第21話 ありふれた虐殺者

 唖然としているタリの顔を見るのは少し気分が良かった。か弱い少女を助けるために、自らを犠牲にする。なんと自尊心が満たされることか。

 きっとこうした名誉などという一時の感情のために、無数の人々が回避できたはずの争いをして、限りない命が犠牲になったのだろう。

 果たして自分はどうだろうか。


 恐怖を克服するために、今度は別の感情に振り回されているだけなのかもしれない。暴徒の群れに近づくと、すぐに彼らは反応を示した。まるでアリやハチの巣に近づいた時と同じように一斉に人々はこちらを向いて、威嚇行動を取ってくる。

 怒りや警戒で顔を歪ませている者や、はたまた絶好の獲物を見つけたかのような歓喜の表情を浮かべている者も少なくない。いずれにせよ突然目の前に現れた人間を敵として認識していることは間違いない。

 人が集団で自分たちとは異なるよそ者に暴力を振るい出せば、もう止まらない。それは、最も原始的な脳の部分を激しく活性化させて、快感を生じさせるからだ。言葉で止めることなどもはやできないだろう。


 こうなると、人というよりむしろ獣に近い。原始的な本能には同じく原始的な本能で訴える以外ない。

 目の前で、罵倒や威嚇、嘲りといった無数の猛り声を浴びせられる。この群衆たちの熱狂の渦に飛び込んでしまえば、こちらももう冷静ではいられない。

 感情の原理を頭で理解できていても、所詮体の内から沸き起こる奔流を止められはしない。本能を人の意思だけで完全にコントロールすることはできない。抑制するのがせいぜいだ。

 

 どちらが先に動いたのか、もしかしたらこちらの方が先に手を出していたかもしれない。どのみち、正当防衛だ。一人対多数、ある程度の暴力は・・・いや殺人さえも正当化されるだろう。

 目の前にいた体躯の良い男の喉元に、短剣を突き刺して、素早く抜く。もうすっかり慣れたものだ。こちらの動きに対して、いちいち大げさに反応する獣たちの叫びと唸り声が心地よく聞こえる。

 獣たちは、今まで優位だと思っていたから、快感に浸っていられたのだ。その顔は、途端に、その表情を一変させ、驚愕と恐怖に染まっていた。群衆たちは、たちまち大混乱状態に陥っていた。

 それでも、まだこちらに向かってこようという血気盛んな男たちがまだいくばくか残っていた。


 あと数体、いや数人倒す必要がありそうだ。大したことではない。こちらは圧倒的に優位なのだ。相手は多勢だが、こちらは機関銃で武装し、相手の武器は石斧しかない。実際、それくらいの差がある。

 今まで、何を怖がっていたのだろう。この世界では、自分は絶対的に優位なのだ。そう思うと、恐怖の対象だった戦闘ですら楽しくなる。

 圧倒的な優位性を持ち、一方的に相手の命を奪っていると、自分が生を支配しているという感覚が沸き起こってくる。

 自分の内に生死を司る神のような絶大な力が宿っているように思えてくる。その全能感は強烈な感覚だ。今まで感じたことがない種類の強い快感が全身にみなぎってくる。


 これまでは、人を傷つけるのが嫌でたまらなかった。やむにやまれず相手を殺めた時ですら、酷く不快だった。倫理観や道徳観に基づいて、心が痛むという訳ではない。もちろん、それも少しばかりはあった。だか、その不快感は小さなものだ。

