第22話 再会と別離
修道院の目の前まで来ると、その入口は完全に閉鎖されていた。5メートルほどはある壁に囲まれている修道院は、それ自体、砦のようなものだ。もしかしたら、かつて栄華を誇った帝国時代には、ここは本当に砦だったのかもしれない。
あれだけの暴徒に囲まれていても、侵入されたなかったのは、この修道院の構造があったからだろう。
ひとしきり周囲の壁を一瞥した後に、石が剥落してある箇所を見つける。
これだけ、凹凸があれば、登れるだろう。近くに転がっている手頃な大きさの石を壁の向こうに投げ入れる。よじ登って、壁から頭を出した途端に、迎撃されたらたまらない。
ゴツッと石が地面に当たる音がする以外、何も反応はなかった。もう一度、投げても同様だ。安全を期して離れたところで待機しているタリの方を見る。タリは、コクリと頷き、こちらに忍び足で近づき、
「大丈夫です。壁の周囲に人の気配はありません。」
と、囁く。
いくら高い壁があっても、守る兵士がいなければ怖くはない。数箇所デコボコになっている部分に手をかけ、足をかけ、登る。簡単に登れると思ったが、意外に難しい。悪戦苦闘しながら、なんとか頂点まで体を持っていく。
顔をわずかに壁から露出させて、中を覗き込む。やはり、近くには誰もいない。
顔を引っ込めて、下にいるタリの方を見て、頷く。タリは不安そうな顔を浮かべなから、こちらを見上げながら、頷き返す。
壁を乗り越えて、反対側の壁面を見下ろすと、同じように足をかけられる凹凸部分があった。慎重に、足をかけて、なるべく音がしないように地面に着地する。周囲を見渡すと、やはりあたりには誰もいない。
アニサたちは、みな中心にあるあの石造りの建物にいるのだろうか。入り口となる門の方に目をやると、家具などありとあらゆるものが積みかねられていた。即席のバリケードといったところだ。
これでは、中から外に出ることも難しい。まず先行して自分が中に入り、門のカンヌキを外して、タリを招き入れるつもりだったが、そうもいかないようだ。
どうするか、と考えていると、物音がした。
ギクリとして、瞬時に身をかがめる。そして、音がする方〜壁〜を見る。壁の上からひょっこりタリの小さな顔が出ていた。驚いて、壁の下へと駆け寄る。
「なにしてるんですか!」
声の大きさを抑えて、叫ぶような形になったので、カスレたなんとも変な声になってしまった。
「待っていたんですが・・・どうしても気になってしまって・・・それに意外と簡単に・・・登れたので・・・」
と、苦笑いをしている。
あの壁を一人で、道具も持たずに登ったのか。いくら凹凸部分があったとはいえ、普通の少女の力で登れるとは思えない。タリの探知能力といい、今の出来事といい、自分が考えていたことはおおむね当たっているのかもしれない。
タリは、壁を乗り越えて、降りてくる。その軽やかな身のこなしは、自分よりも素早いくらいだ。手を貸そうと思ったが、その必要すらなかった。
あっというまにタリは地面に着いていた。
「ふう・・・以外となんとかなるものですね・・・」
「まあ・・今回は良かったですけど・・今は危険な状態なんですから、一人ではなるべく行動しないでください」
「・・・そうですね・・すみません・・」と、タリはしょんぼりとした表情を見せる。しかし、その殊勝な顔は単なる表面上の取り繕いでしかないだろう。
実際、タリの顔には高揚感がはっきりと見てとれた。きっと、自分の内にある予期せぬ力を発見できたことが嬉しいのだろう。
「あの建物に・・・人の気配は集中していますか?」
話を変えると、タリは、はっとしたように、ほころんだ顔を引き締めて、眉根を寄せる。
「・・・はい・・・ここまで近づくと・・はっきりと感じます。あの真ん中の建物にみんな・・います。」
中心に建つ2階建ての建物に目をやる。なるほど、こうしてみると、立てこもるにはうってつけの建物だ。
建物の中にいた時は、中庭があって、随分と開放的な雰囲気を感じたものだが、外から見ると印象が大分変わる。
四角形の窓が、複数あるが、どれも人が通れるほどの大きさではない。ゆいいつ人が通れる大きさの隙間は、入り口だけだが、当然門と同様に厳重に封鎖されている。おそらく、中もバリケードが設置されているだろうから、ここを通るのは現実的ではない。
そうか・・中庭か。
建物の上を見上げる。先ほどの壁よりさらに高いが・・・窓などの突起物も多いから、意外となんとかなりそうだ。
「これ・・・登れますかね?」
タリは、「えっ・・」と、漏らした後、キョトンと目をしばらくパチパチさせて、目の前の建物をしばらく上から下まで、じっくり眺める。
