第16話 根拠がない力

「・・それで・・その提案の理由は?」


「・・・逃げるという選択肢はないからです。この深い森の中で、一夜を明かすのはあまりにも危険過ぎます。先ほど、影人さんも聞いたと想いますが、ここらは狼や獣たちがそこら中にいます。ここから逃げても、今度は、夜が明ける前に、獣たちに襲われてしまいます。」


 顔色を変えずに頷きながら、内心では、非常に驚いていた。

 タリに対する評価を大幅に上方修正した方が良さそうだ。こんな命の危機に瀕している状態で、まるで、料理のレシピを説明するように、流暢に現状を分析できるとは。

 しかし、関心する一方で、同時に一抹の不安もある。命がかかっている場面で、こんなにも少女が冷静なのは、やはり不自然だ。まるで、余命いくばくもない老人のように泰然としている。それは、つまり、タリはやはり自分の命を半ば諦めている・・ように思えてしまう。


「・・・大丈夫ですか?まだ気分でも・・・」


 よほどしかめっ面をしていたのだろう。タリは心配そうな面持ちでこちらの顔を覗き込んでくる。


「え・・いえ・・大丈夫です・・それで・・戦うとして・・その・・どうやって?」


「それは・・・影人さんは・・その・・父の話しだと・・・かなりの腕前なんですよね?以前も複数人の野盗を一人でいとも簡単に撃退したとか・・」


 そう言いながら、タリは、こちらの目をジッと覗き込んでくる。

 ガラが、話しを誇張として言う癖は、当然、娘のタリは十二分に知っているのだろう。本当にあなたの腕は確かなのですか?私の命がかかっているんですよ・・と、言いたげな半信半疑の視線を突きつけてくる。


「う、腕前はともかく・・不意を付けるのであれば、片手で数えられるくらいの人数なら、何とかなる・・と思います。でも・・・相手の数はもっと多いかもしれない・・・」


 小娘一人と男一人相手に、そこまでの数を揃えているとは思えない。だが、刺客たちが、前に襲撃してきた奴らと共通の相手ならば、相手側は、自分の能力を知っているかもしれない。

 それなら、警戒して、人数が前より増えていることもありえる。


「それなら大丈夫だと・・相手の人数は四人だと思います。もちろん、もしかしたら、もっと離れたところに何人かいる可能性はありますけど。少なくとも、この近くにいるのは私達以外には四人だけです。」


 いったい何を根拠にそんなことを言っているんだ?

 AIに相談せずに、自分の意思に従って仕事を決めた方がよいと老人が主張しているのを聞いた時のようなあからさまな疑いの表情を思わず浮かべてしまう。


「・・・疑ってますよね?・・私だって不思議なんです。どうして、こんなことがわかるのか・・・今までこんなことはなかったのに。その・・うまく・・言葉では説明できません。でも・・・さっきから・・・やけに頭が冴えるというか、感覚がすごく・・・その敏感になっているんです。それこそ、人の呼吸音が、馬車が走るくらいの凄い大きな音のように・・感じるわ・・」


 タリは、そう説明しながらも、自分自身の変化が信じられないといった様子だった。むろん、突然そんな神秘めいた能力があることを聞かされても、とても信じられる気にはなれなかった。

 タリには悪いが、精神が不安定な少女がハイになっているだけだとしか思えない。

そんなものにとても命を賭けられない。


「・・・証明して見せます・・・私もまだ・・この力が何なのか、よくわからないから・・右斜め前方・・・ここから、約100メートルほど進んだところに・・・一人います。周りの人と大分距離があるから、最初の相手としてはうってつけです。」


 驚いた。

 自分が曖昧に気配を感じている方向とタリが指し示す方向は一致していた。

 影人の身体能力は体内を駆け巡る無数のナノサイズの機械によって、強化されている。しかし、その力が具体的にどんなものなのかは、影人本人にもわかっていない。 

 つまり、強化されている身体機能というものが、何なのか、まったくのピュアな人間たちと比べてどの程度強化されているのか、そういったことまでは、把握していないのだ。

 スポーツ選手や軍人でない限り、そういった力を意識する機会は、日常ほとんどない。影人が受けている処置は、あくまで国民ならば誰もが無償で受けられる最低水準のスペックのものだから、よほどの心配性の人間でない限り、分厚い事前承諾書に書かれている詳細な内容など、いちいち把握などしない。


