第24話 老人、傭兵、奇跡の街

 使節というのはいささか大げさすぎるだろう。最初に市の評議会からその命令を受けた時、脳裏に浮かんだ憤りは、長い旅路の過程でますます強くなっていた。

 ニロが、市を発ち、街道を北上することまでに数十日、ようやく今回の旅の目的地に近づいていた。おそらく、今日中には・・太陽が沈む前には、着くことができるだろう。


 気がつくと、馬車の荷台から眺める風景は、代わり映えのしない憂鬱な深い森林地帯から、ところどころに開墾された畑が目につく牧草地帯へと変わっていた。

 それにしても、こんな内陸の田舎都市に・・・なぜ栄光あるわが街がわざわざ出向かなければならないのか・・・

 

 およそ文明の痕跡という痕跡が見られない殺風景な風景を眺めながら、ニロは、故郷の街〜ケナス〜に林立する豪奢な建物の数々を脳裏に浮かべて、深い溜息をつく。

 この地方の交通の要衝である内海に面しているニロが住む街〜ケナス〜は、数々の王国や帝国が興亡を繰り返す中でも、動乱を乗り越えて、発展を遂げてきた。


 数百年に渡り栄華を誇った帝国が滅び、その中心都市ですら今ではそこらの田舎町と変わらないほど落ちぶれている中で、ケナスはこの地方で名実ともに力を拡大してきた。

 

 もちろん、名目上の支配権を有する王国が、変わることはあった。しかし、ケナスはいまや高度な自治権が認められていて、名目上の君主たる王ですらよほどのことがない限り介入することはできない。


 そんな、俄然勢いがある都市で彼は、自身の知恵を武器に、行政官として、かなりの地位を築いてきた。彼の出自が、ケナスに掃いて捨てるほどいる下層階級出身であることを考えれば、その地位に就いていること自体、彼の持つ能力・・そしてそれ以上に運を証明しているといえるだろう。


 だが、彼は、決して現状に満足していなかった。自分が長年に渡り築いていてきた知恵と地位・・・それに比例するごとに肥大化した彼の自尊心はさらなる高みを要求していた。


 彼の出世街道も、ここ最近は、だいぶ足踏みしている。あと一歩の出世が望めない理由は、ニロ自身にもなんとなくわかっていた。出自の身分もあるが、それよりも大きな問題・・・要は彼は高慢すぎるのだ。


 知識を持つ者にありがちな共通の特徴として、自分より無知な人間を馬鹿にする傾向がある。その態度は、たとえ自身が仕える主君に対してすら、どんなに抑えようとしても、やはり無意識に出てしまうものらしい。


 なにぶん自身の能力ひとつで階級を上がってきたと固く信じている彼だからこそ、生まれや育ちで、その地位に安住している輩を蔑視してしまうというのもその一因だろう。


 とはいえ、いかに古き因習を打破し、それが利になるのならば、新しきものを取り入れる気風のあるケナスとはいえ、出自の階級の影響はいまだ厳然たるものがある。

 そんな暗黙のルールをわきまえぬ者には、社会の必然として、つまはじきにされるだけだ。


 つまるところ、いかに叡智をもつ老人とはいえ、語るべき歴史も持たない家柄から生まれ落ちた者である以上、偉大な王の血筋を持つ若い愚者に苦言を呈すなどもってのほかという訳だ。


 今回の任務は、そんな自分自身の悪癖を抑えて、いわゆる世渡り上手・・・愚か者になるための試金石として、受けたものだった。

 以前のニロであれば、「こんな馬鹿げた任務は必要ない」とすぐに喝破して、その場で、主君に進言していたはずだろう。


 だが、そこを堪えて、ニロは生まれ落ちて40数回目の春を超えた老体の体にムチを打ち、はるばるこんな内陸の田舎都市に赴いたのである。

 いつも口うるさい老人が、珍しく素直に言うことを聞き、あまつさえ、自ら体を動かす・・・そんな姿を見れば、若い君主も胸打つものがあるだろうという打算からの行動だったのは言うまでもない。

 

 愚者は、目に見えるわかりやすいものしか、理解できない・・・

 とはいえ、もう体のアチコチにガタがきている老体での長旅は、想像していた以上に、辛いものだった。特に衰退著しい辺境地である内陸部への旅は、発展を遂げている沿岸部の都市間の移動と違い、全てが面倒この上なかった。


 まずニロを悩ましたのは、道だ。数百年前に滅びた古代帝国の街路を補修もせずに、そのまま使っているため、劣化が激しい。そのため、馬車を使っても、大波に揺られているかのごとく、激しく体を揺さぶられて不快極まりないものがあった。


 当然、道自体がそんな状態だから、街道を巡回する兵などいる訳もない。そして、街道周辺の村々の大半を占める持たざる者たちは、季節の天候次第では、すぐにでも即席の野盗に様変わりする。


 なにせ天候に恵まれて、収穫が例年通りに上がることが前提で、税は決まっているのだ。もちろん、その税率だって、農民たちを生かさず殺さず・・・という極めて高いものだ。ちょっとでも、天候不順や害虫にでも襲われたら、もう食いつめることになる。


