第17話 変化と疑惑

 ほぼ同時に、頭の横を影が掠めた。視界に捉えた刹那、反射的に、その小さな影を、手でつかもうとしていた。手で捉えた瞬間、カスレた音がした。そして、一拍置いて、鈍い痛みが差し出した手を中心に広がっていく。


 手には深々と木の矢が刺さっている。刺さった瞬間に、手で防御したためか、矢は真ん中を支点として、半分ほどに折れていた。

 ますます増幅する痛みに耐えながら、身を深くかがめる。前の男が、射出したのだろうか。まさか、この暗闇の中、矢で狙われるとは思わなかった。

 痛みで、うめき声を上げそうになるのを歯ぎしりして、懸命にこらえる。射抜かれた手を見る。ちょうど、矢は甲のど真ん中に刺さっていた。


 矢をつかみ、おそるおそる引き抜こうとする。最初は、慎重にゆっくりと動かしていたが、わずかに矢が動く度に、耐え慣れないほどの激痛が全身を駆け巡る。

 その酷い痛みに、心はそうそうに根を上げてしまう。そして、少しでもこの痛みから、逃れようと、短絡的な思考が頭をかすめる。一気に矢を引き抜こうと、根元に力を込めて動かす。

 だが、これがまずかった。矢は細かく無数に割れて、その細片の大部分は、未だに手の甲に刺さったままだった。最悪だ。こんなに散らばってしまうと、取り除くのはかなり厄介だろう。

 当然、痛みは一向に収まらない。


 刺された手を抱えて、うずくまっていると、背後で悲鳴がした。タリの叫び声だ。

クソ・・・なんとかしないと。この忌々しい痛みを除けば、体はまだまだ問題なく動く。痛みで疲弊した心を鼓舞して、悲鳴がする方向へと足を向ける。

 弓矢の男は、先ほどから動きがない。矢もあれから飛んできていない。こちらを見失ったのだろうか。

 そう思っていたところ、予想外にも、弓矢の男から、矢ではなく、声が飛んできた。


「あれに反応するとはなあ・・・お前何者だよ・・この闇、この距離で、こめかみに完璧な一発を放ったっていうのによぉ。それなのに・・・まさか手で受け止める・・とはな」


 押し黙ったまま、音がする方向へと意識を集中させる。相手との距離はまだ大分離れている。それにしても、なぜわざわざ男は、話しかけてきたのだ。自分の位置を見す見すこちらに知らせるようなものだ。明らかに男にとっては不利にしかならないのに。


「何でこいつは話しかけてくるんだ。よっぽどの喋り好きのマヌケなのか。そう思ってるんだろう?納得いくちゃんとした理由をすぐに話してやるから、安心しろよ。」


 男は、人が作った映画だと信じて感動しているヒューマニストに、AIが作ったものだと暴露する際の製作者のように意地悪い口調だった。


「馬鹿みたいに話をしているのは、お前がもうすぐ死ぬからだ。その矢には、特性に調合した毒をたっぷり塗ってあるんだよ。けっこう手間もかかって、高くつくんだが・・・まあ・・奴らの話を信じて、用心して、金を掛けたかいがあったもんだ。こういう稼業は何事も慎重さが重要だからなあ・・。安心しろよ。たいして苦しまずにすむ・・数分で毒が回って、あの世行きだ。ってもう聞こえてないか?」


 男のあざ笑うような声を聞きながら、全身が総毛立つ。

 毒。そんなものまで、仕込んでいたのか。

 痛みはますます強まり、強烈な吐き気が喉の奥からせり上がってくる。そのまま、胃から、ゲエと吐瀉してしまう。

 毒の効果なのか。頭もガンガンと酷く痛み、めまいまでしてきた。こんなところで、どこかもわからない世界の人里離れた森の中で、野垂れ死ぬのか。

 死にたくない。その恐怖だけが、強烈な感情として、全身を駆け巡る。時間の感覚はなかった。だが、意識は、いつまでも残ったままだった。


 死にたくない。死にたくない。

 その言葉の反芻が、いつまでも脳裏に木霊し続けている。次第に、吐き気もめまいも治まってきた。そして、男の足音が近づいてくるのが聞こえる。

 完全に相手は油断をしているようだった。毒の効果に絶対の自信をもっているのだろう。こちらは、もう動くこともできないと思っているようだ。その証拠に男は、こちらに聞こえるのもおかまいなしに、足音を隠そうともせずに、大きな音を立てて、こちらに向かってきている。