 AIに尋ねることができれば、すぐに教えてくれるだろうが、この世界に来てから、その手のものとは一切連絡がつかない。

 この世界に来て、強化された身体能力を行使せざるを得ない事態に何度も巻き込まれる内に、ようやくあの分厚い承諾書に書かれている内容が徐々にではあるが、わかりはじめていた。

 例えば、この気配を察知する能力。少なくとも、大抵の場合は、遠くの距離からでも、相手の気配を察知することができる。

 もといた世界でも、今と同じ能力があったはずだろうが、人の気配などわざわざ意識する必要がなかったからか、それともありとあらゆる情報に気を取られていたせいか、こんな感覚が備わっているとは気付かなかった。

 それでも、正確な距離まではわからない。その場所を聞かれても、せいぜい「あそこらへん」と答えるのが、精一杯という程度の曖昧なものだ。

 それなのに、強化されていないタリが、強化されている自分よりも、より優れた探知能力を持っているのはどういう訳だ。

 単なる偶然・・・たまたま自分が感じている人の気配の場所と一致したということかもしれない。そう考える方が、はるかに自然だ。


 だが、どちらにせよ、やること自体は変わらない。

 相手側の人数がタリの予想より多かったとしても、結局やるしかないのだ。逃げるという選択肢より、そちらの方がまだ生き残れる可能性は高い。

 そして、戦う方策として、気づかれずに一人ひとり排除していくというやり方も確かに理にかなっている。

 タリの言ったことは、ひとまず、AIではなく、あくまで人間のアドバイス程度、つまり気休めとして考えておいた方がよい。

 タリの指し示した方向へとゆっくりと移動をはじめる。その後を、タリが少し離れて、ついてくる。

 最初、タリはこの場にとどめておこうとしたが、結局二人で行動することになった。この暗闇と人の首ほどまである藪が密集している状態では、数十メートル離れたら、お互いの場所を把握することができなくなる。

 むろん、一緒に行動すれば、敵に見つかりやすくなるが、一人でこの場に静かにとどまっていても、バッタリ敵に遭遇することだって十分にありえる。タリが一人でいる状態で襲われたら、ひとたまりもない。その点、二人でいる方がいざという時に対処が出来る。


 タリが一緒に行動したいと主張したということもある。タリは、「近くにいる方がこの力を役立てることが出来るはずです。」と言ってゆずらなかった。

 真っ暗闇の中で息を潜めて、相手に気取られないように行動するのはただでさえ神経をすり減らす。今回の場合は、さらに、その目的の相手が、本当にいるかいないのかさえ、わからないのだからなおさらだ。

 だが、一歩一歩それこそ人類の歩んできた発展の速度のように、ノロノロと歩を進める内に、次第に、疑惑は確信へと変わっていった。人の気配の色が濃くなっていくのが、はっきりと感じられた。

 タリのカンはあたっていたのだ。

 十メートルほどの距離まで近づくと、それは視界にもはっきりと現れた。黒い影がなにやらうごめいている。

 相手はまだ、こちらの気配に気づいていないだろうか。それとも、あちらも人の気配を察して、警戒しているのか。

 相手に近づくにつれて、森の中が、静かになっていくような気がした。

 単なる気のせいだ。錯覚に過ぎない。

 虫の鳴き声だって、聞こえている。そう自分に言い聞かせる。

 だが、僅かな呼吸音すら、大声でわめいているような騒音となって、相手に聞こえているのではないかという不安は拭えない。


 ここが、限界だ。

 この距離なら、一瞬で、短剣を首元に刺すことができる。相手の悲鳴は、どれくらいの音となって、周りに響くだろうか。

 そんな不安が全身を動かした刹那、脳裏に浮かぶ。駆動するや否や、今や慣れ親しんだ動作へと体が反射的に動く。

 一番近い表現で言うならば、「あっ!」となにかに驚いたような声と言うべきだろう。だが、実際の、それは、もっと波長の短い人の耳にギリギリで聞こえるほんのわずかな音だった。

 男はその場に前のめりに倒れ込む。その時に、物体が地面に落ちた際の音は、先ほどの断末魔よりもはるかに大きかった。

 しまった。

 倒れる前に、男の体を受け止めるべきだった。だが、相手を始末することと、悲鳴のことで、頭がいっぱいで、その後の当然起こるべき物理現象がすっかり頭から抜け落ちていた。


