、人々の割れんばかりの怒号や話し声がする門の前から、離れる。そして、威圧感を持ってそびえ立つ壁を見上げる。

 ここを攻める奴らはさぞかし苦労しそうだ。いや、マトモな傭兵なら、この壁を見たら、攻めたフリをするだけで、後は後退して高みの見物をするだろう。

 カイは、真新しい石壁に近づき、手で触る。そして、感心したように、口笛を鳴らす。


 なるほどねえ・・手抜き工事の見せかけって訳でもなさそうだ。


 石壁の上には、一定間隔で地上との連結塔が立ち並び、ご丁寧にそれなりの数の兵が巡回している。


 同業者か・・・それにしてもこんなご立派な壁があるのに、さらに人員もこれだけ配置しているとは、随分と豪勢だな・・


 これから一合戦するならまだしも、平時にも関わらず、これだけの兵を配置している都市は初めて見た。

 傭兵など、平時には邪魔なだけだ。武器を携えた荒くれ者たちなど、いつ野盗に鞍替えしても・・・いや元の鞘に戻っても・・・不思議ではない。そんな輩が街の中をウロウロするのは、住民の誰も歓迎しない。


・・・だが、どうもこいつらは俺たちと毛色が違いそうだ・・・


 壁の上や門の前にいる兵をチラリと見る。その統一された小綺麗な服装と雰囲気はまるで教会関係者のようにまとまりと落ち着きがある。

 こんな地味な服装、ましてや他の奴らとまるで同じ・・面白みもない格好と装備をするなんて、傭兵にできる訳がない。

 とにかく目立って、人の目を惹くことに価値があると心底信じ切っている阿呆の集まりが、俺たち傭兵だ。


 カイは、ニザンの街の兵たちを見て、言いようのない気持ち悪さを覚えてしまう。己の武力を糧にする同業者なのだから、たとえ仕える者が違えようとも、いつもなら親近感を覚えるはずだ。

 だが、こいつらは・・・なんだ。まるで教会に通っているそこらの住民と変わらない。傭兵のくせに、イヤに普通すぎる・・・

 

 しばらく目ざとく兵たちを観察していると、遠くから、ニロのがなり声が聞こえてくる。どうやら、門番と揉めているらしい。


「おい。わしは、栄誉あるケナスから来た使節だとさっきから言っているだろう。全く・・・カイのやつはどこに行ってるんだ!」


「ふう・・ったく・・あの爺さんは・・」と、ため息をついて、カイは、ニロの声がする方へ駆け寄る。

「ご老体。言葉をいくら並べても身の証にはなりゃしませんよ。それより、市から預かった証文を見せてください。」

「あ・・ああ・・それもそうだな・・」

 ニロは、ガサガサと丸められた羊皮紙を広げて、封蝋を見せる。

 門番の兵士は、その羊皮紙に書かれた文字を睨んで、少し間を開けたあと、「ちょっと待ってろ」と言い、奥へと引っんで行ってしまう。


 まあ・・そこらの一般兵が公式書簡を読めるはずもないか。俺だって、簡単な文字なら読めるが、この小難しい字で書かれた書簡の中身はまるでわからないのだから。


 しばらくして、小綺麗な外観と柔和な雰囲気を身にまとったいかにも知性の匂いが鼻につく男が出てきた。

 男は、やや慇懃無礼気味に、仰々しく頭を下げて、長ったらしい形容詞がたくさんつけた口上を述べる。


「これは、これは・・・遠路はるばるわが街にお越しいただきまして。あの偉大なケナスの街の方々をお迎えすることができるとは、大変光栄です。あなた方の街の栄光は、遠い東方の蛮族にすら広まっていると聞いております。」


 カイも、ニロの任務に付き合う傍らで、何度かこういう場面を目にするが、そのたびにどうにも背中がかゆくなる。

 どうして、使節というのはこうも、形式張った見え見えの世辞を述べるのがすきなのか。


 カイのように、暴力という単純明快なものを糧にして生きている者からすると、わかりにくい言葉を並べ立てて他人と相対する使節の仕事というのはどうにも理解の範疇外なのだ。

 戦場では、言葉は悲鳴、歓声、怒りとしてしか使われない。どれも、そう・・死ぬ時だって・・せいぜい一声で済む。無論、指揮官はそういう訳にもいかないが、それでも、馬鹿でもわかるほど単純明快な言葉で命令を出す。


 ニロは、久しぶりに自分と同じ種類の人間に出会えたことがえらく嬉しいらしい。

 一見すると、顔色を変えずに、ただ頷いているだけだが、カイは、その目の中に満足感が宿っていることを見逃さなかった。そして、男が、カイを見る目に蔑視の色が宿っていることも・・・


 まあ、それはそうだろう。


 傭兵を見て、嫌悪感を抱かない奴がいたら、そっちの方がよほど変だ。

 ニロだって、カイのことを軽蔑している。ただ、ニロは、そのことを本人を目の前にして、面と向かって言う。

 そこが、カイは気に入っている。こういう小役人の類はたいていそういうことは腹に秘めたがるものだ。

 