 となれば、当然彼らがやるべきことは一つしかない。ときおり街道を行き来する物資を積んだ商人たちを襲う以外ないという訳だ。といっても、商人連中も馬鹿ではない。


 そんなことは百も承知だから、よほどの楽天主義者か博打好きでもない限り、こういう治安が悪い街道を通る際には、傭兵を雇っている。いくら地の利があるからと言って、相手が襲撃に備えていれば闘いに関して素人の・・ましてや明日にも野垂れ死ぬほどに飢えている・・・農民たちの勝算は、場末の酒場で興じるイカサマ前提の博打の勝率よりも更に低くなる。


「ちっ・・またかよ・・」


 御者の男が、忌々しいうめき声を上げる。馬車が止まり、ニロは激しく頭を荷台に打ち付ける。


全く・・何度目だ・・・


 鼻が曲がるような強烈な腐臭がする。どうやら、また賭けに負けた者たちが出たらしい。あまり凝視したくなかったから、ちらりと匂いのする方向へと目をやる。案の定、哀れな農民たちの屍が、街道の端に捨て置かれている。


 御者は慎重に手綱を握り、屍を避けて、街道のもう片方の端へと馬をやる。


 全く・・・上に立つ者が愚者だと結局、最後は下々たちが犠牲になる・・・


 馬車の速さが除々に勢いを取り戻し、腐臭もまた弱まり、草の匂いへと変わる。ニロは、ここら一帯の領主の能力を看過し、思わず顔をしかめる。


「ご老体。あともう少しの辛抱ですよ。もうあとひと川超えれば、目的の街の領域に入るそうですよ。」


 ニロの正面に座る長身の若者〜カイ〜が、癇癪持ちの老人をなだめるように、作り笑いを浮かべる。


「・・・ふんっ・・だといいが・・」


 カイもニロの性格は重々承知しているのだろう。これ以上、話しかけるべきではないと悟り、「はは・・」とぎこちない返事をして、そのまま無言になる。

 カイに対して不躾な態度をとってはいるが、ニロは内心では、彼に対してそれなりの評価をしている。


 今回のような旅の際には、必ずこの若者を同行させているのが、その何よりの証拠だろう。カイは用心棒として、その腕前もさることながら、頭の方もそれなりに回るのだ。


 カイの外見が、その良い例だ。傭兵の中には、派手な色をした奇抜な服装をしたり、髪やヒゲが伸び放題といった一目でカタギでないとわかる者も多い。そうした格好をするのは、自分たちが普通と違う者だと明示することで、いらぬトラブルを防ごうという彼らなりの知恵なのかもしれない。


 しかし、ニロのような一定の地位がある行政官と行動を共にする者としては、そのような不埒な格好はふさわしくない。知人の紹介で、カイと初めて会った時、彼の外見、その物腰からは、とても傭兵だとは思えなかった。


 髪やヒゲは綺麗に整えられていて、紺色の目立たない服を着ていて、長身という以外は目立つところはなく、完全に都市住民として溶け込んでいた。話しをしてみれば、書くことはできないが、最低限の文字も読めるという。


 そして、仕事をしていく中で、カイは、雇用主であるニロを表面上はとりあえず敬うという礼儀も心得ている男だとわかった。そんな訳で、ニロは護衛が必要となる際には、カイを雇うことにしている。付き合いは、もうかれこれ数年になる。


「おっ・・あの川じゃないですか。あれを超えればもうすぐそこですよ。そうだよな?」


 カイは、前方に映る川を指差して、御者の男に軽い口調で話しかける。


「ああ・・そうだ。あの川を超えれば、奇跡の街、ニザンだよ。」


 御者の男は街の名を口にした時に、妙に嬉しそうな顔をした。


「奇跡の街?・・ああ・・そういえばそんなこと立ち寄った街の連中が言ってたなあ・・・なんでも・・死病から数年足らずで復興を遂げたとか・・・まあ、それはいいけどさ。あの川けっこう大きくないか?まさか、橋がないなんてことはないよなあ・・」