 衝突音があたりにこだまし、再び森の中は、何ごともなかったかのように、虫の音のみになる。

 その場から動かずに、中腰姿勢のままで、ぐるりとあたりを見回す。後ろにはタリの姿が見えるが、それ以外に動きはない。

 数分ほど経っただろうか、そのまま動かずにじっと周囲の動きに神経を研ぎ澄ませる。何も動きはない。

 あの男の仲間たちはあの大きな音に気づかなかったのだろうか。いや、音自体には気づいても、何か別の音だと解釈したのか。

 どちらにせよ、こちらにとっては都合が良い。再び、タリの方を見ると、いつのまにか、目の前にまで接近していた。

 思わず、声を上げそうになってしまった。


「・・・凄い腕前ですね・・これで後三人・・・なんとかなるかもしれない・・・あっ・・今、近くにいる人はこっちの方角で、距離は50メートルくらいです。」


 タリは、相変わらず、不安げな表情を浮かべていたが、少し興奮しているようにも見えた。自分の言っていたことがピタリと当たったことと、影人の力が予想以上だったことが、恐怖を忘れさせて、一時的にタリの精神を高揚させているのかもしれない。


「・・・他はまだこちらの存在に気づいていなさそうですか?」

「・・・まだ気づいていないと思います。動きも呼吸音も変わりないですし。」


 そう言われて、思わずほっとした。と、同時に自身の心境の変化に違和感を覚える。

 なぜ、タリの言葉を聞いて、安心しているんだろう。彼女の言うことには、何も根拠なんてないはずなのに。

 いつのまにか、タリの力を信じ始めているのだ。その証拠に、再びタリの言うとおりの場所に刺客がいたとわかった時、さして驚かなかった。むしろ、予想通りという思いの方が強かった。

 ありがたいことに、先ほどの相手と同じように、目の前にいる男は、さして警戒しているようには見えない。

 今度は、地面に倒れる前に、受け止めて、音を最小限に留めなければ・・・

 攻撃に移る瞬間、そんな、先のことを考えていたせいだろうか。

 男は、影人の首を狙った素早い一撃をひょいと体を動かして、何ごともなかったかのように、かわした。

 おかげで、男の体に接触して、止まるはずの力が吸収されずに、飛び出した体はそのまま勢いよく誰もいない藪の中へと突っ込んでいってしまう。

 顔から地面に突っ込み、派手に、転がる。頭は酷く混乱していたが、なんとかすぐに地面を蹴り上げて、立ち上がる。


 すぐ目の前には、先ほどの男がいた。だが、相手は何もしてこない。キョトンとした顔で、こちらを呆けた表情で見ている。

「な、何だ!」

 一瞬の間の後に、男が叫び声を上げる。それと、同時に影人は再び男の首すじめがけて、飛び出していた。

 今度は、先ほどの動きが嘘のように、あっけなく短剣は、男の喉を切り裂いた。短い音だったが、先ほどと違い正に断末魔と呼ぶにふさわしい大きさだった。

 これでは、さすがに、周りの仲間も異変が起きていることに気づいてしまうだろう。

 一回目の攻撃がなぜかわされたのか。男の態度を見る限り、単なる偶然だったのだろう。たまたま、何か小動物にでも気を取られて、体を動かしただけかもしれない。

 どちらにせよ、そのことは、もう問題ではない。

 問題なのは、その些細な気まぐれのせいで、計画がすっかり狂ってしまったことだ。案の定、影人の周りはにわかに騒がしくなってきた。

 男たちの「おい!何があった!」と、口々に状況を確かめ合う声が聞こえてくる。やはり、先ほどの悲鳴で、相手側には、すっかり脅威となる存在が近くにいることを気取られてしまったようだ。

 隠れようと身をかがめようとしたところで、人らしき影がこちらを向いていることに気づく。


「おい!こっちに誰かいるぞ!」


 と、大声がした。てっきり前にいる男の声かと思っていたが、聞こえた方向は真逆だった。

 後ろを振り返ると、タリのすぐ近くに男の影が迫っていた。影人の前方に一人、タリの後方に一人、いつのまにか、挟まれた格好になった。

 踵を返して、タリの方向に駆け寄ろうと、体を動かそうとした瞬間、何かが急速にこちらに接近する気配が感じられた。

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