「・・さあ・・・どうでしょうか・・えっと・・上から中に入るつもりなんですか?」
「中庭があったので、建物の上に登れれば、中に侵入できると思うんです。ただ・・・見ての通り、さっきよりも高いですし。かなり危険ですけど・・・大丈夫そうですか?」
「はい。大丈夫です。・・・てっきりこの場に残ってろと言われると思ってましたけど。・・・私のこと少しは信じてもらえたんですね?」
と、タリは、頬をニンマリとさせて、したり顔だ。
「いや・・・この場に一人で残す訳には行きませんからね。まだ、さっきの暴徒がそこらをうろついているかもしれないし・・・まあ・・・その・・もちろんタリさんの勘も頼りにしてますよ。」
そう言うと、タリは頬をますます緩めて、満面の笑みを浮かべる。
そんなに、嬉しいことか・・・
その態度に少し戸惑いながら、顔をまじまじと見つめていると、はしゃぎすぎているのに気付いたのか、タリは少し照れくさそうに顔を伏せる。
「あの・・・えっと・・・とりあえず早くアニサさんと合流しましょう・・」
十メートル近くある建物を何の道具もなしに登るのは、やはりそれなりに骨が折れる仕事だ。とはいえ、先ほどの経験が活きたせいなのか、それとも強化された身体のおかげか、ものの十数分で、屋上にたどり着くことができた。
途中、小さな窓から、中を覗き込むが、見える範囲では、室内には誰もいなかった。屋上から、下にいるタリに合図を送る。今度は、タリが登る番だ。やはりというか、タリは特に危なげもなく、スイスイと上に登っていく。
表情も、落ち着いている。少なくとも、恐怖や不安といった負の感情は浮かんでなかった。こころなしか、楽しんでいるようにすら見える。
この世界で、タリのような庶民の女性が、男からその能力を認められたり、頼られたりするというのは、滅多にないことなのかもしれない。先ほどの喜びようは、その反動なのだろうか。
そんなことを考えている間に、タリはもうすぐ下までたどり着いていた。手を差し出して、ひっぱり上げる。
「大丈夫でしたか?」と、一応声をかけると、「はい。平気です。」と、予想通りの答えが返ってくる。心配をかけまいと強がっているという訳ではなくて、本当にたいしたことがなかったのだろう。疲れた様子もなく、涼しい顔をしている。
屋根をつたって、中庭に通じている場所まで歩く。中庭を見下ろすが、やはり人の気配は皆無だ。二階の廊下に降りて、周囲を見渡すが、こちらも中庭と同様に静まり返っている。
アニサたちは、どこかの部屋にまとまって隠れているのだろうか。しばらく遅れて、タリが降りてきたので、「どうですか?気配は?」と、問いかける。
タリは、かがみ込み、目をつぶる。それにしても、こうしてみると、まるで魔法の詠唱のようだ。実際、この世界ではタリの力は、魔法そのものだろう。
しばらくすると、「・・・もっと・・・下の方から人の音がします。」との答えが返ってきた。
地下か。これだけの大規模な建物なら、地下にも何らかの部屋が設けられていても不思議ではない。
階段を降りて、一階へと下る。タリの案内で、気配がする方角へと足を進める。ある部屋の前でタリが止まる。
「この・・部屋です。この下にいます・・・」
一瞬間をおいて、息を整えてから、部屋の扉を開ける。中には、誰もいなかった。農具や家具などが、所狭しとおかれた物置といった様子で、広さは、50平米ほどあった。周囲を見渡すが、地下へと通ずる入り口は見当たらなかった。
だが、タリが言うように間違いなくこの下にいるはずだ。ここまで近づくと、さすがに自分でもその気配を感じることができる。
一通り、あたりを見回す。すると、すぐに不自然な箇所が目に止まった。一部分だけ、周囲と比べて、やけに物が多く置かれている場所がある。乱雑に積み上げられた家具などをどかすと、案の定、床には扉があった。慌てていたのか、少し見ただけで見破られるほど、そのカモフラージュは稚拙だった。
人々の緊張している息遣いがこちらにまで伝わってくる。扉を無理やり開けることは、容易いが、それではいらぬ争いが起きてしまう。
彼らからすれば、自分たちは外からやってきた見知らぬ人間たち、それこそ暴徒の一味と間違えられても不思議はない。
中にアニサがいれば、話は早いが・・・
タリの方を見ると、地下の扉を見つめて、黙り込んでいる。しかし、その表情は、今すぐ声をかけたくてしょうがないといった焦燥感が滲み出ていた。
これ以上、考えていてもしょうがないだろう。
「アニサさん!影人です!助けにきました!」