 絶好のチャンスだ。今度はこちらが相手の不意をついてやる番だ。しばらく、地面につっぷしたまま、身じろぎせずにいる。背後で、藪をガサガサとかき分ける音が、大きくなっていく。

 そして、その音が止むと、「すげえだろ。この毒の効果は」と、せせら笑う声がすぐ真後ろから聞こえた。声がすると同時に、一気に両足に力を入れて、体を回転させ、飛び跳ねた。

 

 男は、ビクッと反射的に全身をこわばらせる。だが、反応はそれだけだった。目立った回避行動を男はしなかった。いや取れなかったのだろう。きっと、男にとってはあまりにも想定外の出来事だったのだ。

 ナイフを突きつける瞬間、男の表情が暗闇の中で、はっきりと見えた。見たことがない珍奇な動物を偶然見つけてしまったような呆けた表情を浮かべていた。

 最初に相手をした男よりも、さらに短い声ともいえない声を微かに発して、男はあっけなくその場でこと切れた。先ほどまで、あれだけしゃべっていたのが、嘘のようだ。


 うつ伏せに倒れた男の死に様を見下ろした時、一瞬心のなかに生じた感情に、酷い自己嫌悪に襲われた。単なる気のせいだ。自分自身の感情を必死に、誤魔化そうとする。しかし、もうひとりの冷静な自分はハッキリと認識していた。先ほど男を見た時、感じた気持ちは、快感だったと。

 幸い、この感情をしっかりと考える時間も余裕もなかった。辺りは再び静寂に包まれていた。男たちの声も、言い争う音も聞こえない。

 タリ・・そうだ!タリは、どうなったんだ。先ほどまで、タリがいた方角を向くが、そこには誰もいなかった。

 いや、よく見ると、誰かが、地面に倒れている。


 まさか・・・

 視界に入ると、同時に駆け出していた。走りながら、最悪の事態が脳裏にやどり、頭はグワングワンと波打つ。足元がおぼつかないほど視界が歪み、平行感覚が狂う。

 近づくにつれて、闇に紛れた視界がはっきりと浮かんでくる。二人の人間がいる。一人がもうひとりを覆いかぶさるようにして、地面に倒れている。

 タリは上から男にのしかかられていた。

「タリさん!」

 叫びながら、男をタリから引き剥がそうとする。男の体に掴みかかった時、不思議な手応えを感じた。いや、そもそも、その前からして、おかしかった。こんなにバカでかい音を出しているのに、男はまるで、こちらに反応しなかった。


 男は、そのまま何の抵抗もなく、力をかけた方向にゴロンとまるで単なる物のように転がる。仰向けになった男を見て、ギョッとする。男の目からは既に光が失われていた。とうにこと切れていた。

 男の体をどかしたことにより、下になっていたタリの姿が視界に入る。タリは、のしかかっていた男の体をどかしても、微動だにしない。先ほどの悪夢が現実のものになったのかと、一瞬全身が粟立つ。

 だが、幸いにもそれはすぐに誤解だと、気付いた。タリの眼は確かに、生者のそれだった。タリは、ただ一点を、空を見ていた。それはうつろで、夢遊しているようにすら見えた。


「・・・大丈夫ですか・・・」


 立ち上がらせようと、背中に手を回す。だが、タリからは何の反応もなかった。ただ、ブツブツと何かを言っている。口に耳元を近づけなければ、聞こえないくらいの小さな声だった。


「・・わたし・・・襲われて、抵抗したら、ナイフが刺さって・・そのまま・・」


 タリの隣で横たわっている男の体にチラッと目をやる。短剣が深々と喉元に突き刺さっている。もみあっている拍子に、短剣が運悪く・・・いや運良く致命的な箇所に刺さったのだろう。

 タリの体をよく見ると、男の喉元から溢れ出した返り血で、顔と上部の服がドス黒く汚れている。いきなり男に襲われて命の危機に瀕しただけでも、とてつもない精神的負荷がかかっただろう。それに加えて、その相手を正当防衛とはいえ、殺してしまったのだ。


 まだ若い少女にとって、その精神的ショックは計り知れないものがあったはずだ。そうした突然の強烈なストレスへ対処するために、外界からの刺激を一切受け付けしない、いわば殻に閉じこもった状態になっているのかもしれない。

