第11話 疫病と予兆

 そういう訳で、金貸し、修道女という妙な取り合わせで、街を歩くことになった。もっとも、周囲の人間に関係者だと知られたくないためか、二人ともまるで他人のように距離を明けて歩いているが。

 途中、ある通りで、ちょっとした騒ぎが起こっていた。密集して立っている木造家屋の一つに、多くの人が集まっているのだ。

「なんだ?あれは?」

 ガラがさっそく野次馬根性を出して人だかりの方へと足を向ける。ついで、アニサも小走りに駆けていく。

「お、おい。ちょっと・・・」

 影人も慌てて二人の後を追う。どうやら、二人とも考えるよりもまず動く、といったタイプの人間らしい。

 近づいてみると、十数人ほどの人々がある家の住民を取り囲み、罵声を浴びせて、なにやら責め立てている。周りの人々はみな怒気を帯びた顔つきで、取り囲まれている中年の夫婦と子供は、怯え慄いていた。


 どうみても、トラブルの匂いしかしない状況だ。できれば関わらずにこの場から立ち去りたいと考えていると、アニサの凛とした声があたりにこだまする。

「みなさん!落ち着いて!いったいどうされたのですか!」

 その声がきっかけとなり、数十の視線が一斉にこちらの方を見る。その瞬間、ぎょっとしてしまった。みな一様に眼窩は窪み、暗く沈んだ目をしているのだ。そして、怒りというより、何かを執拗に恐れている表情をしている。

 アニサも彼らのその異常な顔つきに何かを感じ取ったのか、一瞬たじろぐが、すぐに冷静な態度を取り戻す。

「私はアニサと申します。誰か状況を説明できる人はいますか?」

 修道院の権威はやはりこの街では大きいようだ。アニサの介入により、今にも襲いかかろうというほど殺気立っていた人々の空気が、随分とやわらいだのである。

 もっとも、これだけの人々を落ち着かせたのは、そうした修道院の威厳だけではなく、アニサ個人の資質も大きいだろう。アニサの佇まい、声のトーン、美しい外見、どれか一つにその要因を特定することはできないが、思わず彼女に従ってしまう・・・そういったリーダーとしての才能を彼女は持っているようだ。

 実際、アニサに命令されたり、頼まれたりすると思わず従ってしまう・・そういう経験は短い付き合いながらも、既に何度か身を持って経験している。

 人々はしばらく、ボソボソと何やら相談していたが、やがて代表者らしき男が人々の中から、歩み出てくる。

「修道院の方が何故ここに?・・まあ・・でも・・ちょうどいい。」

 リーダーらしき壮年の男がそう言うと、先ほどから地面に縮こまっているこの家の住民たちを突き出すように指差す。

「見てください!こいつらのこの肌を!」

 住民たちの肌は、酷く薄汚れていている。家の主人であろう中年の男は、皮膚病にかかっているのだろうか、いたるところカサブタだらけだ。

 確かに、酷い光景だ。だが、特段珍しいことではない。周りの人々にしたって、同じ種類の皮膚病を患っているものが、何人もいる。ある程度裕福な者でない限り、毎日まともな食事にも、風呂にもありつけない環境なのだから、いたるところにこういった類の病気が蔓延しているのもある意味当然だろう。

 それにしても、いったい彼らは何をこんなに恐れているんだ?

 そう、疑問に思っていると、住民がしきりに、首すじを手で覆っていることに気付いた。その不自然な佇まいに目がその部分に向く。

 思わず、はっと息を呑む。

 大きなドス黒い模様のようなものが浮き出ていた。黒ずんだ肌やカサブタによってカモフラージュされていたのか、今の今まで、黒い紋様に気づかなかったが、一度認識すると、その存在は明らかだった。異様な黒い斑紋は、小さなものを含めて、ほとんど全身を覆っていた。

その不気味な斑点から、何かよからぬ病にかかっているだろうことは素人が見てもすぐに理解できた。

 だが、アニサとガラの反応は、影人とは比べ物にならないほどに、強烈なものだった。

 二人とも、大きく目を見開き、自分たちが本当に現実を見ているのかどうか確認するように、瞬きもせずに、その黒い斑点を凝視している。

 そんな静寂が数十秒は続いただろう。やがて、我慢ができなくなった一人ががなり立てる。

「こいつら死病にかかっているんですよ!それなのに、隠れて住んでやがったんだ!」

 その怒号にアニサはようやく我に返ったのか、人々をなだめすかせようとする。アニサは、努めて、冷静な態度を取ろうとしていた。だが、先ほど見た光景がよほどこたえたのだろう。その声は上ずっていた。

「落ち着いてください。まだ、そうと決まった訳ではありません。よく調べなければ・・・」

「死病に決まってるだろ!見ろ!このうす気味悪い肌を!こいつらが隠していたせいで・・・俺らまで危ないんだ!」

 アニサの登場で、場は先ほどまで一時沈静化していた。だが、男の怒鳴り声がきっかけとなり、人々に渦巻く不安と恐れが瞬く間に伝播し、再び騒乱状態になってしまった。


 アニサも、懸命に人々をなだめすかせようとするが、人々の混乱は収まりそうにない。アニサ自身も少なからず動揺しているため、その様子は、どこかぎこちない。おそらく人々はそういったアニサの機微を敏感に感じとってしまい、それが皮肉なことに混乱に拍車をかけてしまっているのだろう。

 数人の男たちが、間に入っているアニサを強引に押しやり、地面に座り込んでいる住民に対して、手に持った長柄の農具のようなもので小突く。彼らは決して、素手で住民に触れようとはしない。