 そんな高等な感情ではなく、もっと単純で、原始的な感情の方がはるかに強い。

それは、本能的、生理的な反応だ。例えるなら、虫や蛇を見た時に覚える嫌悪感に近い。誰だって、虫や蛇の大群を見たら、目を逸らしたくなるだろう。

 剣で人を刺し、血が吹き出る姿を見たくないという気持ちは、一言でいえばそうした感情に過ぎなかった。

 単に嫌なだけなのだ。不吉なもの、穢らわしいもの、そうしたものを忌み嫌うように。


 しかし、そうした嫌悪感も次第に慣れていき、薄れていくものらしい。もはや人を殺傷しても、不快感はわずかにしか感じない。

 だから、今、暴徒たちが血を流して、地面に倒れていくのを見て、感じるのは快楽の方がはるかに大きい。

 そもそも相手はこんな世界にいる野蛮人なのだ。自分とは違う種類の生き物だ。遠慮はいらない。徹底的にやってしまえばいい。

 向かってくる獣たちの喉笛を次々と切り裂く。獣たちの叫び声は既に怒号から悲鳴に変わりはじめていた。


 何体倒したのだろうか。もうこちらに向かってくる者はいない。それどころか、面白いくらいに慌てふためき、逃げ出している。

 目的は達成した。後は、群衆たちが、修道院の周囲からいなくなるのを待つだけだ。視界を遠くに広げると、家屋に隠れているタリの顔が不意に目に入った。

 タリに見られていると思うだけで、なにやら体の内の衝動性が刺激される。

 いや・・・まだ、足りないかもしれない。

 あと数体排除しておいた方がよい。今後の自分たちの安全のためには、まだ数を減らす必要がある。


 背を向けて、恐慌状態に陥っている相手を追撃するのは、実に容易かった。必死に逃げているのだろうが、こっちからすればまるで遅い。

 すぐに追いつき、背後から短剣を深々と首元に突き刺してやる。そんなことを何回か繰り返すと、あれだけいた獣たちも散り散りになり、残ったのは地面に横たわる屍だけだ。

 周囲に静けさが戻るにつれて、自分の沸き立っていた衝動も徐々に収まってくる。

 

 何体・・・いや何人排除したのだろうか。

 視界を地面の方に向ける。

 倒れている人々が何人、いや何十人かいる。自分を中心にして、周囲には十数人の死体が転がっている。

 これを・・・全て自分がやったのか・・・

 一時の熱狂から冷めた後の感情とはこういうものなのだろうか。

 しばらく、その場に立っていると、隠れていたタリが、駆け寄ってきた。


「・・・やっぱり・・・影人さんは・・凄いですね・・・」


 言葉は簡単に取り繕うことができるが、表情はそうはいかない。正に今のタリの顔がそれを如実に物語っている。

 タリの頬は引きつっていた。地面に転がっている無数の死体を考えれば、それもやむを得ないのかもしれない。

 だが、タリは死体に嫌悪感を抱いているだけで、別に自分のことを責めているわけではない・・はずだ。


「・・・しかたがなかった・・・んですよね?」


 そう言って、こちらに向けた顔には、微かだが非難と恐怖の色が混じっていた。


「もちろんですよ!あんな大勢いて、こっちは一人なんですよ!手加減する余裕なんてあるはずないじゃないですか!」


 いつの間にか、怒鳴り声を上げていた。

 自分のした行動は間違っていなかったのだと、せめてタリにはそう思ってもらいたかった。

 だが、タリの顔を見るまでもなく、自分の吐いた言葉が嘘っぱちであることは、自分自身が一番よくわかっている。

 致命傷を負わせなくても、ましてや殺さなくてもよかった。足を切り裂いて、動けなくするとか、色々と手はあったはずだ。

 彼我の力の差を考えれば、それくらいの加減も容易くできた。彼らを殺す合理的な理由なんてなかった。目的を達成するためのやむを得ない手段ですらない。


 単に、激情と強烈な支配欲、征服欲に突き動かされて、弱者を殺して回っただけだ。歴史の講義で、戦争で虐殺行為が度々行われていたことはもちろん知っていた。だが、そんな恐ろしいことを人が人に対して行うことができるなど、どうにも実感がわかなかった。

 実際、もとの世界では、そうした野蛮なジェノサイドは当に過去のものになっていた。途上国や最貧国でさえ、この半世紀でいえば、大規模な紛争は滅多におきていないし、虐殺行為も同様だった。

 もちろん、全くのゼロではない。ときおり、そうした行為が発生し、個人を含めたあらゆる媒体のメディアが格好のネタとして、センセーショナルに騒ぎ立てる。


 半世紀前なら、どこかの最貧国で何万人が紛争で死のうが、他国の一般人には興味はなかったし、そんなことよりも、明日の天気の情報を求めただろう。

 この世界でも、遠くの王国の征服戦争の話よりも、自分が住む街のパン屋が要求する小麦粉の量が増えたことの方がよっぽど人の耳目を集めるだろう。

 だが、もといた世界では、そうした小規模な紛争自体が本当に珍しい出来事だった。かつて一部の先進諸国で起きていたテロよりも珍しいくらいなのだ。滅多におきないことには価値があるし、人々の共同体意識も今ではかつてないほど〜明日の天気より、他国の紛争の犠牲者を気にするほど〜広がっている。