 だが、隠せていると思っているのは、本人だけで、そうした感情は、娼館の前を歩いている聖職者の頭の中並に、丸見えだ。

 慇懃無礼な役人は、ひとしきり挨拶をした後、ニロたちを館へと案内すると申し出た。どうやら、そこにこの街の実質的な指導者連中がいるらしい。


 街を歩いている間も、男は、飽きもせずに、中身のない儀礼的な会話をニロと滔々と話をしていた。

 カイは、彼らの退屈な会話は無視して、ニザンの街中を行き交う人々に目をやる。


 都市の特徴、特にその先行きを占うのに、一番役立つのは、庶民の生活ぶりを見ることだ。

 指導者連中は、例外なく御大層な物語を使節の人間に喜々として語るが、そんな話は、教会の語る説教と同じくらい現実とはかけ離れている。


 聖職者の連中だけでも、自分たちが人々に話し、聞かせている説教の中身を守ってさえいれば、この世は幾分か、あの世〜楽園〜に近づくだろう。

 もちろん、そうなれば、カイは食いっぱぐれてしまうが、その心配は当面無用だろう。


 貴族、王、司教たちは、確かに金、武力、権威、有形無形の力を持っている。

 しかし、そんな権力者連中の衣食住、欲望を支えているのは人口の大多数を占める庶民であり、彼らの足腰が弱っていれば、当然頭の方もいつかは腐ってしまう。

 さて、この街はどうかと、通りを歩く人々の様子を持ち前の観察眼でじっくりと見る。


・・・なるほどね・・奇跡の街か・・・


 人々は誰もがしかめっ面を浮かべている。

 だが、それは、どの街だって、変わらない。カイが、注目したのは、彼らの行動と、目つきだった。


 通りを歩く住民を、もう何十人と見たが、いるはずの奴らがいない。数日間に渡って、何にも食べずに、フラフラとした足取りで、目を血走らせている奴らが。

 どの街だって・・・そう栄光あるケナスにだって、そんな食い詰めた輩が、常時2割くらいはいるはずだ。


 動けるやつはまだマシ、いやある意味では厄介だ。一時の空腹を満たすためには、何でもしかねない奴らなのだから。

当然、そこらの露店から、食べ物を盗み出すなんてことをするし、そうした店主と盗人の喧騒はどの街にもお馴染みの光景だ。


 そういう奴らも活きがいいのはせいぜい数週間、もって数ヶ月だ。大半の行き着く先は、断首台か、もしくは地べたに倒れ込むか、どちらかだ。

 稀に・・神様の慈悲に恵まれないと、あの世に、楽園に行けずに、数年に渡って生き長らえて、傭兵になるなんてこともあるが・・


 だが、この街には、通りの隅で、うずくまって、座り込んでいたり、倒れている輩がまるで目につかない。

 これには、カイも思わずニロのような唸り声を上げてしまう。

 いったいどういうことだ・・・信仰心篤い輩が、そこらの食い詰め者の首を一人ひとりはねて回っているとでもいうのか・・・


 稀にそういう奇特な奴もいるにはいるが、一人でやれることには限度がある。

 これだけの規模の街に巣食っている貧乏人どもの始末を付けるのには、集団の力が必要だ。


 得体のしれない薄気味悪さを感じて、カイはどうにも体がざわつく。隣から、「ううむ・・」と、ニロの大きな唸り声が聞こえてきた。

 チラリと、ニロの方を見ると、顎髭を触っている。

 どうやら、爺さんも気付いているらしいな。


 ニロの出自について、詳しく聞いたことはないが、そんなに上等な血筋ではないことはわかっている。

 日々何気なく出る癖、貴族や聖職者、上の身分の奴らを見た時の態度、そういうもので、だいたいそいつの生まれはわかる。


 いくら年月を経ても、変えられないものはある。もし、爺さんが、もっと上等な身分の出なら、この街の異様さには気づかなかっただろう。

 無関係なことには、興味を持てないのが人間だ。上の奴らにとっては、街にいる貧乏人など、まるで関係のない存在だから、目に入るはずがない。


 今の地位がなんであれ、幼い時分に地べたを這いずり回り、あの強烈な飢餓感を感じた者は、あの感覚を生涯忘れることはできない。

 きっと爺さんもこちら側・・地べたに近い人間なのだろう。


 注意深く路地を観察しながら、大通りを直進すると、ようやく「奇跡の街」らしい光景が目に入ってきた。

 大聖堂だ。これだけ大きければ、遠くからでも、目につくはずだが、カイはあえてずっと視界から外していた。


 だが、これだけ近づけば、さすがに嫌でも視界に割り込んでくる。さっき感じた気持ち悪さもようやく治まってきたのに、また心が粟立ってくる。

 カイは、はっきり言って教会のことが嫌いだった。いや、教会というよりは、彼らが教え説く教義の内容がどうにも肌に合わないのだ。


 もちろん、彼らが唱える小難しい神学については、当然よくわかっていない。だが、カイなりに理解した考えでは、ようは彼らはこう言っているのだ。


「この世は辛く、厳しいもの。だが、その現世での試練もすぐ終わる。その後は、永遠の楽園が待っている。だから、一時に過ぎない現世での生に拘るな。神の言葉に従い慎ましく生きれば、楽園へ迎え入れられる。反対に神に逆らえば、永遠の責め苦を味合うことになる」と・・