 カイは、遠くを見ようと目を細めながら、怪訝そうに眉をひそめる。


「安心しなよ。立派な橋がちゃんとあるよ。まあ・・・ついこないだまでは、なかったんだが。ニザンの連中が作ってくれたんだよ。おかげで、行路も大分短縮されたよ。」


 ずっと顔をしかめていたニロが、御者の言葉に反応して、ピクリと眉を上げる。


 ほう・・・ニザンの街の連中も少しは頭が回るようだな。


 馬車が、川に近づくにつれて、その全容が目の前に広がる。ニロはその姿を視界に捉えて、思わず、うめき声を上げてしまう。


「むう・・・この川に橋を・・」


 川幅は、ケナスの一番高い建物よりもさらに広い。これほどの規模の川に橋をかけるのは相当の費用、人員、そして技術が必要となるはずだ。

 大規模な構造物はそれ自体、建造者の力を図る目安になる。


 はたして、我が街が、この川に橋を築くことができるだろうか・・・


 隣では、カイも橋を見て、

「へえ・・・こんな大きな橋は初めてだ。どうやら遠路はるばるここまで来たかいがありそうですね。ご老体。」

 と、ひとしきり感心している。口調は呑気そのものだが、やはり見るところはしっかり見ている。


 カイは傭兵で、その主な雇い主は、この地方に数多ある自治都市だ。彼らの力を図る目利きがなければ、10年近く傭兵などやっていられないだろう。

 力の弱い都市について、負け戦にでもなれば、命を落としかねない。

 むろん、傭兵であるカイは、命が危うくなる前に、とっとと逃げ出すだろうが、それでも戦場に事故はつきものだ。


 馬車が、橋を渡りきり、川岸に着くと、揺れが大分穏やかになってきた。しかし、速さは先ほどと変わっていない。むしろ、速くなっているくらいだ。


「お客さん。ここからはニザンの領内だから、馬車での移動もだいぶ楽になるよ。」


 と、御者の男は、どこかほっとした様子だ。

 ニロは、後ろを振り返り、馬車が駆け抜けてきた街道を見る。石造りの土台のいたるところが剥がれていてデコボコだった今までの道中の街道とはまるで違う。


 かつての帝国が古の昔に建造した道を土台にしているのは先ほどの道と同じだが、こちらの道は、整備がなされていて、凹凸はほとんどない。


「おい。この道もニザンの連中が治したのか?」


 ニロは、ぶっきらぼうに御者の男に尋ねる。これまで終始無口で不機嫌そうにしていた老人から急に話しかけられた御者は、やや面食らいながらも、


「えっ・・ああ・・・そうだよ。この川から続くニザンまでの道は全て綺麗に修復されているよ。以前は、他の道と同様に、帝国が作った時からほったらかしの状態だったから、ひどい有様だったんだけどね」


 と、やはり得意気に街のことを話す。


「ニザンの連中はずいぶんと変わった連中なんだなあ。普通、大聖堂やら教会やらそういう神様に関係ある建物に金を出すものだろう。それが、道路に金を出すとは・・ねえ・・ご老体?」


「馬鹿ものが・・」


 と、ニロは呆れ顔だ。

 「えっ・・」と、カイは、ニロの想定外の態度に、一瞬ぽかんとするが、すぐに、「まあ・・・ご老体のような賢者の考えは俺のような者にはわかりませんよ。」と、大げさに両手を広げて、やれやれとばかりにかぶりをふる。


 カイの言う通り、確かに大概の権力者は、誰の目にも・・愚者にも・・わかる大仰な物を作りたがるものだ。

 ましてや、教会関係の建物を建てたとなれば、名声とともに、実利・・・つまり、現世での命が尽きた時に、煉獄行きを避けられて、楽園での生活が神の代理人たる教会によって約束される・・・まで手に入るのならば、尚更のことだ。


 ニロの仕える主君、ケナスの実質的な指導者である評議員長も、そうした類の人間だ。ニロがいくら、街道や橋の改修を訴えても聞く耳などもたない。

 彼の頭の中にあるのは、現世での栄誉とあの世での自分の保身だけだ。だが、そんな輩でも稀に正しい道を示すことがあるらしい。


 今回のニザンへの使節派遣は、信仰心篤いケナスの評議員長が、「奇跡の街」という異名に興味を惹かれたことがそもそものきっかけだ。

 ニロはニザンのような内陸部の小都市に興味などなかったし、偵察の必要もないと考えていた。だが、どうやらその考えは間違っていたらしい。


 これほどの建設事業を行える資源を持っているだけでもニザンは瞠目に値する。そして、何よりも、ニロを驚かせたのは、何を作れば長期的に街の利益になるのかを考えられる人間・・・知恵が回る者が、ニザンの上層部にいるということだ。

 賢者は数少ないし、ましてやその意見を聞き入れる権力者はさらに少ない。

 

 ニザンは内陸都市であるが、ケナスは海上都市として発展してきた。そして、2つの都市の距離は早馬でも数週間かかるほど、離れている。

 そのため、両者の権益が対立することはいままでのところはない。だが、ニザンとケナスはかつては一つの領域、古代帝国の領土だったのだ。

 

 ニザン、ケナス、どちらかが領域を拡大すれば、いずれその利害が対立することも十分ありえる。ニロは、綺麗に整えられた長い顎髭をさわり、「むう・・」とうなり、眉根をさらに寄せる。


 カイは、ニロがいつもの仏頂面をさらに歪めているのを見て、やれやれまたいつものがはじまったか・・とばかりに、背を向けて、外の方を見る。

 ニロのこのポーズは、思惑に集中したい時の合図のようなものだ。


 今の状態のニロに話しかけでもしたら、ネチネチと小言をうんざりするくらい言われることをカイは長年の付き合いで、よくわかっているのだ。

 ニロの苦い顔とは裏腹に、馬車は、快調に疾走する。心地よい馬の駆ける音と、風の吹く音がこだまする中、ときおりニロがシワ枯れたうめき声を上げる。

 

 結局、トラブルというトラブルもなく、太陽がやや傾きかけた頃に、一行は、ニザンに到着した。


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