「きゃっ!ちょっと・・落ち着いて・・落ち着きなさい!!」

 アニサはもみくちゃにされながらも、必死に男たちを止めようとするが、なにせ多勢に無勢である。1人の女の手で、怒り狂った男たちを止めることなどできる訳がない。

 いよいよあたりは混乱状態となる。人々の行動も暴力的になり、もはや小突くという言葉ではおさまりがつかないくらいに、過激になっている。

「このやろう!このやろうめ!!!」

「お前らのせいで!!!」

 人々は一点を見つめて、陶酔したように、無抵抗の住民の体に農具を振りかざす。

 父母と思われる住民は必死に、体を覆いかぶさって、子供をかばっているが、人々から容赦なく何度も農具で体を刺されたために、既に皮膚から血が点々と出ていた。

 このままだとなぶり殺しにされかねない事態だ。

 この酷い有様を黙って見ていたくはない。だが、興奮した十数人の群衆を前に飛び込む勇気が持てずに、躊躇してしまう。助けを求めるように、ガラの方を見る。

 だが、ガラは、ワナワナと震えて、下を向きながらブツブツと何かを言っている。

 クソ・・何やってるんだ・・ガラのやつ。

 援護は期待できそうにない。そうこうするうちに、アニサは、ますます興奮して既に暴徒とかしている人々に飲み込まれて、もう視界から消えかけていた。

 意を決して、群衆の中に飛び込もうと、体を身構える。


 すると、急にあたりが静かになった。周りを見渡すと、住民を取り囲んでいた人々が、驚いた顔を浮かべて、後ずさりしている。

 何が起きたか、わからないが、アニサを救出するチャンスには違いない。群衆を掻き分けて、前へと出ると、アニサが視界に入る。彼女は、体を投げ出して、住民たちに覆いかぶさっていた。

 人々はアニサのその行動が信じられなかったようだ。呆けたように唖然としてその様子を見ている。やがて、リーダーの男が絞り出すような声を上げる。

「あ、あんた・・・そいつらは死病にかかっているんだ。それなのに、体に触れて・・・」

 アニサは、ゆっくりと立ち上がり、そして、無言で人々を見る。着ている修道服はところどころ破れてしまっている。頭をすっぽり覆っていた頭巾も取れて、結われていた髪がほどけて、黒髪が無造作に垂れていた。おそらく、住民たちをかばった際に、彼女自身も人々から、何かしらの暴行を加えられたのだろう。

 そんなともすればみすぼらしく見える格好にもかかわらず、人々は、アニサの有無を言わさぬ態度に気圧されていた。それほど、今のアニサは、どこか神々しいと感じるほどの威厳に満ちた雰囲気を全身に纏っていた。

 

 人々は、アニサの命令を待っているかのように、おとなしくその場に立ち尽くしている。アニサは、しばらく、人々を見つめた後、静かに話し始める。

「この方たちは、ひとまず修道院で保護します。もし、病にかかっているのならば、しかるべく儀式を行った上で、送り出します。」

「だ、だが・・・」

 それでも、何人かの人々は、まだおさまりがつかないようだ。アニサは、それらを無視して、倒れていた住民たちの手を取り、その場から立ち去ろうとする。人々は、距離を取りながらも、取り囲んで、圧力をかけるが、アニサは意に返さない。

 そんな様子を始終あっけにとらわれながら見守っていた。アニサが、その場から離れだす段になって、ようやく足が動き、近くへと駆け寄る。だが、人々の空気に当てられたせいか、それとも本能が警告を発しているのか、病気の住民たちの側に近寄るのはためらわられた。

 人々の言っていることを鵜呑みにした訳ではない。だが、人々が狼狽し、暴動になるくらいだ。死病とやらは文字どおり感染すれば、命を落とす病なのだろう。

 そんな危険な伝染病を発症しているであろう者たちとは関わりたくない。たとえ、体内の医療システムによって保護されているとしても。

 だが、そんな打算的な考えに捕らわれてしまうことが同時に恥ずかしくもある。アニサの美しい横顔は痛々しいくらい擦り切れていて、泥や血で傷だらけになっていた。彼女は、強化されていないピュアな肉体、いわば保険がない状態にも関わらず、見ず知らずの他人のために、自身の肉体を危険にさらしているのだ。

 自分の弱さを見透かさられそうで、アニサの目を面と見るのが怖かった。視線を逸らすと、視界にガラを捉える。ガラは、先ほどと同じようにいまだ目はうつろで、明後日の方向を見ている。自分への苛立ちが、ガラの方にも向く。

 全く・・こんな状態だというのに、何をやっているんだ。

「おい!何やってるんだ!行くぞ」

 影人が大声をかけて、体を揺さぶる。そうまでして、ようやくガラは、こちらに反応し、「あ、ああ・・」と力なく頷き、トボトボと歩き出す。それにしても、様子がおかしい。暴徒を前に動揺したのだろうか。だが、そんなことで、ここまでうろたえるようなタマではないはずだが。

 ガラの不自然な態度は気になっていたが、今はここから早く立ち去りたいという想いで頭がいっぱいだった。幸いにして、アニサの身を呈した行動に人々は未だに畏怖の念を感じているのか、大きな妨害はなかった。

 だが、最後までその不穏に満ちた空気が醸成する得も言われぬ気持ち悪さからは逃れることができなかった。人々は、最後までやはり死の恐怖に染まった暗い視線をこちらに送っていた。


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