 だが、いつまでもここに留まっている訳にはいかない。

 まだどこかの藪の中に襲撃者が潜んでいるかもしれない。そういう気配は感じないが、自分の能力にそこまで全幅の信頼を置くことはできない。

 タリにあたりに潜む人間がいるかどうか聞ければ、もっと安心できるだろうが、この状態ではそういう訳にもいかない。


 放心状態のタリの肩に手を差し込み、なかば無理やり立たせる。完全に脱力している訳ではないが、全体的に力がこもっていないためか、タリの体重の大部分がこちらにのしかかってくる。

 足を負傷した人間に肩を貸すような格好で、ゆっくりとボロ家へ向かう。幸い家まではもう数百メートルもない。

 一歩一歩足元の土を踏みしめながら、先ほどのタリの言動を考えていた。

 今のところ、タリが言っていたことは当たっている。襲撃者の人数、その方角、距離も的中していた。こうなると、単なる偶然の一致では済まされない気がする。

 実のところ、タリがなぜあんな能力に目覚めたのかということについてはモヤのような曖昧なものだが、ある考えが芽生えつつあった。


 やめよう。その件については、今は、放置だ。と、心の中でつぶやき、脳裏に湧いた考えを追い払うかのように頭を振る。そうでなくても、目先の問題が山積みなのだ。

 家の前までたどり着き、タリを中に入れて、床にそっと置く。タリは相変わらず、反応をほとんど示さず、目が開いていなければ、眠っているのかと思ってしまうくらいだ。

 ふうと思わず大きな息を吐く。外は肌寒いくらいの温度だったはずなのに、いつの間にか全身が汗だくだった。

 

 緊張状態を強いられたせいか、それとも戦闘行為をしたせいか、おそらくその相乗効果によるものだろう。ドッと疲れが押し寄せてきた。池に行って、リフレッシュした時の気持ちなどとうに吹き飛んでいた。

 せっかく綺麗にした体もすっかり汚れて、酷くなっている。影人もタリも、池に行く前と同じように血に染まっている。

 このまま目を閉じて、何も考えずに、床に寝転びたいところだったが、そうもいかない。


 壁によりかかったままのタリの様子が目に入る。とりあえず、タリをなんとかしないとならない。

 何か温かい食べ物や飲み物でもタリに提供して、気晴らしといきたいところだが、あいにくそんな気の利いたものはない。

 とりあえず水でもと、玄関脇にあった桶に行く。わずかに溜まっていた水を手ですくい、試しに一杯飲んでみる。随分と生ぬるくエグみがあるが、一応水分補給の役割は果たせそうだ。きっと、タリは毎朝あの池から水を汲んで、この桶に生活用水として、蓄えているのだろう。


 「水です。飲んでください。」と、タリの口元に、桶から汲んできた水を入れた木製のコップを差し出す。生物的な本能が働くのか、今まで反応がなかったタリも、無言ながらも、両手を弱々しくコップに添えて、自ら口に運ぶ。

 そこからの動きは機敏だった。コップを大きく傾けて、まさにゴクゴクという表現がピッタリあうような勢いで、あっという間に飲み干した。

 ふうっと小さく息を吹いて、「・・・血の味がしますね・・」と、つぶやく。

 タリがどういう気持ちでそんなことを言っているのかわからなかった。相変わらず、感情という感情は表情から読み取れない。


 タリはこちらに顔を向けると、


「結局、私も影人さんもまた血だらけになっちゃいましたね・・」


 と、わずかに表情を緩めながら言った。


「そうですね・・汚れちゃいましたね・・」


  と、無理やり笑顔を作り、言葉を返す。その顔がよほど不自然でおかしかったのか、タリはクスっと笑いながら、「大丈夫です。とりあえず、落ち着きましたから・・」と、朗らかな笑顔を浮かべる。

 そのタリの自然な表情を見て、少しだけ安堵する。先ほどのショック状態からとりあえずは回復したようだ。

 安心したせいか、張っていた気が抜けて、脱力感に襲われる。立っているのも億劫になってきた。壁に、もたれ掛かり、足を投げ出して、タリの隣に座る。

「はあ・・安心しましたよ・・」と、心の中の声を思わず発していた。

「その方が自然でいいですよ」

 と、タリは、笑みをこぼしている。こちらが演じていた仮面を見透かされていたとわかり、少しだけ恥ずかしくなる。


 人と一緒に行動するなんてことは慣れていないし、ましてや誰かを助けるなんて柄ではない。少女を導く勇敢な男なんていうアンティークになっている紙の本の中ですら滅多におめにかかれない古典的役割を演じるのにはいささか無理がある。