扉を叩き、大声を上げる。数秒待っても、反応はない。タリがたまらず、
「アニサさん!タリです!ここにいるんでしょう!」と、後に続く。
扉の下から、人々のざわめきが聞こえてきた。そして、そのざわめきがしばらく続いた後、静寂が訪れた。様子を伺うように、観音開きの扉が、わずかに開けられる。その隙間からは、見覚えのある顔が警戒の表情を浮かべて、外を覗き込んでいる。
「アニサさん!」
目が合って、こちらを確認すると、アニサは、ようやく頬を緩めて、扉を開け放つ。光が入ったことにより、地下の全貌が視界に飛び込んでくる。
地下は、上の部屋の半分くらい、30平米程度の狭い空間だった。おそらく、発酵させた食物類の貯蔵庫か何かなのだろう。樽が何個か隅におかれているのが目につく。そして、カビ臭いような、酸っぱいような何とも言えない鼻を刺激する匂いがあたりに漂う。
こんなところに、十数人の人間が長時間にわたって、所狭しと詰め込まれていたのだ。その、ストレスは相当なものだったのだろう。
アニサをはじめとして、他の人々は、みな目は窪み、やつれている。
「大丈夫ですか?」
アニサの手をとり、引っ張り上げる。
「・・・まさか・・・戻ってくるとはね・・・街の状態は・・・見たんでしょ?」
質問には答えず、一驚した後、いつものひねくれた口調で、呆れた表情を浮かる。だが、それは、アニサの精一杯の強がりだったのだろう。手を放すと、足元がふらつき、その場に、倒れそうになる。あわてて体を入れて、受け止める。
アニサは、掴んでいる肩をさらにギュッと握りしめて、顔を近づけて、じっとこちらを見つめてくる。
「・・あっ・・その・・ありがとう・・・」
感極まっているのか、若干、目が潤んでいるように見える。さすがに、この状態で、目を逸らすわけにも、振りほどくわけにもいかない。どうにも、気不味いそんな状態が、数秒続いたところで、タリが、「あの・・・すいません。」と、間に入ってきた。こころなしか少し怪訝そうな表情を浮かべている。
その声で、冷静になったのか、アニサは、ぱっと体を離して、タリの方を向く。
「あ・・えっ・・タリちゃん!影人と一緒だったの!?・・・よかった。無事で・・・」
「・・ええ・・なんとか・・・父は?」
「ガラは・・・」と、アニサの表情を曇らせる。
「その・・・後で詳しく説明するわ。それより、まずはこの人たちを地上に出さないと・・・」
タリは、今すぐにでも話しの続きを聞きたい様子だったが、疲れ切った表情を浮かべた人々が不安そうにこちらを見つめている姿に気付き、その場は身を引く。
タリと手分けをして、地下にいる十数人を地上へと引っ張り出す。彼らの様子からすればまだ、アニサはまだマシな方だったと言えるだろう。
体は栄養失調気味で、痩せほそっていたが、それはいまに限った話しではない。彼らから、感じるこの異様な気配は、むしろ心の方にあるのかもしれない。
何度か感じた雰囲気だ。この現世で生きるのを放棄した人間たち。あの世への、また見ぬ楽園への旅路という夢に取り憑かれた人間たち。
彼らが全身から醸し出しているのはそうした虚無感だ。助けられたことを嬉しがっているようなそぶりはアニサを除いて、誰も見せなかった。
彼らの手をつかみ、地上へ出す時に、気付いたことがある。全員に、あの黒い紋様が、皮膚に浮き出ていた。
つまり、全員が死病に罹っているということだ。彼らの死にたいという気持ちはまだわかる。宗教を信じているなら、それはある意味で、合理的な思考だ。
だが、アニサの行動はどうだ。
なぜ死にゆく人々のために、ここまで利他的な行動を取れるのか。神への信仰心の賜物なのか。宗教とは人に対してそこまでの情熱を、自分の命よりも至高の価値を感じさせるものなのだろうか。その狂気に、一瞬、背筋が寒くなってしまった。
それが、善意に向いているのならば、今のように素晴らしい力を発揮するだろう。
だが、逆ならどうなる。
至高の価値を守るためならば、理論上は、あらゆる犠牲もいとわないことになる。
人々を救うために、奔走し、疲れ切ったアニサの横顔を見ながら、そんな怯えを感じてしまった自分が酷く後ろめたかった。
いや…それよりなによりも、怖いのは、自分の心から、先程感じていた罪悪感が既に消えかけていることだ。
だから、アニサが、ガラのことを話しだした時には、タリには悪いが、正直、少し安堵してしまった。
自分は、普通の人間なのだと、思えたからだ。
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