 だから、そうした虐殺行為の話題を聞くことは、その実際の数とは反比例して、多くあった。いわくその行為者たちは、たいてい自分たち人間とはかけ離れた存在、とんでもない異常者のように扱われていた。

 残虐行為それ自体が減れば減るほど、その行為者はその起こした内容とは関係なく、人々の目からは際立って見えて、化け物として扱われるようになる。おかげで、年に一回は新たなヒトラーが登場する始末だった。

 もっとも自分も、そうした言説に対して疑問を持たなかった。彼らは違う種類の生き物なのだと思っていた。


 だが、どうやらそれは誤っていたらしい。なにせ、いたって普通の何も特色もない先進諸国の一般人であったはずの自分が、今や彼らと同じ虐殺者なのだから。

 こんなにもあっけなく普通の人間だったはずの自分が・・境界を超えてしまうものなのか・・・

 いや、それとも、実のところ自分は、もともとにおいて、異常者だったのか。それが、感情制御というタガが外れて、本質が開花してしまったのか。

 違う!違う!そんな訳があるか!これは・・・正当防衛だ・・やむを得ないことだったのだ・・・


 タリの声が、ノイズのように響き、現実世界に引き戻される。


「・・・ません。批判するようなことを言ってしまって・・・戦いなのだから、血が流れるのは当然ですよね。ただ、あまりにも・・・影人さんの様子が・・・普段と違うから・・驚いてしまって・・・」


 タリは、申し訳なさそうにうつむいている。そうだ。これが、今いる世界の常識なのだ。少女ですら、虐殺を責めることはない。むしろ、しかたがないと慰めてくれさえする。

 だが、いくらタリから批判されないからといって、心が晴れることはない。

 この世界に染まったとはいえ、未だに自分はもといた世界の、現代社会の倫理観を完全には捨てきれていない。いくら自分を納得させようと盛んに頭の中で、行為を正当化させようとも、奥底では自分のしでがしたことにどうしようもないほどに恐ろしくなってしまう。

 ましてや、眼前には、無数の屍が、圧倒的な存在感を持って、視覚、聴覚、嗅覚、全ての器官を通じて、自分がしでかした行為の重さを訴えかけてくるのだ。


「いえ・・・こちらこそ・・・すみません・・・大声出してしまって・・・早く・・修道院に行きましょう・・」


 犯罪現場から逃げる殺人者のような気分だった。早くこの場から、逃げたかった。だが、見たくないものほど、目に入ってしまう。

 足早にその場から、立ち去ろうとしたときに、不意に地面に横たわる一人に目が向いてしまった。

 小柄なタリと同程度の身長、まだ幼なさが残る顔立ちをしていた。

 

 子供だ。どう見ても、彼はまだ子供だ。すぐに、視線を逸らす。だが、そんなことをしても、意味はない。今の光景は既に脳の奥深くにしっかりと刻み込まれてしまっている。

 その動きがよっぽど不自然に見えたのだろう。タリも、その子供の方へと目をやっていた。

 思わず、息を呑んでしまった。

 見られたくなかった。

 自分が子供にまで手をかけた男だと、知られたくなかった。


 だが、タリはたいした反応を示さなかった。他の死体を見るのと同様に顔をしかめはしたが、子供だからといって、何か特別な感情を抱いている様子は見られなかった。

そうだった。自分がいるのはこの世界なのだ。子供が争いに巻き込まれて、死ぬことも別に珍しくない。いや・・・そもそも、この世界に、子供と大人という概念が果たしてあるのか・・それすら疑わしい。

 せいぜい、仕事の役に立つか立たないか、それくらいの区別しかないように思えてくる。子供だから、特別視するという概念は、少なくともタリをはじめとして、この街の住民にはほとんどないように見えた。


 その価値観は、今の自分にとっては、ほんの少しだけ慰めになる。タリから軽蔑はされないし、自分を正当化するのにも役立つ。

 それでも、とんでもないことをしでかしたという拭うことができない罪悪感・・いや恐怖は深く脳に刻まれている。


 少なくとも、今はまだ・・・


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