 咳払いをして、「襲ってきた連中に心当たりはありますか?」と、聞く。タリは、「・・あの・・いいえ・・」と、首をわずかに横に揺らす。

 わかりきっていた答えだった。タリが襲撃者を知っている訳がない。タリは、こちらの顔を覗き込むと、「影人さんは?」と、逆に聞いてきた。

 言葉に出してはいないとはいえ、その聞き方は、心当たりがあるのではないか?というニュアンスを言外に含んでいた。


「・・・いや・・ありません。」


 と、何も知らないふりを決め込んだが、チラッとタリの顔を除くと、明らかに疑わし気な顔をしていた。

 確かに、心辺りはある。おそらく教会内のアニサと敵対する派閥の者たちの手引だろう。しかし・・・ガラの娘が街の外に匿われていることを知っている者は自分以外にはいないはずだ。

 最初にこの家に訪れた時につけられていたのだろうか。帰り道に襲われたことを考えれば、その可能性は高い。


 だが・・・それでも、アニサの協力者の娘を誘拐するなり、排除するためとはいえ、4人もの傭兵を送り込んでくるとは、いささかやりすぎではないだろうか。

 それとも、思った以上に、ガラの存在は、アニサたちの勢力にとって、重要な役割を担っているのだろうか。

 「うわっ」と、思わず悲鳴のような声を漏らしてしまう。いつの間にか、タリの顔がすぐ近くに来ているのだ。下から大きな目で、こちらを見定めるようにジッと見つめてくる。

「・・・本当ですか?」

「・・・えっ・・いや・・」


 息遣いまで聞こえてくるような距離で、こんな迫力で攻められれば、白旗を上げざるを得ない。そもそも、既に態度で、答えを言っているようなものだ。

 余計な恐怖を与えたくないという配慮などは、そもそも不要だったかもしれない。


 「・・・わかりました。話します。」


 観念して、自分が考えている襲撃者の心当たりについて、打ち明ける。タリは、ただ黙って聞いていた。深刻な顔を浮かべてたいたが、意外なことに、特段驚いている様子は見られなかった。


「教会関係の仕事を請け負っていることや、司教の選出を巡って内部がゴタゴタしていることは、父が話す仕事のグチでだいたいは知っていました。でも・・・こんな暗殺まがいのことまでやるほど、争いが激化しているとは思わなかったです・・・ただ・・・」


 と、何かを言いたげな素振りを見せた後、そのまま押し黙ってしまう。何か知っているのだろうか?だが、タリの暗い顔を見る限り、これ以上は聞けそうにない。


「・・・あくまで推測ですよ。もしかしたら、単なる野盗かもしれない。」


 心にもないことを言って、タリの不安を少しでも払拭しようとする。


「・・・そうですね。まあ・・そういう可能性もなくはないですよね・・」

 と、言いつつ、そんなことはちっとも信じていない顔つきだった。


「ところで・・・これからどうしますか?」

 と、タリはまた例のこちらを値踏みするような鋭い視線を送ってくる。


「えっ・・そ、そうですね・・・今日はもう遅いですし、ここで夜が明けるまで待って、それから・・」


 その後が続かなかった。敵対者たちに、この家の場所を知られている以上、ここにとどまることは危険だ。だが、仲間たちが戻らないことを訝しんで、第二陣を繰り出してくるにしても、ある程度の時間はかかるだろう。つまり、今日、明日、この家にいる分には、まだ安全だ。

 とはいえ、ずっと居るわけにはいかない。しかし・・・この家を出てどこへ向かえばいい?

 タリは死病に罹っているのだ。街に戻る訳にはいかない。病気のことを知られるリスクを考えれば、街にいる方が危険かもしれない。

 むろん、タリもそのことは考えているのだろう。だから、さっきの言葉には、それを踏まえた上で、あなたはどういう打開策を考えているのですかという意味なのだろう。

 残念ながら、頭には何も浮かんでこなかった。


「・・・・とりあえず、少し休みませんか・・」

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