 この世の中が掃き溜めだというのは全面的に同意できる。

 だが、「現世での生にしがみつくな」というのはどうにも納得できない。

 カイは、傭兵らしからず、死を酷く恐れている。いや、他の奴らだって、「栄誉ある闘いができれば、いつ死んでもいい」なんて、言っているが、そんなのは口先だけだ。


 本当に死ぬことを恐れていない傭兵なら、たいてい初戦で、あっという間にあの世逝きだ。

 カイのように何度か戦場で生き延びてきた傭兵なら、表面上はどう取り繕うと、ドロ水をすすりながら、生きるためにはなんでもしてきたような奴らのばかりのはずだ。


 だから、「この世の生に執着することは、神の意思に反する」かのように言う聖職者連中の言動には胸糞が悪くなるのだ。

 カイは、神の存在を信じているし、楽園だってあると思っている。

 それが、どんなものかはボンヤリとしか想像できないが、この世よりはマシなところだということはわかっている。


 教会の連中の言い草が正しくて、神の意思を本当に代弁しているのなら、「死を恐れて、金のために、多くの人間を殺してきた」カイは、煉獄行きになってしまう。

 その事実は、カイの胸中を激しく動揺させる。どんな人間だって、あの世での神の救済を得て、楽園へ行くことを切望している。


 強欲な商人連中だって、後先短いとわかれば人が変わったように、教会に寄付をする。

 領土拡大のために何度も侵略を繰り返していた戦争好きの王や諸侯ですら、突然、所領をほっぽりだして、聖地巡礼に行く輩もいる。

 みな考えることは同じだ。それは、傭兵だろうと変わらない。


 もちろんカイは、聖職者連中の言っていることを全て信じている訳ではない。だが、同時に完全に否定することもまたできない。

 数百年間の歴史を持ち、各地にこの街のような荘厳な大聖堂を構えて、神の言葉を記した聖典を所有し、その内容を唯一理解している者たち、そんな彼らの言うことを頭から否定することなどどんな賢者だってできやしない。


 聖職者を毛嫌いする一方で、彼らに認められることで心の平穏を得たいという矛盾する気持ちがある。そこらの貴族の跡取り息子に入れあげている平民の若い娘のような軟弱な考えに、我ながら嫌になってしまう。


 カイは、大聖堂を見上げて、にらみつける。そんなカイの気持ちなどおかまいなしに大聖堂は、何食わぬ顔で実に威風堂々と建っている。

 ところが、前を歩いていた役人の男はそんな大聖堂には見向きもせずに、通り過ぎて行ってしまう。


 思わず、「えっ・・」と馬鹿みたいな声を上げてしまうところだった。てっきり、この大聖堂の中に案内されるものかとばかりに思っていたのだ。

 普通、これだけ豪奢な聖堂があれば、街の権威を見せつけたい役人たちは、こういった建物の中を案内して、これ見よがしに使節に対して自慢話を始めるものだ。


 しかし、役人の男は大聖堂にはたいして畏敬の念を持っていないようだ。そして、よく見てみると、大聖堂の入り口は閉ざされていて、周囲は閑散としていた。

 ずいぶんと「奇跡の街」に似つかわしくない光景だ。街の前にあれだけいた巡礼者の目的はこの大聖堂ではなかったのだろうか。


 ニロもカイと同じ疑問を抱いて、怪訝な顔をしたのだろう。役人の男は、ニロの方を向いて、「ああ・・この大聖堂は数年前の騒乱でだいぶ中が荒らされてしまいまして・・・未だに完全には修復できていないんですよ。」と、抑揚のない声で話す。


 触れられたくない話題・・・そんな風にカイは感じた。この街では、「奇跡の街」という割には、世俗の権力者と教会関係者の仲が悪いのだろうか。

 大聖堂を横切り、大通りから伸びる道へと役人の男は歩いていく。しばらくすると、あたりはだいぶ静かになり、立ち並ぶ家々も、だいぶ色合いが異なっていた。


 一つ一つの区画が広く、それに合わせて家の作りもだいぶ開放的だ。大通りの商店のように、ぎゅうぎゅうに密集して、追いやられるように上に伸びているのとは正反対に、横に広く、高さは低い。


 おそらく豪商や貴族たちが済む区域なのだろう。人が密集していて、土地が不足しがちの都市で、これだけの敷地を確保できること自体、これらの家主の権威を示している。


 役人は、「ここです。さあどうぞ。」と、そんな館の一つを指し示す。

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